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【自分という存在価値】

※この記事はおよそ5分で読めます。

今回は、私の実体験を元にした『自分という存在価値』にまつわる記事を執筆します。

仕事やプライベート、人生を通して経験したことを書く記事です。検索したら出てくるような情報で何かを得たいという方はスルーして下さいね。
逆に、これまでから現状のご自身を見た時に
今よりもっと良い人生を生き、輝く自分になり
たい!更に自分に磨きをかけていきたい!という方は是非読んで下さい。

この記事は、分かりやすくシンプルに、をテーマに書き上げました。
その為、『自分自身の存在価値』というテーマから脱線しそうな不要な情報は全て取り除いています。

専門的分野において、よく勉強されたり経験豊富な方からすれば少し物足りない《完全初心者向け》の記事となりますので、ご理解いただける方のみご覧下さいませ。

この記事の対象者は
・対人コミュニケーションにいつも苦戦している方
・人間関係を改善したい方
・仕事もプライベートも思うように過ごしたい方

こういった方には価値提供できると存じます。

今回の記事では、自分という存在価値について解説します。

  • 理解できて自分で腹落ちすれば、楽しく充実した生活や人生になることをお約束しますので、ぜひ何度も読み返して『実践』されてみてください。


  • 目次

  • 自分で自分自身を認める

  • 他人の評価が自分の存在価値では無い

  • 大半のミステイクは思い込み

  • まとめ

自分で自分自身を認める

小さな頃から、学校や親や大人の言うことが絶対で、社会に出ても会社員ともあれば会社や上司・先輩の言うことが絶対で生きて来ていませんか。
そのような状況下での生き方においては、自分自身の考えや思いとは裏腹に言われたことをただ忠実にやっていれば良いという風潮があるのも事実です。

しかしながら、そもそも人は生まれながらにして《幸せになる為》にこの世に誕生しています。
よく“生きているだけで丸儲け”と言いますね。
この世に性を受けて誕生していること自体が奇跡的なことです。
ですから、自分で自分自身をしっかりと認めてあげましょう。
毎日過ぎゆく日々を、何も無く生きていることすら立派なことなんです。
今日もこの記事を読んでいただいている貴方。
巡り会えて、光栄ですよ。
ありがとうございます。


他人の評価が自分の存在価値では無い

ということはつまり
自分で自分という人間に優しく接しながら、愛し毎日向き合い続けていくワケですね。

そのように生きていく中で、いろんな出会いがあり、関わり合いを繰り返しながら成長を遂げていきます。

十人十色という言い方もあるように
人それぞれ育ってきた環境、関わってきた人などあらゆる違いのあるところで交わり生きているので、いろんな考え方や受け止め方、捉え方があって普通です。
そのような中で、価値観が合う、気が合う、意見が合う、好みが合う。そのまた逆も然りで、この逆の場合に多くのエラーを生じてトラブルになったりすることが多いように感じます。

一度お互いに生まれた歪みや感情などは、良い方向に進むには時間を要すもので、一長一短で解決することではありません。
そのせいか、折角のご縁でありながらも、そのご縁ですら手放してしまわなければいけないこともあります。

私自身も、社会人生活を送る中では不動産関係の営業に携わらせていただいた時間が長いです。社会問題の一つである空き家対策で協業として事業を走らせていこうと思っていたパートナーから、突如関係を謝絶されたこともありました。

その当時で言えば、相手を傷付けてしまったのでは無いか、そこに至る重大なことがあったのだろうと謝罪すら試みたのですが全く受け入れをされることもありませんでした。

一見、とてもショッキングで悲しさが増すような状況でありますが、手離れてしまうと別の新たな出逢いに遭遇したのです。
異なった視点を持つパートナーと知り合うことが出来たり、この経験は今でも忘れることはありません。

この時学んだのは、相手の私に対する評価が自身の存在価値では無いということです。
ここで相手に余りにも気を遣いすぎたり、ずっと気にして時間を過ごせば、新たな出逢いやチャンスは足元にあったとしても失ってしまう可能性があるということです。
全く気にしないでおく、というのも酷ですが、そのような場合には“自分には次のステージに進む時の知らせが来たんだ”
このような捉え方が、素敵で良いですね。


大半のミステイクは思い込み

人は不思議なもので、不完全で不確かなことにばかり執着して、事実を確実に確かめもせず“きっとこうだろう”と認識してしまいがちです。

ここに気付いて、いやそうではない!
とちゃんと事実に向き合ったり目の前の相手やコトに向き合える人であれば、そうそうエラーに至りづらいのではないかとも感じます。

ここにあるのは、不完全で不確かなことこそそうであると勝手に認識せざるを得ない“思い込み”
があります。
良いように機能すれば、何ら支障は無いですが
そうそうそんなケースの方が少ないのではないでしょうか。

例えば、求職者であれば転職活動。企業であれば求人活動。お互いに面接や面談を経て採用・入社に至っているはずなのに、本当に確かめておかなくてはいけない部分を聞かず。
確かめておかなくても良いことをオーバーに盛ったりして蓋を開ければ思っていたのと違うだったり、お互いのストレスに発展してしまいます。

相手に遠慮して聞かない、確認しないというのと
事実を確かめておくというのは全く違って来ますね。
自分自身が意図せずところで知らずとして話が盛り上がり、“たぶんこうだろう”の思い込みで持って来られると、やはり良い気持ちはしませんものね。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥であり
自分の無知をさらけ出すようで恥ずかしいことのようにあっても、その恥に感じられる部分はその場限りのものであり、聞かないまででいれば、ずっと間違った認識や誤解・解釈でもって過ごしてしまうので
恥を忍んで、しっかり確かめ合い良好な関係構築がしたいものですね。

・まとめ

いかがでしたでしょうか。
これまでにざっくり解説しました。
ご自身の日常生活における、人と人とのやり取りの中でも[確かに、そういう部分あるな!]と感じ取れる場面も思い出されたかもしれません。

良い人間関係やコミュニケーションは、ご縁が出来たり繋がったりすることも含めて

人でしか作りあげていくことはできません。

そうであれば、まずは自分が自分という人間を優しく愛し、毎日褒めちぎる。
そして世の中においては、いろんな価値観や環境で生きている人たちと共存しているので、自分と異なった人たちが居て当然であり普通。
だからこそ、自分自身の物差しや判断基準を持ちつつも、他人の評価が自分自身の存在価値ではないのだから
分からないことや、こうなのでは?と思ったり感じたら素直に聴くこと。

まずは、ここからが自分自身の存在価値を作り上げていくベースになるのでは?
と子育てをさせていただき、社会でお仕事をさせていただく中での経験でのまとめです。

写真は私の故郷である小豆島です。
ゆっくり時間が流れ、海のニオイ、自然の温かさを浴びて学生時代に過ごして来たことを誇りに生きています。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次回のnoteでお会い出来ますことを楽しみにしています!



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