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[ソウル暮らしのおと]ロサンゼルスの北昌洞スンドゥブ(BCD Tofu House)

(写真:BCD Tofu Houseホームページより https://www.bcdtofuhouse.com/)

2020年8月25日、ニューヨークタイムズに、ある在米韓国人の女性の追悼記事が掲載されました。今年7月に61歳で亡くなった、 北倉洞(プクチャンドン)スンドゥブ・BCD Tofu Houseの創業者、イ・ヒスクさんについての記事でした。

記事は、こんな書き出しで始まります。

「真っ赤な牛コツスープに湯気の立つ豆腐。イ・ヒスクさんは家族が眠っている間、夜な夜なレシピの研究をした。豆腐は舌でやわらくとろけ、ぴりっとした唐辛子はスープにほどよい刺激を加えた。夫にも秘密にしていた彼女のレシピだった。」

ニューヨークタイムズが「彼女の料理はアメリカで一つの文化現象になった」とまで絶賛した 北倉洞スンドゥブ。ロサンゼルスのコリアタウンのバーモントアベニューで、1996年に第1号店がオープンしました。いまでは全米に13カ所、そして日本や韓国にも店舗のあるチェーン店となっています。

創業者のイ・ヒスクさんは、ソウルで生まれ育ち、結婚後に子どもの留学のためロサンゼルスに渡りました。
渡米してからは生計のために大学でグラフィックデザインを学んだとのことなので、最初は飲食店を営むとは考えていなかったかもしれません。

人生の転機はひょんなことからやってきました。教会で礼拝中、お腹を空かせた息子が向かいのスンドゥブチゲ屋さんでご飯を食べたいとねだったのです。
そのときヒスクさんは、自分でスンドゥブ料理屋を開いてはどうか、と思いついたそうです。
ヒスクさんは中学生の頃、お父さんが脳卒中で倒れ、皿洗いや市場の物売りで生計を立てたお母さんを助けるために、高校卒業後すぐに働いたそうです。そんな経験が、このアイデアの土台になったのかもしれません。

食堂をオープンしたヒスクさんは、自ら早朝に卸売市場に行って食材を選び、事業に没頭しました。ごはんの温度やキムチの色、豆腐の味付けなどすべてにこだわっていたと、息子のエディさんは回想します。

そのように生まれた北倉洞スンドゥブはたちまち有名になり、コリアタウンで大人気の韓国食堂となりました。スポーツ選手や俳優、政府高官なども足を運び、24時間営業にもかかわらずいつも並んで待たなければ入れないほどの人気店です。
韓国の観光客も、ロスに行って韓国料理が恋しくなったらここ!という定番のお店で、ブログにもたくさんのレポートが上がっています。
人気メニューは、スンドゥブはもちろんのこと、甘辛い味付けの骨付きカルビが絶品とのこと。ごはんも炊き立ての釜ご飯に、焼き魚をはじめとした韓国総菜もたっぷり。そのはしばしに、息子たちのお腹を故郷のごはんで満たせてあげたいという思いから始まった創業者のこだわりを感じずにはいられません。

イ・ヒスクさん、本名ホン・ヒスクさんは、卵巣がんで5年間の闘病の末、7月18日に惜しくも旅立たれました。

生前、ヒスクさんはコロナ大流行に見舞われた中で、解雇になってしまった従業員たちに医療給付を与えたり、テイクアウトの注文で残業した従業員に給与手当をつけるなど気遣ったそうです。

ちなみに12月16日には、 北昌洞スンドゥブをはじめとするコリアタウンの韓国食堂7店が共同で、ダウンタウンのホームレスの人々のために300人分の食事を提供する「Kタウン・ケアーズ」というプロジェクトが実施されたそうです。

今日は、ロサンゼルスで真っ赤なスンドゥブチゲの味を広めた 「北昌洞スンドゥブ」(BCD Tofu House)をご紹介しました。

[KBS World Radio「土曜ステーション」2020.12.05放送]

http://world.kbs.co.kr/service/program_main.htm?lang=j&procode=one