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2022.4.27 あした特攻が決まった…

「明日、特攻隊を出撃することに決まった」

遂に来た特攻命令…。

ある青年は幼い妹に、最後の手紙を書いた。

<兄は喜んで天皇陛下の為め、重大危機に直面して居る日本の為め、一億国民の盾となって散って行くのだ。少しも悲しまずに笑って兄の魂を迎えて呉れ>

そして夜が明け、青年たちは皆、日本の勝利を信じ片道のガソリンと爆弾を積んで笑顔で空へと散って行った……。

1945年3月26日から始まった特攻作戦は、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈め、パイロットは必ず“死ぬ・亡くなる”という『必死』条件の作戦でした。

上の画像は、出撃前の特攻隊員たちです。

ここでおかしいと思いませんか?

この無謀ともいえる作戦に、なぜ青年たちは笑顔でいることができたのでしょうか?

この笑顔に隠された青年たちの心境とは、どのようなものだったのでしょうか?

彼らの死について、“天皇陛下の為”“日本の為”といった内容の遺言や手紙を取り上げ、一部では「狂った愛国主義者」だと言われていたり、映画やドラマでは“可哀想な死”として取り上げられています。

果たして、このような認識は正しいのでしょうか?

彼らが遺書で“天皇陛下万歳”“日本の為”と書いた真意は、どのようなものだったのでしょうか?

当時の学徒たちが残した“生の声”である手記を読み解くと、これまでの歴史認識を覆す、特攻隊に志願した本当の理由が明らかになりました。

今回は、戦後、様々な評価を受けてきた特攻隊について、ある特攻隊員が遺した手記を基に書き綴っていこうと思います。


出撃前夜

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