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絵と先生と猫、ときどきおやつ

この猫好きの時代に猫が苦手になった。
小さいころ自転車に乗っていて、5匹くらいでケンカしていたのら猫の塊が、
自転車より速い速度でのぼってきて巻き込まれたことがあった。
それから猫の集団にはいつくばられる夢を見るようになった。

でも家猫はかわいい。
絵画教室にいたホーリーという猫は犬みたいにかわいかった。
「ホーリー」は日本語なら「聖子ちゃん」ね、と先生は話していた。

中学生のころ絵画教室に通っていたとき、先生は70代だったと思う。
ちょっと忘れっぽくて、柔らかくてやっぱり天然っぽい。
九州出身の、お嬢様美大を卒業したおばあちゃん先生。
実家には牛や鶏や犬がたくさんいたらしい。

先生は自宅で教室を開いていた。
座布団に座り絵の具の準備を始めると、先生は昔の話を聞かせてくれる。
先生の話はぶっ飛んでいておとぎ話を聞いているような気分になる。
海外で観光中に隣の教会が爆発したという話。今考えると面白い話じゃないんだけど、高校生で新幹線デビューをしたような私には現実味がなかった。

やっぱり猫はうまく描けない


先生は学生時代の話もたくさんしてくれる。
お嬢様学校なので同級生もお嬢様揃い。
大使館の娘とかお城のお姫様とか、そんな人たちが登場人物だった。

その中で私はお城の姫と京都に行ったことがある。
先生と二人で新幹線に乗り京都へ、姫とはホテルで待ち合わせ。
初めて見た姫は、先生の友達なのかと思うほどゴージャスでガッツのある人だった。
タクシーで通った文化財エリアで
「ここうちの敷地」と言った。

旅行の目的は舞妓さんのスケッチ。
本物の舞妓さんが来てくれて、まずはご挨拶に舞を披露。
それからモデルポーズが始まり、休憩時間には少しお話もしてくれる。
ご高齢の方が多い中で私は一人高校生。
みんなここぞとばかりに携帯を向けてバシバシ写真を撮っていた。

先生と姫のアシストで、舞妓さんの帰り際2ショットを撮らせていただいた。
舞妓さんがはんなり帰ったあと、本当ならこれで1万円だよと教えてもらって驚いた。

先生はデザイン科を卒業後、油絵にはまった。
水彩が得意で、今考えると油絵を水彩の技法で描いていた。
ヨーロッパへスケッチ旅行に行き、帰ってきて油絵におこすのが先生の仕事だった。

あるとき先生はヨーロッパから骨折をして帰ってきた。
ギプスをつけたまま松葉杖で教室を開いている。
ご友人と泊まるホテルで、着いてすぐ部屋中を見回しに行き、
お風呂にさしかかったとき、扉を開けてびっくら仰天してしまったらしい。
お風呂場の壁が全面鏡張りだったのだ。
先生はそのまま滑ってこけた。タクシーを呼んで病院へ行くことになった。

スケッチ旅行のつもりが、一人で入院することになった先生。
でも先生は落ち込まない。
病院でたくさん記念撮影をしてきて、写真を見せながら話してくれる。
ベッドの隣に大きな窓があり、そこからヨーロッパの山々の風景が一望できるのだ。
先生はベッドに座ったまま窓からの風景をスケッチしていた。
現地の看護師さんたちにもたくさん話しかけられた。

だんだん看護師さんや入院中の人たちの似顔絵を描くようになった先生。
患者さんなのかお見舞いなのか、病院にいた兄弟を書いた絵が印象に残っている。
先生の絵はオレンジ系のタッチで、白い肌に鼻や頬に赤みが入ってすごくあったかかった。

自分も骨折しているのに、ホスピタリティというかしなやかさにいつも驚かされる。
先生は控えめな話し方をするけど、ほぼ毎年のようにヨーロッパへ行くバイタリティが心の底に湧いているのだ。

教室では折り返しの時間になるとおやつが出てくる。毎週10人以上いる生徒の分を出してくれる。
お湯呑みに入れた日本茶と寒天ゼリーの和菓子「花あわ雪」またはヨーロピアンシュガーコーン、パルム。
絵を描く手を止めてみんなでおやつを食べて、その真ん中をホーリーが通り過ぎてはみんなで撫でて。私は教室に通っていた日々を忘れないでいる。

先生は私の祖母にすごく似ていた。本当のおばあちゃんみたいに思っていた。
先生とはもう5年以上も会っていない。
家庭の都合で一度教室を辞められたけれど、また再開したと聞いた。
きっと80代になっただろう。
すごく会いたい。

花あわ雪

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