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ありがとうと言ってはいけない【#シロクマ文芸部】

「ありがとうございます」
新人だった私は、女性の先輩に仕事を教わったお礼を言った。

すると先輩は、
「川邊さん、『すいません』でしょ!」
と激怒した。

学生時代、「すいませんより、ありがとうの方が気持ち良い」という価値観で生きてきたので、ショックだった。

それ以来、私は「ありがとう」の代わりに、徹底して「すいません」を言うようにした。

何かをしてもらうにも「すいません」、すいませんの世界は自己肯定感を下げていく。

ある日、上司がポジティブ思考の人からネガティブ思考の人に代わった。

何かにつけ、「駄目だ」しか言わない。「すいません」が増えていく。

意見をしようものなら、「口答えするな」と怒り狂う。

私はそんなに駄目な人間なのだろうか。


久しぶりに、幼なじみの凛香に会った。彼女は変わらずはつらつとしていた。幼い頃は近い存在だったのに、隔たりを感じた。

「ごめんね。私なんかのために時間を取らせて。私に会うより有意義な時間が凛香にはあったのに」

「え?何で友実が謝るの?私が会いたいから来たんだよ?」
凛香は怪訝な顔をした。

「……ごめん」
私は不愉快にしてしまったことを詫びる。

「ねぇ、友実は私に会えて嬉しいんだよね?」
凛香の問いに、私は首を縦に振る。

「友実、私と会ってくれて『ありがとう』。友実は何も謝ることはしてないんだよ。『嬉しい』『楽しい』ことは、『ありがとう』で良いんだよ」
凛香の声は優しくて、私の硬くなった心は涙に溶けた。



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