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【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 17 (「澪標」シリーズより)


実咲さんの一周忌法要から小山のアパートに帰宅すると、出迎えてくれた澪さんが玄関で僕を抱き締めた。

「法事、どうでしたか?」

澪さんには、実咲さんの妹のみのりさんが参列することを伝えなかった。ましてや「前妻を忘れるな」と言われたことを、再婚相手である澪さんに伝えるわけにはいかなかった。僕は澪さんに心配をかけまいと、そっと彼女の体から離れ、笑顔を作った。

「……滞りなく済みましたよ。ああ、僕、お線香の匂いがきついですよね。シャワーを浴びてきます。法事の後、息子がたこ焼きを焼いてくれたので、後で食べましょう」
僕は手に提げていた、たこ焼きの入った紙袋を澪さんに手渡した。

たこはみのりさんのお土産で、たこ焼きは僕がみのりさんと再婚について話し合っている間、息子が家族の気を逸らすためにキッチンで焼いたものだった。

澪さんは一瞬顔が曇ったように見えたが、「航さんがシャワー浴びたらすぐいただけるように、黒豆茶を淹れておきますね」と笑顔を浮かべた。

シャワーを浴びた後、僕と澪さんは息子が焼いてくれたたこ焼きを一緒に食べた。

「このたこ焼き、冷めていてもすごく美味しいです!」

「そうでしょう。たこ焼きだけは、僕より息子の方が上手に焼けるんですよ」

「航さん、息子さんと張り合うなんて、負けず嫌いですね!」
澪さんがケラケラ笑うのを見て、僕はほっとした。


澪さんの仕事の休みの日、息子の妻の美生みきさんの美容サロンで結婚式の打ち合わせをする為、2人で上京した。

美生さんの経営するサロンは、整理整頓が行き届いていて清潔感があるだけでなく、暖かな色合いの絵画や観葉植物で、居心地の良い空間になっていた。

美生さんはタブレットを操作しながら、澪さんに話し掛けた。

「実は澪さんに親近感を抱いていたんです。名前の『美生』という漢字を見て、私を『みお』と呼ぶ人もいるんですよ。だから、何だか他人のように思えなくて」

実は僕も美生さんの名前を読み間違った1人だ。

「『美しく生きる』、素敵なお名前ですね。美生さんにぴったり」
澪さんはテーブルの上で重ねていた両手を握り締めた。

「私はこの名前を『その人の美しさを生かす』という美容に携わる者の使命だと思っているんです」
美生さんは、誇らしげな笑みを浮かべた。

「……『使命』ですか」
澪さんは、何か思うところがあったようだった。

澪さんの画像を使って、色打掛のシミュレーションをした。今の技術は、本当に試着しているようなレベルで見ることが出来る。

「定番の赤も良いけど、緑がかった青も素敵です」
澪さんは青の色打掛に心惹かれているようだった。

「僕も青の方があなたらしくて良いと思います」
僕は、若い頃に新潟の旅館で見た、浅葱色の浴衣の美しい姿を思い浮かべた。

「……では、青の打掛で決まりですね」
美生さんは、タブレットにチェックを入れた。

「澪さん、式で流す写真なんですが、今からZoomで彩子さんと打ち合わせするので、ちょっと来てもらえませんか?」
息子に呼び出され、澪さんは別室に連れて行かれた。

「澪さんが打ち合わせしている間、お義父さんの衣装の打ち合わせをしましょうか。お義父さんは黒紋付羽織袴を着るとして……」
美生さんは僕の髪の毛を見た。

「普段のグレーヘアも素敵ですが、せっかくの晴れの日なので髪の毛を染めてみませんか?」
そう言うと、美生さんはタブレットで髪型のシミュレーションを始めた。

「これが普段のお義父さん、オールバックにするとこんな感じです。黒髪にすると……お義父さんの元々の整ったお顔が若々しくなります。澪さんもお喜びになるのでは?」

「確かに、黒髪の方が色打掛姿の彼女の隣にふさわしい気がします」
僕は顎に手を当て、タブレットを凝視した。

「いっそ、増毛とかしてみますか?」
美生さんは、ノリノリでタブレットを操作した。画面には、黒髪でフサフサの僕がいた。

「キモい」
別室から戻ってきて、シミュレーション画像を見た息子が、一蹴した。

「黒髪までは良いけど、不自然過ぎる。美生さん、父さんに何勧めてるの!」

「ごめん、調子に乗っちゃった!」
と美生さんは眉を下げて笑った。


4月になると、澪さんは看護師長の引き継ぎの為、さらに忙しくなった。僕もオンラインでの仕事と家事と結婚式の準備と忙しい日々を送っていた。僕は、退職していったん社会から離れたからか、仕事をすることで再び社会貢献出来ていることに喜びを感じていた。

澪さんはため息をつくことが増えていった。理由を聞いても、澪さんは「大丈夫、心配しないでください」と言うだけだった。澪さんが「退職したらパートタイムか単発の仕事を探す」と言っていたので、僕はその言葉を信じて、多忙なシフトにも目を瞑っていた。

僕は、澪さんのかわりに、ご両親に結婚式の招待状を渡しに高齢者施設に行った。

「新潟は遠いけれど、オンラインで繋がれるなんて、本当に便利な世の中になったね」とご両親は気丈に振る舞っていた。ずっと小山に居てくれると思っていた娘が遠くに行ってしまうのは、寂しくないはずがなかった。

「出来る限り、小山にも会いに来ます!」と言うと、「新潟での話を、楽しみにしているよ」と、ご両親は目尻にしわを寄せて微笑んでくれた。

アパートに帰る前に、レコードカフェに寄った。すっかり常連になったこの店とも、そろそろお別れである。

「もう少しで、引っ越してしまうんですね」
コーヒーを運んできた店主が、別れを惜しんでくれた。

「短い間でしたが、お世話になりました。義父母が小山の高齢者施設にいるので、こちらに来た時は妻と一緒に店に寄らせてもらいますね」

「ぜひ、いつでもいらっしゃって下さい。お待ち申しております」

僕は名残惜しむように、レコードとコーヒーを堪能した。今まで縁のなかった小山という土地に、離れることになっても寄りたい場所が出来た。おかで休んだことも、今となっては大切な日々になっていた。


引き継ぎがひと段落して、澪さんが休みを取った。とても疲れているようだった。僕は、終日新居のことや結婚式の準備を休むことにした。

僕は新潟で暮らしたい理由を、澪さんにきちんと伝えることにした。

「僕が新潟にこだわるのは、冬の日本海に惹かれているのもあるのですが、仲睦まじくあの土地で過ごしていた祖父母への憧れもあるんです。あなたとなら、憧れの暮らしが出来ると思ったんです。残念ながら、祖父母の家は老朽化で壊してしまいましたが……」

「そうだったのですね。航さんが憧れるなんて、きっと素敵なお祖父様、お祖母様だったのですね」

「空き家を壊す前、庭で半分土に埋もれたアクアクルーズの空瓶を見つけました。澪さん…僕と別れた後、あの家に行きましたね。」

僕はハンカチでくるんだ古びた香水瓶を取り出した。「サムライ アクアクルーズ」のオードトワレ、かつて僕が愛用していた香水。僕と別れた後、澪さんが空き家の庭に埋めたものの、動物に瓶を掘り返されたようだった。

「中身は海に還しました。けれど、瓶だけは航さんの側に居させてあげたいって思ったんです。
あなたが時々空き家に来ることは知っていましたから。」
澪さんは僕から瓶を受けとると、窓辺に飾った。
あの頃の鮮やかな色ではないけれど、味のある光を集めていた。

「エルバヴェールだけでなく、この瓶も『澪標』だったんですね。」

澪さんがアクアクルーズの瓶を埋めてくれたから、僕はエルバヴェールを使い続けることが自己満足ではないと思うことができたのだ。一生再会出来ずとも、心は澪さんと共にあると信じ続けることができたのだ。

僕は澪さんを背中から抱き締めた。
2人のエルバヴェールの香りがふわりと重なった。


夏が来て、待望の新居が完成した。小山という陸を離れ、新しい人生の航海に出る日が来たのだ。


結婚式当日の詳しい様子は、may_citrusさん原作短編「海の静けさと幸ある航海」で読むことが出来ます。

次回、最終回です。

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