2種類の「わからない」
英語を「教える」という職業についていて「わかりません」と正直に言える生徒さんたちは立派だと考えてます。わかっているふりは良くありません。
ただ、「わからない」には大きく分けて2種類あるような気がします。
一つ目は「わからないからもっと知りたい。」この場合、何がわからないかがはっきりしていると前に進みやすいのですが、必ずしもそうではなくても一緒に考えられるので非常に勉強しやすいです。
「どこからわからないんだろうね?」とか「どうしてわからなくなってしまったんだろうね?」という問いかけることで自分がつまづきやすいところに気がついたり、弱点に注意を払うようになると成長が見えてきます。
「わからない」が「あれ?、なんかおかしい」という変化が見られるとしめたもの。気がついてそこで考える。考えることで知識が深まります。
もう一つの「わからない」は言い方は悪いけれど、考えることをちょっとお休みしてしまった「わからない」。これは上の「わからない」とはるかに次元が違う「わからない」なので私は「さて、どうしようか」と立ち止まります。
「ちょっと考えてみようか?」と言っても「わからない」
「想像してみようか?」に対して「わからない」
答えをもらえることを期待しているかのような「わからない」
そこには諦めとも取れる気持ちが交錯しているように思います。
かと言って安易に答えを渡したくありません。
もちろん、単語一つを渡して「この意味は?」と質問しません。想像のしようがありませんから。
一つのセンテンスから見てどういう意味を持っている言葉かなあ、と考えてほしいわけであって、たとえその答えが間違っていたとしても、考えた姿勢を褒めてあげたい! と、常々思っていますが、ただ「わかりません」は困ってしまいます。
そういう「わからない」を上の「わからない」に持っていくためにはどうすれば良いか? まだまだ悩みます。
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