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MBTI:ことわざや慣用句との類似

 MBTIや16パターン性格診断の各タイプと具体的人物との関係に関して、ことわざや慣用句と具体的状況との関係と同じように接するのが賢明だ。とはいえ、ことわざや慣用句とは何であるのか、よく分かっていない人も少なからぬ数がいる。そこでまず、ことわざや慣用句とは何であるのかを確認しておこう。その後、性格類型とことわざや慣用句との類似を見ていこう。


■ことわざや慣用句の性質

 結論を先に述べておくと、ことわざや慣用句は事態や状況の名前みたいなものであり、存在意義もまた"名前"と同様である。具体的に見てみよう。

 以下のような正反対のことわざや慣用句がある。

A:巧遅は拙速に如かず
B:急がば回れ

 正反対のことわざや慣用句から「ことわざや慣用句っていい加減だな」と考える人もいる。しかし、そうではないのだ。ことわざや慣用句は具体的事態と同時に考えなければ、妥当であるとも妥当でないとも判断がつかないものだ。譬えてみれば、リンゴを見たとき「これはリンゴだ」と認識するならば妥当だが、梨を見たときに「これはリンゴだ」と認識したら妥当ではないのと同じなのだ。「リンゴ」という言葉、「梨」という言葉だけでは妥当であるとも妥当でないとも言えないのと同様なのである。

 話をAとBの慣用句・ことわざに戻そう。

 さて、とにかく仕上げなければならない事態に対して「巧遅は拙速に如かず」と認識するとき、その認識は妥当になる。あるいは、時間がかかっても良いから注意深く安全に進めなければならない事態に対して「急がば回れ」と認識するとき、その認識は妥当になる。逆に、とにかく仕上げなければならない事態に対して「急がば回れ」と認識することは妥当ではなく、時間がかかっても良いから注意深く安全に進めなければならない事態に対して「巧遅は拙速に如かず」と認識することもまた妥当ではない。

 ここで、直面した事態に対して「とにかく仕上げなければならない事態」と認識できたのであれば何も「巧遅は拙速に如かず」という言葉は要らないのではないか、あるいは「時間がかかっても良いから注意深く安全に進めなければならない事態」と認識できたのであれば「急がば回れ」という言葉は要らないのではないかと考える人が居るかもしれない。

 残念ながら、名無しのまま対象となるものを認識することは人間の能力からすれば非常に難しいことだ。そのことを別の例で見てみよう。

 例えば「ダイエット」という言葉を考えよう。

 日本語で類似の言葉を挙げるならば「減量」が最も近い言葉だろう。だが、減量と聞くと「もうすぐ競技大会でもあるんですか?」と尋ねたくなる。一方、ダイエットの場合はそんなニュアンスはない。また、「節制」も近い言葉だが、節制の言葉には体重を減らすこと以外の意味も含まれてしまう。食事制限や肥満解消だと「ダイエット」よりも限定された意味になってしまう。つまり、「ダイエット」という言葉が無ければ、ダイエットの言葉が指し示す対象を明確に把握することは難しい。確かにその対象は存在しているのだが、言葉が無ければ掴み続けることは困難極まりないのだ。

 「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」とのことわざや慣用句も同じである。別にそのことわざや慣用句が無くとも、「とにかく仕上げなければならない事態」や「時間がかかっても良いから注意深く安全に進めなければならない事態」という事態は存在している。しかし、「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」とのことわざや慣用句が無ければ、それらの事態を把握し続けることが難しいのだ。つまり、ことわざや慣用句によって類型化され、同様の事態への対処のノウハウを蓄積することが可能になるのである。

 ことわざや慣用句がどういったものかに関しては以上の説明で理解できたと思う。次は「ことわざや慣用句を活用できるようになる習得過程と意義」について考えていこう。

 これまで取り上げてきた「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」とのことわざ・慣用句の通り、間に合わせでいいから兎に角急いで仕上げる、あるいは時間をかけてもいいから注意深く仕上げる、そんな事態に直面することがある。しかし、超特急案件という極、リスク回避最優先案件という極に振り切った事態というものはあまり無い。現実の事態は大抵、一方の極から他方の極に向かう途中にある。現実の事態では「手早くお願い」または「丁寧にお願い」と言われたとしても、両睨みである程度のバランスを持ってどちらかに寄せる事態が殆どだ。

 つまり、直接体験することが然程ない「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」となり得る事態に関する確固としたイメージを持つために、極端な例の具体的情景とことわざや慣用句の概念とを結びつける。「あぁ、そういうことね」と納得できる具体例を見本にして、ことわざや慣用句を習得するのだ。

 では、「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」のことわざや慣用句を習得する意義とはなんだろうか。もちろん、先述の「そのような事態を把握する」という意義は当然ある。だがメタレベルで考えて、ことわざや慣用句で指し示される事態はなぜ把握されていなければならないのだろうか、その意義はなんだろうか。

 答えを言えば「いきなり直面して狼狽しないため」である。

 我々は、ついつい見慣れた事態だけが存在すると考えてしまう。いわゆる正常性バイアスと同根のバイアスだ。見知らぬものは存在しないとついつい考えてしまう。

 例えば、注意深く丁寧に仕事することばかりに接していると、やっつけ仕事でもいいから時間内に完成させるべき事態に直面すると、狼狽してしまう。「いくら時間が無いからって、いい加減な仕事していいの?」と狼狽えてしまうのだ。逆に、兎に角間に合わせでいいから急いで仕上げることばかりに接していると、注意深く丁寧に仕事しなければならない事態に直面したとき意味もなく焦燥感に駆られてしまう。

 しかし、「巧遅は拙速に如かず」「急がば回れ」のことわざや慣用句を、国語のテストのための暗記ではなく実際に活用できる形で習得していたならば、普段あまり直面することのない事態であっても、「あぁ、この場合はコレなんだよなぁ」と心づもりができ、落ち着いて対処できるようになるのだ。さらに、それを繰り返すことで事態の対処のノウハウが蓄積されていくことになる。

 これらが「ことわざや慣用句で指し示される事態を把握することの意義」なのだ。そして、このことわざや慣用句の性質と同様の性質が性格類型の知識にも当てはまる。次はそれについて見ていこう。


■性格類型の性質

 大抵の人は「他人も自分と大して変わりはしない」と認識する。その認識は決して間違いではなく、大抵の部分について他人と自分は大して変わらない。嬉しければ喜び、不当なことに遭遇すれば怒り、哀しければ泣き、楽しければ笑う。我々が他者とコミュニケーションが可能なのは、大部分において共通しているからである。

 しかし、大部分を共有しているからといって全ての人が同じでない事など当たり前のことだ。我々はみな個性があり、千差万別だ。全ての人が全ての人に対して重ならない部分を持っている。

 その重ならない部分はディスコミュニケーションを齎し不快を生じさせることもあるが、自分にとって未知の世界を示し新鮮な感動を齎すこともある。他者が持つ自己とは違う部分は、それを忌避することもあれば、それに魅せられていくこともある。

 他者と交流をするということは、そんな自己と重ならない他者の部分からの不意打ちを受ける可能性を引き受けるということだ。それは喜ばしいサプライズであることもあれば、不愉快極まりないアクシデントであることもある。このとき、喜ばしいサプライズであるならば心弾む驚きをただ享受すれば良いだけである。しかし、不愉快極まりないアクシデントであるとき周章狼狽して衝撃を受けるだけに終始することはできれば避けたいことだ。それに対する備えの一つが性格類型の把握と言えるだろう。

 先述の通り、自己と他者は精神の様式の大部分が共通している。そして大抵は自己と他者が重なる部分で交流している。しかし、突発的に訪れる重ならない部分での交流において不快な交流が発生することがある。そのとき、備えが無ければ無防備に傷つけられてしまう。だが、他者には自己と異なる不快を齎す部分が存在している事を知り、更にそれがどんな形をしているかを予め認識しておけば、事態そのものの回避や軽減あるいは納得による被害の無効化や減衰が可能になる。

 さて、世界人口は現在80億人を超えている。つまり性格は80億通り以上だ。しかし、MBTIないしは16パターン性格診断に関して、その80億通り以上の性格を16通りに縮約してしまっている。その縮約によって理解はし易くはなったが、当然ながら個別的には認識できなくなり見えなくなったものも多い。本来「自己との"重ならなさ"」も多種多様である。しかし、その"重ならなさ"の多様性もまた、MBTIや16パターン性格診断は16通りに縮約している。もちろん、その縮約は多様性の範囲を人間の認識能力の限界内に収めるための工夫である。だが、あくまでも人間の能力上の限界からくる縮約であることを頭の隅に置いておく必要がある。

 上述の通り、MBTIないしは16パターン性格診断は他者の重ならなさを16の類型にまとめる。この16の類型を具体性を持って理解し習得するためには、「ことわざや慣用句の習得」と同様に、極端な例の具体的情景と16の類型的性格とを結びつける。つまり、悪目立ちしている場合の情景でもって「有り得る自己との"重ならなさ"」を焼き付けるのである。そして、悪目立ちした人間と性格類型を共有する人間との交流においていつか不意に訪れるであろう"重ならなさ"が齎す不愉快なアクシデントに備えるのだ。

 そのことが「ことわざや慣用句の性質」と「性格類型の性質」の類似する性質なのである。


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