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MBTI:心理機能のはなし

 ユング(およびフロイト)の人間モデルが蒸気機関をイメージしていることについて、以前に以下のnote記事でほんの少し触れた。

 ユングの「心的エネルギー」のイメージは明らかに蒸気機関の蒸気をイメージしており、また、各心理機能を通して心的エネルギーが吹き出すとのイメージもまた蒸気機関そのままである。要するに、ユングの考え方を理解するとき、「圧力を持った気体」をイメージすると理解し易いものが多い。そして、大枠でユングの考え方を引き継いでいるMBTIおよび16パターン性格診断もまた、蒸気機関あるいは「圧力を持った気体」とイメージすると理解が進む。

 上記では蒸気機関がイメージされていると言ったが、心理機能をついては蒸気機関よりも、バズーカ砲のような無反動砲をイメージした方が分かり易い。すなわち、弾を前に飛ばす「前方の噴気」があると同時に、それを打ち消すための「バックブラスト=後方の噴気」が存在するとイメージするわけである。心的エネルギーは無反動砲の爆薬の爆発のように作用-反作用の形で前後に吹き出すという訳だ。そして、無反動砲の弾が飛ぶ前方に当たるのが「意識の領域」であり、バックブラストが吹き出す後方に当たるのが「無意識の領域」である。

 無反動砲はその言葉のとおり、前後で等しいエネルギーの噴気を放出するために「無反動=動かない」という状態にある。そのため、大きな弾を飛ばそうとする、すなわち前方噴気のエネルギーが大きいときには対応する後方噴気のエネルギーもまた大きくなければならない。前方噴気だけが大きいとき、砲は後ろにすっ飛んで行って壊れてしまう(もっとも、無反動砲ではない普通の大砲は反動を抑えるために砲の重量を重くする、あるいは駐退機構が存在する)。

 心理機能も同様のメカニズムで精神のバランスを取ろうとしていると考える。つまり、意識領域に強い心的エネルギーを吹き出させるとき、同様に強い心的エネルギーを無意識領域に吹き出させないと精神がおかしくなると考えるのだ。つまり、心理機能は方向性が逆の機能とセットになって心的エネルギーを吹き出させることになる。ただし、意識領域に吹き出す心的エネルギーと無意識領域に吹き出す心的エネルギーは、意識領域に吹き出す心的エネルギーの方が大きく非対称である。したがって、(基本的に)意識領域の方向に偏ることになる。

 今回のnote記事では、上記の見方を用いて、8つの心理機能の関係、シャドウ、MBTIの通常期と不調期・回復期と危機期の精神モデルに関して、私の見解を述べていこう。


8種類の心理機能バズーカの補完関係

 さて、心理機能には、Se・Si・Ne・Ni・Te・Ti・Fe・Fiの8つがあるが、上述の通り2つ一組になって心的エネルギーを吹き出す機関となる。このとき、組み合わせされるものはSe-Ni,Si-Ne,Te-Fi,Ti-Feである。さらに、ユングの考え方においては一組、MBTIおよび16パターン性格診断においては2組の心的エネルギーを吹き出す機関を持つことになる。

 この2つの心理機能が組みとなった心的エネルギーを吹き出す機関を本稿において仮に「心理機能バズーカ」と呼ぼう。この心理機能バズーカは、8種類考えることができる。原則的に意識領域に吹き出す心理機能を前に、原則的に無意識領域に吹き出す心理機能を後ろに表示すると、8種類の心理機能バズーカは以下のように表すことが出来る。

Aグループ          Bグループ
1.Se-Niバズーカ       1.Te-Fiバズーカ
2.Si-Neバズーカ       2.Ti-Feバズーカ
3.Ne-Siバズーカ       3.Fe-Tiバズーカ
4.Ni-Seバズーカ       4.Fi-Teバズーカ

 この8種類の心理機能バズーカの意識側心理機能と無意識側心理機能は、補完関係にある。その様子を確認しよう。

・A1.Se-Niバズーカの補完関係

 Seの認識対象はザックリ言えば客観的現実世界である。現実としての社会および社会の様々な側面といっていい。さて、それらが上手くいっているとき、その背後には優れたヴィジョン・シナリオ・計画・目標等が存在している。このヴィジョン等はNiによって認識されるものだ。そして、Niがシッカリしているからこそ、Seがシッカリすると言っていい。逆にNiの認識対象がアヤフヤなとき、Seの認識対象もまた上手くいかなくなる。要するに、意識されているSeに基づく行動は無意識のNiによって支えられていると言える。

・A2.Si-Neバズーカの補完関係

 Siの認識対象はザックリ言えば主観的現実世界である。現実の存在としての当人の人生と言ってもよい。さて、それらが充実していると感じるとき、その背後には優れた人生哲学・世界観・社会観・宗教観といった、自分が生きている世界において自分という存在が意味づけられる体系が存在している。充実した人生には「あぁ、自分は自分の人生をシッカリと生きている」と確信させる体系があるのだ。この体系を認識させるものがNeである。逆に、Neによって認識させる世界観が失われると、社会学者のデュルケムが指摘したアノミー状態になる。

アノミー
〈無法律状態〉〈神法の無視〉を意味するギリシア語anomosに由来する概念。中世以来廃語になっていたものをデュルケームが社会学概念として定式化し,〈行為を規制する共通の価値や道徳的規準を失った混沌状態〉と定義した。その後,資本主義の高度化,社会の大衆化(大衆社会)に伴う社会解体現象を分析・記述するために有効なものとして利用された。一般にアノミー概念は,ある社会に支配的な規範や価値体系の混乱ないしは崩壊状態が抗争などによって示されるという社会的な側面と,そうした状況を反映した人間の不安,自己喪失感,無力感などの心理的な側面の両面に注目する。またデ・グレージアは,価値体系の危機の度合から単純アノミーと急性アノミーに分類している。

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・A3.Ne-Siバズーカの補完関係

 Neの認識対象は先に述べた通り、人生哲学・世界観・社会観・宗教観といった体系である。しかし、それらがもしも人間存在にとって全く有意義でないとき、すなわち、個々人にとって当人の人生を豊かにする側面が一切ないとき、人生哲学・世界観・社会観・宗教観といった体系が力を持ちうるのかを考えればよい。本人自身の生における「あぁ、そのことに納得がいく」という体験抜きに、シッカリとした人生哲学・世界観・社会観・宗教観等を保持続けられるかを想像するといい。Neの認識対象である人生哲学・世界観・社会観・宗教観あるいは科学観といった体系に向ける意識は、無意識のSiの認識対象である個々人の体験に支えられていることに気づくだろう。この確信の構造に関して詳しく知りたい人はフッサールが始めた現象学を学ぶことを奨める。

・A4.Ni-Seバズーカの補完関係

 Niの認識対象は先に述べた通り、ヴィジョン・シナリオ・計画・目標等である。これが、Seの認識対象である客観的現実世界、現実としての社会および社会の様々な側面に基盤を持たないのであれば、机上の空論になることは論を待たないだろう。

・B1.Te-Fiバズーカの補完関係

 Teの認識対象は、Neの個別的側面と言っていいものである。Neがマクロ的であるのに対してTeはミクロ的といってもいい。いま正に直面している状況における直接的な客観的判断対象あるいは客観的判断基準ないしは第三者と共有し得る判断基準と言えるものである。例示すれば統計データを典型とする数値化された各種のデータ、あるいは科学的知見や法律ないしは社会通念や常識といったものがTeの認識対象である。

 このTeの認識対象についてだが、ある意味でNeの認識対象と非常に類似した側面がある(※)。それは「受け入れる構え」についてである。例えば、いくら科学的知見に基づいて「これは安全ですよ」と言われても「そんなこと言われても安心できない」と主張する人が居る。子宮頸がんワクチン・放射線の食品照射に対するバカバカしいまでの日本の後進性は、日本人の多くの各個人のFiの認識対象である個々人自身の感情が、Teの認識対象である科学的知見を受け入れようとしていないことに起因する。これらのことは、Teの認識対象である科学的知見が、無意識領域で働くFiの認識対象である感情が受容して初めて受け入れられることを示している。つまり、ガリレオ・ガリレイを宗教裁判にかけた中世人から一歩も先に進んでいない側面が現代の人間にもあるのだ。そして、民衆に当てはまるマクロ的な現象といったものではなく、個々人自身の内部においても「感情面で受け入れる構えがあること」によってTeの認識対象は支えられているのである。

※ただし、私個人としてはNeとTeの認識対象への受容の構えに違いがあるのか未だよく理解できていない。

・B2.Ti-Feバズーカの補完関係

 Tiの認識対象は、客観性を志向する主観的思考である。「私にとってそうであるだけなく、あなたを含めた皆にとってもそうであるような、私の思考」というものがTiの認識対象と言えるだろう。上記のTe-Fiバズーカでの補完関係の説明における事態を逆からみた事態がTi-Feバズーカの補完関係である。つまり「私にとってそうであるだけなく、あなたを含めた皆にとってもそうであるような、私の思考」における「あなたを含めた皆にとっても」の部分が満たされる為には、Feの認識対象である「周囲の皆の感情」が受け入れる構えにないといけない。つまり、Feの認識対象である「周囲の皆の感情」によって、Tiの認識対象である「私にとってそうであるだけなく、あなたを含めた皆にとってもそうであるような、私の思考」が支えられているのだ。

・B3.Fe-Tiバズーカの補完関係

 Feの認識対象である「周囲の皆の感情」について、その感情を「そうだ、そうだ!」と自分自身が共有できる条件を考えてみよう。周囲の感情に共感できるときはその感情が、"私の思考"に適っているからである。もしも「それで怒ったらアカンやろ」「いやいや、それを笑うのって変じゃない?」「それって悲しいのか?」と、同じ感情が湧かないだけでなく「そのような感情が生じることはおかしいのではないか」との本人自身の思考があったとき、周囲の感情を受け入れることはできない。「同じように感じることができない」だけでなく「その感情自体を受け入れてはダメと感じる」のだ。つまり、Feの認識対象「周囲の感情」に関して、その共感の前提としてTiの認識対象である本人自身の思考によって、その感情が許容されている必要がある。

・B4.Fi-Teバズーカの補完関係

 これに関しても、B3を反転させたものとなっている。

 さて、Fiの認識対象である「自分の感情」について、その感情を「そうだ、そうだ!」と周囲から共有してもらえる条件を考えてみよう。周囲が当該個人の感情に共感するときはその感情が、常識や社会通念に適っているからである。もしも「それで怒ったらアカンやろ」「いやいや、それを笑うのって変じゃない?」「それって悲しいのか?」と、「そのような感情が生じることはおかしいのではないか」と周囲が判断したとき、周囲は当該個人の感情を受け入れることはできない。「同じように感じることができない」だけでなく「その感情自体を受け入れてはダメと感じる」のだ。つまり、Fiの認識対象「自分の感情」に関して、その感情に対する周囲の共感の前提としてはTeの認識対象である常識や社会通念によってその感情が許容されている必要がある。


心理機能バズーカのバズーカたる所以とシャドウ

 前節の説明によって、心理機能バズーカの心理機能の補完関係は理解できたと思う。8種類の心理機能バズーカはいずれも前部にある心理機能を強力に機能させるためには、後部にある心理機能もまた強力に機能させなければならない。しかし、意識下にある心理機能バズーカの前部の心理機能の強力さ程に、無意識下にある後部の心理機能が機能しているかどうかは不明である。さらに、この前部と後部の心理機能の不均衡がシャドウと呼ばれるものを形成する。

 どういうことかを説明しよう。

 例えば、心理機能バズーカの前部の心理機能から心的エネルギーを16単位分吹き出させていると考えよう。また、後部の心理機能からは無意識に心的エネルギーが4単位吹き出ていたとしよう。すると、その差は12単位にもなる。反動を打ち消すに足りなかった12単位分が無意識領域で生まれる歪みとなる。

 また別の心理機能バズーカの前部の心理機能から心的エネルギーを18単位吹き出させ、後部の心理機能からは無意識に心的エネルギーが12単位吹き出ていたとする。すると、その差は6単位である。この場合も不足分の6単位が無意識領域で生まれる歪みとなる。

 このようにして無意識領域で生まれる歪みが蓄積されてシャドウが形成される。

 また、シャドウが形成される元になる歪みが生じる状態というものは、心理機能の能力不足で心的エネルギーが十分に吹き出せていないから起きる。それは「上手くいかなかった事態」によって歪んだとも言える。したがって、シャドウは「もしもこの心理機能の状態がもっと優れていればうまくいったのに」という恨み節によって形成されるものなので、シャドウは「実際には優れていない心理機能が優れている人格」のような形となる。シャドウを考えるときには、このような点においても注意が必要である。

 さて、我々は、8種類の内のどの心理機能バズーカを用いるかに関して癖があるのだが、状況に合わせて適宜、8種類の心理機能バズーカを撃ちまくっている。そのことによって、無意識領域でどんどんと歪みが蓄積されていき、シャドウを成長させてしまう。そして、成長したシャドウが良からぬ形で暴れ出すと、精神トラブルを起こしてしまう。

 このような事態を防止するためには、心理機能バズーカに関して、前方に噴出させる心的エネルギーすなわち意識領域での精神活動に対応した、後方に噴出させる心的エネルギーすなわち無意識領域で働く配慮を増やすようにしなければならない。すなわち、心理機能バズーカの前後の心理機能をセットで強化していく必要があるだ。

 では、以下において各心理機能バズーカがどういうシャドウをつくり出してしまうかを具体的に見ていこう。


心理機能バズーカのバックブラストが弱いと生まれるシャドウ

・A1.Se-Niバズーカのシャドウ

 Seの認識対象が客観的現実世界であり、現実としての社会および社会の様々な側面であることは先に述べた通りである。他者を含めた客観的および社会的現実世界において大きなアクションを取るときに必要になるのが、Niの認識対象である優れたヴィジョン・シナリオ・計画・目標等であることもまた先述の通りである。したがって、シャドウが形成されるのは、他者を含めた客観的および社会的現実世界で大きなアクションを取るにも関わらず、ヘッポコのヴィジョン・シナリオ・計画・目標しかないときである。巨大事業が実施されるにも拘らず計画書がA4ペラ1枚だとそんな事業は随所で破綻し中止に追い込まれるだろう。このようなヴィジョンやシナリオあるいは計画の無さによる歪みがSe-Niバズーカのシャドウとなる。

・A2.Si-Neバズーカのシャドウ

 Siの認識対象が主観的現実世界であり、現実の存在としての当人の人生と言えることについては先述の通りである。さて実に奇妙なことだが、我々は享楽的に快楽を追い求めるだけの人生を羨ましく覚えるが、実際にそのような人生を送ると恐らく「この人生の生き甲斐とはなんだろうか。自分の人生には意味があるのだろうか」と感じてしまう。

 実際、普通の人の2・3人分程度の生涯所得と同じだけの遺産を引き継いだ資産家が、常識的な美食や旅行といった娯楽に飽き足らず、余計な事業等に手を出して素寒貧になる話も耳にする。あるいは、アッパー層のパートナーと結婚し、なに不自由なく生活しているにも関わらず、ヨガ教室や輸入小物店などの有閑階級事業を始めて数千万円の赤字を出して結局パートナーに尻を拭ってもらう話は枚挙に暇がない。また、高額宝くじ当選者が身を持ち崩してしまうことなども有名だろう。

 これらの人々はSiの認識対象の個人的な現実世界において巨大すぎる幸運を得た人々だ。巨大すぎる幸運に見合うだけの自分という存在が意味づけられる確固たる体系が無ければ、心配する必要が全くないハズの「不安・無力感・疎外感」を感じてしまう。さらに、それを解消するために無闇に動いて、動く前の状態よりも状態を悪化させたりする。

 Si-Neバズーカのシャドウとは、充足しているハズの人生や私生活に対してお粗末すぎる人生哲学・世界観・社会観・宗教観しかないときに生じるアノミーがシャドウとなる。

・A3.Ne-Siバズーカのシャドウ

 Neの認識対象は先に述べた通り、人生哲学・世界観・社会観・宗教観といった体系である。しかし、それらがもしも人間存在にとって全く有意義でないとき、すなわち、Siの認識対象である個々人にとって当人の人生を豊かにする側面が一切ないとき、それらは空理空論であり、単なる虚構・空想に過ぎない。巨大すぎる人生哲学・世界観・社会観・宗教観に対して、当人の生活における実践が無いのであれば、自らの人生から空想に逃げ、過去の人生への後悔に立ち尽くすのみとなる。あるいは、現実との連続性のない夢見がちな行動となるか、虚像を演出するペテン師となる。このようにして生じる歪みがNe-Siバズーカのシャドウとなる。

・A4.Ni-Seバズーカのシャドウ

 Niの認識対象は先に述べた通り、ヴィジョン・シナリオ・計画・目標等である。これが、Seの認識対象である客観的現実世界、現実としての社会および社会の様々な側面に基盤を持たないのであれば、机上の空論になることは論を待たない。つまり、ヴィジョン・シナリオ・計画・目標等と客観的現実世界、現実としての社会および社会の様々な側面とのギャップによって生まれる歪み――絶望や夢想あるいは虚像の演出―—がNi-Seバズーカのシャドウを形作る。

・B1.Te-Fiバズーカのシャドウ

 Teの認識対象は、法律・常識・社会通念・科学的知見あるいは統計データを典型とする数値化されたデータである。つまり、「正しいと思うべきとされているもの」である。一方、Fiの認識対象は自分の感情である。この二つに差異があるとき、自分の中に湧き上がる感情がどのようなものかについての理解が無いとき、癇癪のような感情爆発が生じてしまう。あるいは自分の中において感情的な価値が無いにも拘わらず法律・常識・社会通念・科学的知見あるいは統計データに従うとき、自己疎外が生じる。この感情爆発や自己疎外によって生じる歪みがTe-Fiバズーカのシャドウである。

・B2.Ti-Feバズーカのシャドウ

 先述の通り、Tiの認識対象は、客観性を志向する主観的思考である。「私にとってそうであるだけなく、あなたを含めた皆にとってもそうであるような、私の思考」というものがTiの認識対象と言える。そして、「あなたを含めた皆にとっても」の部分が満たされる為には、Feの認識対象である「周囲の感情」が受け入れる構えにないといけない。他者の感情自体への配慮では必ずしもないのだが、もしも、他者を考慮しなくなるとき、その思考は唯の独善的思考となり、客観性を志向するとは言えなくなっていく(更に言えば、本人自身にすら意味不明となっていく)。このあたりの問題は、後期ウィトゲンシュタインが問題にした私的言語の不可能性の問題である。また、論語にある「思ひて学ばざれば則ち殆し」の問題とも繋がる。そういった形で生じる歪みから形成されるのがTi-Feバズーカのシャドウである。

・B3.Fe-Tiバズーカのシャドウ

 Feの認識対象である「周囲の感情」について、Tiの認識対象である自分自身が共有できる条件を考えることなく、周囲の感情に迎合して「そうだ、そうだ!」と騒ぐことを繰り返し、自分なりの定見を持たずに付和雷同してしまうようだと、何時しか自分というものが無くなるだろう。自分が希薄化していくことによって生じる歪みから形成されるのがFe-Tiバズーカのシャドウである。

・B4.Fi-Teバズーカのシャドウ

 Fiの認識対象である「自分の感情」の表出が、Teの認識対象である常識や社会通念によってその感情が許容されているかどうかの検討無しに行われるとき、その場合は常に幼児退行の危険が伴う。そんな幼児退行の危険を顧みず繰り返し感情表出を行うとき、危険という可能性が現実のものとなっていく。そんな幼児化によって形成されるのがFi-Teバズーカのシャドウである。


MBTIの精神モデル

 MBTIの精神モデルは、これまで論じてきたような心理機能バズーカの発展形のようなモデルである。単独で心理機能バズーカを考えるのではなく、2本セットにしたバズーカになっている。しかも、AグループとBグループから1本づつである。また、一方のバズーカが意識領域側がeであれば、他方のバズーカは意識領域側がiとなるような組み合わせである。

 更に特徴的なのが、精神状態を「通常期」-「不調期・回復期」-「危機期」の3段階に分けて、吹き出す心的エネルギーの有無やその領域が変わるという考え方を取る。また、「不調期・回復期」あるいは「危機期」においては、バズーカの心的エネルギーの吹き出す領域が変わるため、通常期においては無意識領域に吹き出していた心的エネルギー(とその働き)が意識されることになる。この状態が所謂「シャドウ」がオモテに出た状態となる。

 以下に図示してみよう。

MBTIの精神モデル1 (筆者作成)

 MBTIの精神モデルの通常期に関して、上図に示す様に「主機能-劣等機能の心理機能バズーカ」と「補助機能-代替機能の心理機能バズーカ」の二本組になっている。そして、意識領域においてモニターされているのは「主機能と補助機能」の組になっている。とはいえ、「主機能-劣等機能の心理機能バズーカ」と「補助機能-代替機能の心理機能バズーカ」という形でもあるのは変わりないので、「代替機能と劣等機能」は無意識領域に心的エネルギーを吹き出して無意識に機能している。また、通常期においては「主機能と補助機能」の「e-i」方向はお互い逆向きなので、行動・興味関心の進み方はそこまで大きくない。ただし、「主機能の心的エネルギー>補助機能の心的エネルギー」かつ「代替機能の心的エネルギー>劣等機能の心的エネルギー」の関係が成り立っているので、主機能が持つ「e-i」方向側に行動・興味関心は進む。

MBTIの精神モデル2 (筆者作成)

 不調期および回復期においては、「補助機能-代替機能の心理機能バズーカ」の補助機能側の心的エネルギーの吹き出し口がダメになり、心的エネルギーが吹き出せなくなると考える。また、意識がモニターできる吹き出し口は2つとMBTIでは考えるので、補助機能の次に心的エネルギーの吹き出し量が多い代替機能の吹き出し口をモニターするようになる。このとき、普段はオモテにでない代替機能の心的エネルギーの働き方は「シャドウ」と呼ばれるヘンテコな人格の働き方をすると見做されている。更に、この時期に意識領域でモニターされる心的エネルギーの吹き出し口の「e-i方向」は同じであり、行動・興味関心の進み方は非常に大きくなり、また精神の偏りは通常期は当然として危機期よりも大きくなる。

MBTIの精神モデル3 (筆者作成)

 危機期においては、「補助機能-代替機能の心理機能バズーカ」の両方の心的エネルギーの吹き出し口がダメになり、心的エネルギーが吹き出せなくなると考える。また、意識がモニターできる吹き出し口は2つとMBTIでは考えるので、劣等機能の吹き出し口をモニターするようになる。つまり、「主機能-劣等機能の心理機能バズーカ」の双方の心的エネルギーの吹き出し口が意識領域下に置かれる。このとき、普段はオモテにでない劣等機能の心的エネルギーの働き方もまた「シャドウ」と呼ばれるヘンテコな人格の働き方をすると見做されている。

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