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ノーベル賞候補・坂口志文 先生【教科書を書き換える制御性T細胞の発見】曖昧な自己と非自己の境界、がんの内服薬実用への期待

コロナ禍を通じて、体の免疫機能がいかに私達の心身を守っているか改めて知ることとなりましたが、日本は、免疫学において世界最先端です。免疫のアクセルとブレーキがあり、バランスが保たれていることを、日本の研究者が発見しました。

教科書を書き換えるノーベル賞級の大発見

1995年、坂口志文 先生(大阪大学免疫学フロンティア研究センター 特任教授)が、制御性T細胞(免疫のブレーキ)を発見され、これによりがんの治療が飛躍的に進歩しました。
奥深い免疫の作用について、坂口 志文先生に伺いました。


名医にインタビュー 坂口志文 先生

坂口志文先生 大阪大学免疫学 フロンティア研究センター 特任教授

坂口志文 さかぐち・しもん 過剰な免疫反応を抑える「制御性T細胞」を発見。2019年文化勲章、コッホ賞(ノーベル賞への登竜門)ほか受賞、ノーベル賞候補の一人といわれている。

―免疫機能は複雑で、長年治療に応用できませんでしたが、坂口先生の「制御性T細胞(免疫抑制細胞の一つ)」の発見は全世界に衝撃を与えました。複雑さの一端が解明され、この発見が後の免疫チェックポイント阻害剤の開発につながっていきました。免疫には、アクセルとブレーキがあり、アクセルが強すぎると自己免疫疾患になり、がんではブレーキが効き過ぎているという理解で宜しいでしょうか。

『国民のための名医ランキング2024~26年版』493頁より

坂口 免疫反応というのは何でもいいから起きればいいというわけではないのです。勿論、感染症には起きて欲しいのですが、免疫反応は強ければ強いほど良いというわけでなく、変なものに向かって起きたり、あるいは強すぎたりということがあります。
 変なものという意味では、アレルギーがあります。花粉症というのは、花粉そのものは毒物でも何でもないのですが、それに反応することによって、例えば鼻炎になり鼻水が出るということになるわけです。それと同じように、自己免疫病もそうです。自分に対しては普通反応しないのですが、反応してほしくないものに反応すると病気になるわけです。
 もう一つは、今おっしゃったように、「がん」です。これも、がんを攻撃する免疫反応が起きてほしいのですが、なかなか起きないというのは、がん組織の中で免疫のブレーキが効き過ぎているのではないかと推察されるわけです。
 免疫のメカニズムが少しずつ解明されて、特に抑える方のメカニズムを知ることによって、その抑えを弱くしたり、強くしたりすることで、色々な病気が治ったり、免疫反応をコントロールできたり、という時代になっています。

免疫における自己と非自己の境界

―免疫において「自己」と「非自己」をどういう仕組みで判別しているのか、大変興味深いところです。坂口先生の「何が自己と非自己をわけるのか?」という命題が、とても心に響きました。 二律背反という言葉を使っておられます。境界はどのようになっているのか、また、その境界を「動かせる」ということですが、体の中で攻撃するものとしないものをどういう風に認識しているのでしょうか?
坂口
 正常な状態、つまり自分を不必要に攻撃するリンパ球は十分抑え込めているけれども、ウイルスや細菌などの外敵が体内に侵入した際は十分に攻撃してほしいわけです。その攻撃するか攻撃しないかの境界は何かというと、一つは、免疫機能を抑制する側のリンパ球の強さをどう設定するかにあります。 そこをうまく動かせれば、免疫反応が高くなったり低くなったりするし、極端な場合は、自分にも反応してしまうわけです。
 がんに対して免疫反応を起こしたいから、免疫反応がどんどん起こるように抑えを取ってしまうと、今度は本当の自分にも反応してしまうわけです。今のがん免疫療法というのは、確かに効果があるのですが、副作用の最たるものは、自己免疫病であり、腸内細菌に対する過剰な免疫反応としての炎症性腸炎がどうしても起きてしまうわけです。
 免疫力が必要以上に強すぎると、アレルギーや、膠原病の関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、甲状腺のバセドウ病、橋本病、膵臓の1型糖尿病、 肝臓の自己免疫性肝炎のような自己免疫疾患となってしまい、免疫力が十分にないと、感染症やがんなどへの抵抗力が低下してしまいます。
 自己と非自己というのは、極めて曖昧で線引きが難しいです。

『国民のための名医ランキング2024~26年版』495頁より

成人病は炎症を伴う、ならば免疫の力でコントロールできるのでは

―「自己と非自己の境界」とは、哲学的ですね。医学の進歩は免疫学の進歩と密接で、人類の長い闘いを感じます。
坂口
 そうですね。昔、北里柴三郎先生の時代は、病気を起こすような細菌が多くて、それを見つけて、それに対して抗毒素やワクチンを作るということでよかったのですが、もう少し免疫学が進んできますと、単に外から来る病原微生物に対する免疫反応だけではないということがわかってきました。
 成人病には、肥満、血管の動脈硬化、パーキンソン病やアルツハイマー病といった神経変性疾患など、色々な病気がありますが、これらに免疫が関係していないかというと、副次的には関係しているのです。
 何故かというと、そういう疾患では、必ず炎症が起きていて、炎症が起きるとそれをコントロールするために免疫系がちゃんと働くのです。
 昔は動脈硬化というのは、パイプが詰まるように色々なものが沈着して固くなっていく認識だけだったのですが、それだけではなく、そこには炎症が起こっていることがわかってきました。
 動脈硬化が起きかけている血管の内皮には、マクロファージ(白血球の一種。死んだ細胞やその破片、体内に生じた変性物質や侵入した細菌などの異物を捕食して消化し掃除屋の役割を果たす)が来て色々な異物を食べます。するとそれが刺激となって、そこには炎症が起き、制御性T細胞も飛んできます。つまり炎症が起きることで、マクロファージの清掃作業以外の余分な免疫反応が連鎖的に起こってしまい、それがさらに動脈硬化を進めてしまいます。
 これから考えられるのは、炎症、つまり免疫系をもう少しコントロールしてやると、動脈硬化の進行を防げられるのではないかということです。
 あるいは、肥満になりますと、脂肪組織では、一生懸命マクロファージが脂肪を食べて処理しようとしています。そういう刺激がマクロファージに入ると、色々な物質、サイトカインを出して、炎症が起きるわけです。すると、インシュリンに対する抵抗性が出てきます。ならば、脂肪組織での炎症をコントロールすれば、免疫系の力を使って、成人病をコントロールできるのではないかということにもなるわけです。
 単に昔の病原微生物に対する免疫反応が免疫なのだという時代から、もう少し広く病態を免疫系から考察したり、また、炎症を伴うような他の疾患に対しても、免疫が原因ではないけれど、免疫系を操作することによって、病気をある程度コントールできるのではないかという時代に我々はいるわけです。

がん治療―制御性T細胞を減らし、免疫療法の効果を上げる

『国民のための名医ランキング2024~26年版』497頁より

―がん治療において、坂口先生は4パターンあると語っておられます。
① がん細胞を殺す
② 制御性T細胞を枯渇させるか、その抑制作用を弱める
③ワクチンにより、がん抗原を強く効果的に提示する
④ T細胞を活性化してがん細胞を攻撃させる
 ②については、各がん(抗原)に対して特異的にでしょうか?
坂口 
まずは歴史的なことをお話しましょう。
 がんの免疫療法において、日本でもつい最近までがんワクチンを盛んに研究していました。コロナや麻疹など病原微生物に対してワクチンが効くように、がん細胞に対してもワクチンが効けば、理想的なわけです。
 しかし、現実は、がんワクチンだけではあまり効果がないです。何故効かないかというと、一つには、がんワクチンでがんが少し壊れたとして、その次に何が起きるかというと、制御性T細胞が活性化されてしまうのです。攻撃する側の免疫力が活性化されると、今度は免疫反応を抑える力も活性化されます。体の中は極端な方にいかないよう、バランスを取るように制御されているので、たとえ相手ががん細胞であったとしても、攻撃の方だけ強化するというのは容易ではありません。
 放射線などでできるだけ局所だけがん細胞だけを壊すとします。がんが壊れれば、がん抗原がそこから出てきますから、免疫系は活性化されます。しかし、最初に活性化されるのは、制御性T細胞です。では、がん細胞を壊した次に、あるいはその前に、制御性T細胞をやっつけておいたら、免疫反応は高まるはずです。
 そういう意味で、がん治療では組み合わせと順番が重要です。制御性T細胞をやっつけておいて、がんワクチンを投与すれば、当然がんワクチンに対する免疫反応は上がります。また、がんを攻撃するリンパ球も活性が上がります。
 今のがんの免疫療法はいろいろありますが、基本はがんを攻撃するリンパ球のお尻をたたいてもっと働け、ということをやっています。
 がん治療では、いろいろな治療法のコンビネーションと順番を考えれば、もっと効果的になるのではないかと考えています。手術、薬物療法、放射線治療、免疫療法といったものの順序や組み合わせです。

免疫療法は転移がんへの効果が期待される

―がんの放射線治療が進歩したときに、手術や化学療法とのコンビネーションが言われ始めましたが、さらに坂口先生の制御性T細胞発見によって、がん治療全体のデザインが違ってくるということですね。
坂口
 そうですね。がんというのは、転移しなければ、局所にとどまっている限りは外科的な手術もできますし、勿論変なところにできて手術できない場合もありますけれど、転移を抑えられればいいわけです。
 例えば、がんの原発巣は取ってしまったけれど、少しどこかに転移しているというのが進行がんの状況です。あるいは、胃がんが腹膜の中に散らばってしまって、ということになるわけです。
 がんがどこかに飛んで隠れているというのを、どうやってやっつけるかということになりますと、放射線療法は、ある程度大きくなったときは使えますが、がんがどこかに飛んでどこにあるかわからない時は使えないわけです。
 そういう時におそらく免疫の力というのは、転移したがんを見つけて攻撃してくれるだろうと思います。そういう目的で、がん免疫療法を使うわけです。

がんが高血圧のように治療される時代へ

―免疫療法が、希望する患者さんにもう少し広い範囲で使われるようになるといいと思います。
坂口
 費用的にも非常に高価ですので、現在の使い方は、どんな人にもがんと診断されたら、次の日からこの治療法を始めましょうというわけにはいきません。効くがんと効かないがんがあるというのも、事実としてあります。
 分子生物学的なことがわかってきますと、今度は口から飲めるような免疫療法の薬が作れるのではないかと考えています。
 そうしたら、もっと安価に、どんな人でもがんと診断されたら、その日から「ちょっと寝る前にこの薬飲んでください、ちょっと様子見てから、次に外科的に取るか、ちょっと考えましょう」と、まず免疫療法を行うということが将来的には可能になって、がんが普通の病気として、成人病の一つとして高血圧と同じくらいに考えられる、そういう時代がくれば良いと思います。

口から飲めるがん治療薬 10年以内に可能に

―患者にとって非常に希望のあるお話です。どのくらいのスパンで考えられるのでしょうか? 10年なのか、20年なのか、その辺の見通しはどうでしょうか?
坂口
 そうですね。例えば、口から飲める薬で、この免疫反応を上げるようなものは、私は10年以内には可能になると思います。現実には、我々はその方向で研究をしています。
 日本がそういうものを率先して作っていければと思います。
 例えば、今の抗体薬(免疫システムの担い手の一つである抗体を利用した薬)をアフリカで使えるかというとそれは無理なわけです。抗体を保存しておくのに、まず冷蔵庫がいるわけですから、まず冷蔵庫を配ってと、コロナの時のように、マイナス80度の冷凍庫をまず配ってというイメージになってしまうわけです。東南アジアでも、アフリカでも使えるようながんの免疫療法となりますと、口から飲めて、同じような効果があるというものを開発していくというのが重要なわけです。
 そういう次を狙って、日本の研究の世界からでも、製薬会社からでもいいですけれども、次を考えた開発、研究というのが、私は重要だと思います。頑張れば、私は10年以内に可能になると思います。


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