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本日の一曲 vol.279 プリンス フォー・ユー (Prince: For You, 1978) プリンス ビューティフル・ストレンジ公開記念

プリンス(1958年6月7日生~2016年4月21日没)さんのドキュメンタリー映画「プリンス ビューティフル・ストレンジ」が公開されることになりました。

プリンスさんは、紛れもない天才ミュージシャンだと思います。1958年6月7日、ジャズ・ミュージシャンの父ジョン・ルイス・ネルソン(John Lewis Nelson)とジャズ・シンガーの母マッティ・デラ(Mattie Della)さんとの間にアメリカ・ミネソタ州のミネアポリスで生まれ、十代のころまでずっとミネアポリスで暮らしました。最初に曲を書いたのは、7歳のときで、父親のピアノを使って書きました。ギターを最初に買ってくれたのも父親でした。中学、高校とミネアポリスの学校に通いましたが、ミネソタ・ダンス・シアターでクラシック・バレエを習ったこともありました。1975年12月にミネアポリスのファンクグループ「94イースト(94 East)」に参加し、1976年にはデモテープを作成し、翌1977年にレコード会社のワーナー・ブラーザーズと3枚のアルバムをプリンスさんのコントロールの下に制作するという契約を締結しました。プリンスさんは、セルフ・プロデュースで、ソングライティングとすべての楽器演奏を一人でやって、1978年4月7日にファーストアルバム「フォー・ユー(For You)」をリリースしました。

本日ご紹介する「フォー・ユー」は、ファーストアルバムのタイトル曲で、アルバムの1曲目に収録された1分程度の短い曲です。プリンスさんが一人でレコーディングしたファルセット中心のコーラスワークからなる1曲です。

この曲がプリンスさんの始まりであり、以降38年間に渡り、プリンスさんの音楽が繰り広げられるのです。

もう1曲、「アイム・ユアーズ(I'm Yours)」です。

しかし、このファーストアルバムはあまり売れなかったため、プリンスさんは、すぐに次のレコーディングに着手し、1979年10月、セルフ・プロデュースのセカンドアルバム「愛のペガサス(Prince)」をリリースします。このアルバムもソングライティング、演奏はすべてプリンスさん自身がやっています。

ロック・テイストの「バンビ(Bambi)」。

後にチャカ・カーン(Chaka Kahn)さんに提供した「アイ・フィール・フォー・ユー(I Feel For You)」。

このアルバムは、ビルボード200で22位までになり、プラチナ・アルバムになりました。また、「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー(I Wanna Be Your Lover)」と「つれない仕打ち(Why You Wanna Treat Me So Bad?)」の2枚のヒットシングルを出しました。

日本では、ファーストアルバムは発売されなかったようですが、セカンドアルバムは、タイトルを「愛のペガサス」となかなか攻めた名前が付けられました。プリンスさんは、1980年10月にサードアルバム「ダーティー・マインド(Dirty Mind)」をリリースしましたが、これはプリンスさんが作ったデモ・テープをそのままリリースしてしまったような荒削りなアルバムで、それに加えて、ビキニブリーフ1枚にトレンチコートを羽織った刺激的なスタイルでのアルバム・カバーとミュージック・ビデオ、さらにはアルバムに収録された「ヘッド(Head)」と「シスター(Sister)」が性的露悪的だとして批判されるなど、当時のセールス的にはふるいませんでした。

そして、1981年10月、当初のワーナー・ブラザーズとの契約の3枚のアルバムの3枚目のアルバム(おそらく「ダーティー・マインド」は急遽リリースされたようなので、カウントされなかったと思います。)、「ダーティー・マインド」を入れると4枚目のアルバム「戦慄の貴公子(Controversy)」がリリースされました。邦題と原題とでは、またもや意味がかけ離れているのですが、原題の「contorversy」とは「論争」のことで、当時、プリンスさんを取り巻いていた人種、宗教やセクシャリティのことなどをテーマにしたと考えられています。また、このアルバムも、プロデュースからソングライティング、演奏までほぼプリンスさんが一人でこなしています。

1枚目のシングルとなった「戦慄の貴公子(Controversy)」。

2枚目のシングルとなった「セクシュアリティ(Sexuality)」。

この「戦慄の貴公子」はセールスは順調でプラチナ認定されましたが、このアルバムのリリース後、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の前座を務めたことがあり、そこで「ダーティー・マインド」の衣装をまとってステージに出たため、ゴミを投げられ、20分で演奏を止めてしまうアクシデントがあったりしました。

しかし、このあと、大作のアルバム「1999」や、大ヒットした「パープル・レイン(Purple Rain)」を連発し、天才との評価を不動のものにしていくのです。

(by R)

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