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面倒くさい人の物語/ガールズバンドクライ

『ガールズバンドクライ』というアニメを見ている。まさか自分がガールズバンドのアニメを見るとは思ってもみなかったが、何気なく見始めたら面白すぎた。とにかく主人公が「いい性格」なのだ。「良い性格」ではない。いい性格。この子の日常をずっと見ていたい。3話冒頭の「ハトとの共演」なんて、本当に感心してしまうくらい素晴らしい。とりあえず感じたことをメモしておく。

#ネタバレあり

怒りの感情は良くない感情だ。それはコントロールすべきものだし、隠すべきもの。まき散らしてはいけない。それは万人に公平なルールだ。でもこのルールは実は公平ではない。怒りのエネルギーが強い人と弱い人がいるのだ。何に対しても怒りのパワーを充電できる人。私はそういうタイプの人間、つまり「面倒くさい人間」だという自覚がある。面倒くさい人間と言うのは、周りの人が面倒くさいと思う以上に、自分自身が自分を面倒くさいと思っていて、自分を持て余している。
主人公の仁菜は、面倒くさい人間だ。すぐに体の周りからトゲトゲが出始める。この作品を簡単に言うなら、このトゲトゲ人間を肯定しようという作品だろう。それだけだと「良くあるテーマ」だ。けど、この作品の面白いところは、私たちの持っている「面倒くさい人への嫌悪感」を忘れさせない演出が徹底しているところだ。面倒くさいところにもいいところがある、という話にはしない。仁菜の面倒さに、私たちは生理的に嫌悪感を抱く。先輩の桃花の思いやりをあだで返すようなことする。人として許されない不義理をたびたび繰り返す。そのたびに見ている私たちは嫌悪感を感じる。いやだなぁ、と思う。ドン引きする。それは、仁菜の歌声が素晴らしいことで帳消しにならない。
でも、そんな仁菜を私たちは「人に嫌悪感を与えるハンデを背負って生きる人」と感じる。彼女はいろんな嫌悪感に晒される才能を持っている。そしてその才能は「私たちの苦しみや痛みを吐き出す才能」と同じもの。だから彼女はマイナスとプラスが極端に混在している。彼女には良いところと悪いところがある、と言う話ではない。同じ属性が、それを見る角度によってプラスにもマイナスにも見える。それは見る側の問題なのだ。私たちがそれを実感する。それがこの作品の魅力だ。
私たちは、仁菜のマイナスとプラスの落差から生まれるコミカルな挙動に思わず笑ってしまう。作曲に夢中なって早朝にハトと共演をして落ち込む。それでも、内から湧き出る怒りのパワーで何かを吐き出しつづけることはやめられない。誰かのためじゃなく、彼女はそうやってしか生きられない。でも彼女のその苦しみは、まるで私たちみんなのために苦しんでいるように感じられる。だから、彼女の日常はコミカルなんだけれど、思わず涙が溢れそうになる。

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