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ガールズバンドクライ6話/二人の桃花。大人は切ない。

『ガールズバンドクライ』6話視聴。桃花さんは二人いる。桃花さん、切ねぇーっす。私にとってはそういう回だった。感じたことをメモしておく。

#ネタバレあり

これまで3人で活動してきた「新川崎(仮)」に、ベースとキーボードが加わり、音に厚みが出る(物語にも厚みが出る)。6話はそういう「とても前向き」な話だ。だからこそ、そこに乗れない「大人の桃花」の切なさが際立つ話になっている。でもここで言う「大人」とは何を指しているのか、ちゃんと考えてみたい。

この物語の中で、桃花は「大人」として描かれている。子供と大人を分けるものは何か。色々な考え方があるだろうけど、この物語では「敗北の経験」の有無だと私は思う。でも、仁菜だって熊本で一度は負けたのではないか。智(キーボードの子)も過去に大きな傷を負ってそうだ。では二人も大人なのか?もちろんそれは違う。二人は子供として描かれている。この二人に共通するのは「自分は間違っていない」「絶対負けたくない」という思いだ。彼女たちは負けを認めていない。認めたらおしまいだ、という強い思いがある。
桃花さんは違う。彼女は「自分は間違っていた」と認め、敗北を受け入れている。敗北を受け入れた経験が大人の条件。この定義を使うなら、大人とは「子供が成長した姿」ではない。大人とは「癒えない傷」と一生付き合っていくことになった人だ。だから一生子供のままの人もいる。でも多くの人は、いやでも大人になってしまう。そういう切ない存在が、私の言う「大人」ということになる。

大人から見た子供はまぶしい存在である。と同時に、胸をえぐる存在でもある。彼らは負けてしまった自分を突き付けてくる。それでいいの?そう問いかけてくる。仁菜のように直接聞いてくるヤツは珍しいだろう。けど、本質的に子供は「大人の胸をえぐる問い」をぶつけてくるもの。そしてそれは、見ていて「とても切ないもの」だ。仁菜たちとは違って、桃花さんの傷は、きっとずっと癒えない。それは「彼女の中にある何か」が癒えることを許さないから。癒えない傷とうまく付き合っていくこと。それが桃花ができることのすべてだ。

でもそれは、決して悪いことだけではない。傷が癒えないということは、その時の感覚を忘れないでいられる、ということだ。それは過去をありありと思い出せる鍵だ。私たちは過去を物語化して生きている。私たちはすぐに「とても複雑な経験」を、単純な因果関係の物語に変換してしまう。だから私たちが過去を思い出すとき、味わうのは「とても薄いスープの味」だ。でも稀に、濃密なスープの原液が味わえることがある。その時感じていた感覚がよみがえってくることがある。それがもし辛い経験だった場合は、フラッシュバックと呼ばれる、とてもよくないことになる。でもそれが自分にとって「得難い経験」だった場合は、「過去がよみがえってくる経験」は人生を濃密にする。大人だけが持っている「癒えない傷」は、人生を濃密にする鍵にもなっているのだ。

今の桃花さんにとって、過去の傷をおもいだすことはフラッシュバックに近いものだろう。でも、仁菜たちの力を浴びることで、過去の傷を「得難い経験」に変えることはできるはずだ。子供たちは「自分が間違っていないことの証明」「負けないため」の戦いに立ち向かおうとしている。一方で大人の桃花さんは「敗北の経験」を「得難い経験」に変えるための戦いに立ち向かうのだろう。そして桃花さんの方が、はるかに「立ち向かうのが難しい戦い」になるはずだ。自分の癒えない傷と向き合う戦い。それはとても辛く苦しい。でもそれが、大人の役割ということなのだろう。そんなことを考えると、ますます桃花さんのシーンが切なくて胸に迫る。私にとって6話はそういうお話でした。

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