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『ガールズバンドクライ』で思い出す『訂正可能性の哲学』/リセット主義と子供と大人

『ガールズバンドクライ』というアニメを見ている。主人公の面倒くさいキャラが面白くて見ていた。が、6話視聴して「桃花さん」というキャラの切なさにヤラレた。彼女の境遇について色々考えていて、少し前に読んだ東浩紀さんの『訂正可能性の哲学』のことを思い出した。私たちは「実は~だった」と言う形で過去を訂正しながら生きている。辛い過去を持つ桃花。彼女でも、過去を前向きに訂正できるのだろうか。思ったことをメモしておく。

#ネタバレあり

●6話までのあらすじ
桃花は過去に「魂を掛けていたバンド(ダイヤモンドダスト)」を脱退している。そのバンドの目指していたのは「ばあさんになってもオリジナルメンバーで続けること」だったのだけれど、方向性の変更が許せなかった桃花は結局脱退してしまう。だから桃花は、裏切ったのは自分、と感じていて、音楽をやめようとしていた。
そこに仁菜が現れる。仁菜は桃花の歌に救われた人。お前は間違っていない。絶対に負けるな。そういうメッセージに救われた人だった。それはかつての桃花の「本当の気持ち」だろう。でも今の桃花はそこからズレている。仁菜は桃花に「かつての気持ち」を取り戻すことを迫る。自分を救ってくれた歌のメッセージは絶対に間違っていない。その気持ちを桃花にぶつける。桃花はかつての「本当の気持ち」に向き合わされる。でも「仲間を裏切った傷」を抱えている桃花は、かつてのように「本当の気持ち」に向き合うことはできない。

●桃花の立場のむつかしさ
こういう状況で桃花はどうすべきなのだろうか?「仲間を裏切った傷」を乗り越えて、かつての気持ちを取り戻す、というのが幸せなシナリオのように見える。でもそれは、実現可能なシナリオなのだろうか。
もちろん可能な場合はある。桃花さんが「子供」だった場合だ。なぜ子供である必要があるのか。それは「かつての気持ち」を取り戻すためには、傷を乗り越えて「生まれ変わる」必要があるだからだ。そしてそれは子供だけに認められた特権だ。でも桃花さんは大人だ。それはできない。
大人は「過去の記憶」を引き継ぎながら傷を乗り越える。桃花さんの場合なら「仲間を裏切った自分」をどうにかして受け入れるしかない。でもそれでは「かつての気持ち」は取り戻せない。取り戻せるのは「裏切った自分」を無かったことにできた場合で、それができるのは「子供」だ。そしてそこまで考えて、私は訂正可能性の哲学のことを思い出す。

●訂正可能性の哲学の「訂正」の肝
東浩紀さんの哲学について詳しく語れるほどの知識はない。なのでここは「受け売り」で、とても底の浅い話になる。
「リセット主義」という言葉がある。大きな変革をするときには、一度大きく破壊してしまって(リセットして)、新たにゼロから始めた方が良い、という考え方だ。明治維新とか戦後復興とかが(事実かどうかは別として)リセットしてうまくいった例として引き合いに出されることが多い。日本人に改革は向いていないので、日本は大震災が来てリセットした方が良いのだ、という極端な意見も存在する。でも東さんはリセット主義を批判する。リセットとは崩壊。崩壊していいわけがない。崩壊の力に頼ろうとするのはあまりにも軽率だ。そして本当に私たちを駆動している訂正の力とは、リセットではない訂正、過去の記憶を引き継ぎながら、過去を再規定するような力、じつは~だったと再発見する力、そういう力なのではないか。そう主張している(と思う)。

●桃花さんに思う、訂正可能性と子供と大人
そして、私が感じていることを書いておく。リセット主義は「成長する子供」にだけ許される特権ではないだろうか。子供はすぐに忘れる能力を持っている。でもそれは、完全に忘却するのではない。子供は記憶を変形させるのだ。成長する木に傷をつけると、成長に伴って傷は消えてしまう。でも本当は消えたのではなく、傷だと分からないほど変形してしまったのだ。子供も同じだ。すべてを忘れているのではなく、影も形も無くなるほど変形されてしまう。そしてそれは実質的なリセット主義だ。でも大人はリセットできない宿命にある。それは「安易にリセットしない責任がある」という話ではない。私たち大人の記憶能力は、影も形もなくなるほど変形させる力を失っている。残されているのは訂正可能性の力、「じつは~だった」の力だけだ。そしてその力は、私たちが直感的に感じるよりはるかに大きな力を持つ。それが東さんの『訂正可能性の哲学』から教わったことだ。私の感じたことを要約するなら「子供にしかできないことと、大人にしかできないことがある」というアホみたいなものだ。でも本当にそうだと思う。

ガールズバンドクライに戻る。主人公の仁菜は子供だ。リセット主義の力をフル活用して、彼女は過去の負けをチャラにすることが可能だろう。でも桃花さんは違う。過去の負けをもう一度ちゃんと受け入れて、そして「じつは~だった」という形の、遡及的歴史再規定の力で、彼女の歴史を書き換えるしかない。それはもちろんとても困難な道のりだろう。親友を裏切った過去と向き合って、そこで何かを発見するのはとても辛い道だ。自分が誰かを裏切った過去なんて二度と思い出したくない。でも、その過去の傷に塩を塗る「誰もやりたくない損な役回り」を、仁菜が何度でもやってくれるはずだ。そのたびに見ている私たちは、今回のエンディングのような「桃花の切ない表情」を目にするのかもしれない。でもそれを目撃して見届けるのが、私のような「作品のターゲットから大きくズレた大人の視聴者」の役割なのかもしれない。

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