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『葬送のフリーレン』を見終えて思うこと/物語の根底に流れる「大人の役割」

『葬送のフリーレン』の最終回が放映され、一旦の終劇を迎えた。長寿、後悔、鮮やかな過去想起、成長、師弟関係、言葉の力、くだらないもの、低温キャラクター、テンポの遅い会話。色々な要素がある作品だけど、その根底には一貫して「大人の役割」が描かれていたように私には感られる。なぜそう感じたのか、考えたことをメモしておく。

#ネタバレあり

●大人には、過去をちゃんと思い出す責任がある
大人とは、ある一定以上の過去体験を積み重ねた人だ。過去の体験は掛け替えのない宝物のようなものだろう。そしてそれをたくさん持っているのが大人だ。しかし、私たちはその説明に違和感を感じる。にわかには同意できない。大人は経験を積み重ねて説教臭くなる。過去の成功体験に縛られる。経験が邪魔をして「経験のない子供の気持ち」が分からない。老害という言葉も流行った。経験は本当に宝のようなものと言えるのだろうか。経験を重ねることは大事なものを永遠に失うこと、なのではないだろうか。
でもそれは正しくない。過去を思い出すフリーレンを見て私はそう感じた。私たちはみな子供だったことがある。そのとき体験したことの記憶は、私たちの中に存在する。フリーレンはヒンメルの葬儀で「この人のことはほとんど知らない」と感じていた。でもそのとき思い出せていなかった彼との記憶は、彼女の中に鮮やかに残っていた。そのことが、彼女のフェルン達との旅の中で分かる。彼女がヒンメルとの記憶を思い出すとき、その時の気持ちも含めて鮮やかに蘇っていた。そして、そういう現象は私たちにも起きる。だから「大人には子供の気持ちは分からない」というは絶対的な真理ではない。私たちは条件が揃えば子供に戻れる。私たちにはその条件を見つける責任がある。大人と子供の断絶を埋めるのは、大人の役割だ。

●言葉の良い力と悪い力を知っているのは大人
人間は言葉を操る。そして言葉に操られる。言葉の力は強力だ。私たちはSNSでは言葉の暴力が溢れていることを良く知っている。でも、それとうまく距離を取ることは難しい。簡単にその渦中に巻き込まれてしまう。言葉の暴力に巻き込まれないためは、論理的に話す能力や言語化する能力とはまったく別の能力が必要になる。それは、言葉の「良い力」を使って「悪い力」を使わないようにするための能力だ。
この物語では「言葉の悪い力を上手に使う魔族」と、それに立ち向かう人間という構図を通して「言葉の良い力」を引き出す重要性を感じるようになっている。一級魔法使い試験で人々は連携して立ち向かう。そこでは、急に集まった人たちが一瞬で信頼関係を築いていく。あの人はそういうことで嘘はつかない人だ。一瞬でその確信が得られるのは、論理性を超えたところにある言葉の良い力だ。この力を手に入れるには経験を重ねるが重要で、だからそれを子供に教えることは大人の役割だろう。

●大人になると分かる「低温の力」
人には瞬発力が重要な場面と、持久力が重要な場面がある。瞬発力はドーパミン的情熱の力がモノを言う。でも持久力はドーパミン的情熱とは逆の、低温の力が必要になる。やるべきことを淡々とこなす。感情に左右されずに、「しょうがないなぁ」と言いながら、きわめて日常フリーレン的なノリで淡々とこなしてゆくことの大切さは、経験を積み重ねないとなかなか理解できない。そういうものがモノを言う瞬間はそう多くない。でもいざその瞬間が来たなら、積み重ねの力でしか太刀打ちできない。そういうものなのだ。だから、浅い経験ではその重要性が身に染みて理解できない。低温の力は静かに積みあがり、その凄さはすぐには分からない。だから凄い能力であっても多くの人にはまったく気づかれない。それが、フリーレンの魔力制御能力のメタファーになっているのではないだろうか。

●今の若者の難しさと、大人の役割
今は少子化の時代だ。若い人の感性はとても貴重になっている。経験していない感性が重要視され、経験は邪魔ものになっている。成功体験は今では悪者の代表だ。老害的なものは無くすべき。そういう時代だ。しかしそのことが、逆に若者を苦しめていると私は感じる。それはなぜか。
若者の感性の強みは「怖いもの知らず」なところ、壁を乗り越える力だ。でもそれは大事にされるだけでは生きないものだ。怖いものがあるから「怖いもの知らず」は意味がある。壁がないと「壁を乗り越える力」はその力を向ける先がない。強みを生かす先をつぶされた若者は、それでも大事にされている事実によって、ストレスを吐き出す先すら見つけられずにいる。
この事態を打破するのに必要なのは「経験の復権」だ。経験が力を取り戻せば、若者にとっての怖いものが復活する。若者がぶつかる壁になる。でもどうやったら経験は復権するのか?
経験には「なにかを邪魔する弊害」がある。その原因は、経験が「理解可能な単純化」をされた形で呼び出されることにある。だからフリーレン的な経験の追体験のように、変換されない生の経験を呼び出すことができるなら、弊害のない経験として復権するだろう。つまり、思い出の想起の精度の問題だ。安易な想起ではなく、本物の想起が必要なのだろう。

●改めて、葬送のフリーレンに思うこと
この作品で一番印象に残っているのは、フリーレンの過去想起のシーンだ。過去想起が重要な意味を持つ作品は他にもたくさんあるだろう。でもこれだけ現在進行の物語に頻繁に過去回想が入り込み、そして現在と過去回想のどちらもが魅力的なものとして感じ続けることができる作品は記憶にない。だからこれまで、そういうことができるイメージは持てなかった。でもこの作品を見た後で、そのイメージを持てるようになっている。だから私は、もしかしたらそういう「頻繁に過去を鮮やかに蘇らせるように思い出せる魔法」が使えるようになっているのかもしれない。そういう期待をしてしまう、素晴らしい作品だった。

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