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大企業病について

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共感とは、結局なに?②(危険な共感)

共感は色々あるけれど、暴力性を持つ「危険な共感」がありそうだ。ここでいう暴力性は「相手の気持ちがありありと分かってしまうこと」つまり「秘密の暴露」という暴力が行使できてしまうという意味だ。私は、「危険な信頼」について考えたくて、共感を考えているのだから、やっぱりこのヤバイ共感を考える必要があるのだろう。すごく難しそうだけど。

この深い共感は「感動できる物語」の典型的なものだろう。例えば、「竜とそ

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共感とは、結局なに?

共感という言葉にはいろいろな問題があると思うが、すくなくとも「解像度の低さ」、「気軽さ」、「暴力性」の問題があると思う。

●解像度が低い問題
梅干を食べている人を見るとつばが出る。悲しむ人の痛みが自分の痛みとして感じる。そういう「身体的な共感」と、「あいつなんかむかつく」「わかる!」という「社会的な共感」と、どちらも共感でくくられてしまうが、きっとまったく別物だ。だからもし「共感が大事だ」といわ

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安全な信頼から危険な信頼へ①(助け合う謎)

●危険な信頼ってなに?危険でいいの?
「危険」という言葉にはネガティブなイメージがある。が「安全」という言葉にも、よく考えるとネガティブな部分がある。一番の問題は、自分が変化できない(変化するためのトリガーが失われる)ことだろう。そういう意味で、「危険」に含まれるポジティブな面のコアは「変化のトリガー」なのだろう。
変化のトリガーのない信頼が、おぞましいものになる事は少し想像すると判ると思う。安全

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大企業病と付き合ってみよう

私は、所謂古い体質の大企業に勤めている。なので、組織縦割り問題や、責任回避の方法論などの「くだらない議論」に巻き込まれる。でも、凡庸だからこそ、そこに「普遍的な問題」の根っこがあるのだろうと思う。だから、凡庸な問題を考える機会に恵まれていることは、本当はラッキーなのではないか、と最近考えている。凡庸な問題について考え始めることは、独力では決してできない。私の会社には、そういう稀有な機会が転がってい

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