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9月「曼珠沙華のうた」⑫

 目の前に広がる田園に咲く白い花。誰もが知る赤い花に交じって黄色やオレンジ、ピンクの色をしたものの中に、朝日を浴びてひと際白く輝いている。姉もこの風景を見ながら歩いたんだろうか・・・そう考えながらあぜ道を歩いていく。ここを歩きながら眺めた景色は1人で見たのか、それとも2人だったのか、手掛かりは一つもない。ただ姉の友人から聞いた話を俺は思い出していた。姉が婚約者と別れようと悩んでいたという理由を。
 どうして気づかなかった? なんでもっと話をしなかった? 本当に幸せそうな顔だったのか? ひとつも懸念はなかったのか?
「姉ちゃん・・・」
 姉が消える前の言葉を思い出せば、後悔が滲む。たった2人きりの家族だった姉と俺。それでも姉がようやく掴んだ幸せを俺は疑うことなく信じていた。けれど姉が考えていた幸せのカタチと彼が理想とした家族のカタチには大きな違いがあった。その違いを埋められないと知った姉、最終的に別れることを考えていた。そう、すべては俺の存在が原因だった。彼は姉と2人で新しい家族をつくっていくつもりだった。そこに俺が居るという家族像を思い描いてはいなかったんだろう。ただそれだけだ。けれどそれがそれだけでは済まされなくなった。
「そんなのどうでもなっただろ・・・離れたって俺と姉ちゃんが家族なのは変わんない。ずっとこの先も・・・それなのに、何で言ってくんなかったんだよ。俺はそんなに頼りなかった? 俺はそんなに・・・」
 周りにはカメラを片手に撮影している人がちらほらといる中で、俺は自分の右手をぎゅっと力強く握りしめ、唇を噛みしめながら涙を堪える。爪が食い込むくらい右手を握りしめていると、まるで包まれているように何かが右手にそっと触れた。
『朔・・・』
 風が吹いただけかもしれない。でも確かに呼ばれた気がして、反射的に振り返る。誰もいない。ただ白い彼岸花が風に揺られていた。

 結局俺は、姉の行方に関する手掛かりを一つも見つけられないまま帰宅した。姉が最後に遺した白い花の意味も見つけられないまま、2週間が経とうとした頃、事態は急展開を遂げた。姉の婚約者が姉を殺したことを自白した。
 ともに行方が分からなくなっていた婚約者は、意識不明の状態で入院していたが、捜索願を出していた家族に病院から連絡があり、居場所が判明した。その後意識を取り戻した彼は、姉が死んだことを知ると、心中するはずだった、けれど自分だけが生き残ったことで錯乱状態になったのだという。俺は警察からかかってきた電話ですべてを聞き、姉の遺体を確認しに再び三重へと向かい、姉と対面した。
 通常人が死んでから1か月も経過すれば、腐敗が進み死臭も相当なものだという。加えて身元を確認するのにも2週間以上、時間がかかるものだと対応していた警察官は言った。けれど姉は信じられないほどきれいだった。それはまるで、昨日今日息を引き取った人のようだった。その表情を見れば、もう2度とその声を聴くことは出来ないけれど、あの数日間の姉と過ごした日々は本当だったのだと悟った。それほどまでに姉の顔は穏やかだったから。殺された苦しみも悔いを残したそれでもなかった。そして姉の左手には白い花びらが握られていた。それはあの白い彼岸花の花びらだった。

 2人きりの家族である俺と、姉の親しい友人とで葬儀を終えた後、スマホにメッセージが届く。SNSに挙げていた白い彼岸花の情報に対して、新しく誰かがメッセージを送ってきたようだった。そういえばそのままにしていたことを思い出し、削除するついでにメッセージに目を通す。そこには『白い彼岸花の花言葉』とタイトルがつけられていた。

『白い彼岸花の花言葉』
 白い彼岸花の花言葉は「また逢う日を楽しみに」「想うはあなたひとり」
存在がなくても、姿形が変わっても、変わらないものがある。ずっと傍にいるよ。

 メッセージが送られた日付は姉が姿を消した日と同じ日だった。なぜ今になってスマホにメッセージが届けられたのかは分からない。けれど、きっとこのメッセージは、あの日あの花を1輪だけ遺していった理由なのかもしれない・・・・・・。

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