ソクラテスの死
ソクラテスと言えば最も有名な哲学者の1人ではないでしょうか。
「ソクラテス?あ、哲学者のね」
誰もがどこかで聞いたことがある名前だと思います。
一般的な哲学史では、古代ギリシアにおける哲学はソクラテス以前と以後という形で区別されていたりします。
つまり哲学の歴史の新たなスタートとなった人だとも考えられているのです。
ところが、あまりにも有名なこの哲学者は生前ひとつも作品を残しませんでした。
実は現在伝わっているソクラテスについての情報は、ほとんど当時彼と関わった他の人たちがその姿を描写したものなのです。
その中でも特に情報を与えてくれるのは、彼の弟子であったプラトンです。
プラトンにはたくさんの著作がありますが、ほとんどの作品でソクラテスが登場します。
その中でも『ソクラテスの弁明』は、実際にソクラテスに起こったある事件を記述して書かれたものです。
分量的にもそんなに多くなく、早い人なら1日で読めるのでプラトン初心者にはおすすめできる作品かと思います。
また本はなかなか読めないという方にも、今はYouTubeでおおまかな内容を伺うことができます。
ところでこちらの動画でも語られていますが、ソクラテスの最期がどのようなものだったのかを描写している作品があります。
それが『パイドン』です。
この作品は『ソクラテスの弁明』のいわば続編にあたり、魂についてを主題として論じているものです。
『弁明』で死刑を宣告されたソクラテスが、刑が執行されるその日に面会に来た友人たちと対話をするというのがこの作品の背景となっており、この場面を後日、当時そこにいたパイドンがそれを聞かせて欲しいと頼むエケクラテスに語っているという構造になっています。
プラトンは自分の作品にソクラテスの対話者の名前を冠することがしばしばあり、作品名の「パイドン」というのもこのとき集まった友人たちのうちのひとりの名前です。
『パイドン』の魅力はその哲学的な内容だけではなく、もとは劇作家志望だったプラトンが描く彼の先生の最期の姿にあります。
このシーンは絵画にもなっています。
この絵では真ん中あたりにいる指を上に向けた老人がソクラテスです。
ソクラテスの周りの友人たちが悲嘆に暮れているのに対して、本人はなんだか明るく?堂々とした雰囲気ですよね。
今回は一般にはあまり知られていないであろうこの作品の、ソクラテスの最期についてご紹介いたします。
終幕にあたるソクラテスの死の場面だけでも、ソクラテスがどのような人だったのかが感じられ、『パイドン』におけるこのシーンを把握した後に、絵をもう一度みると、印象がまた変わってくるはずです。
(引用文は上記にリンクを用意した光文社古典新訳文庫の『パイドン』からです)
獄中のソクラテスは対話者である仲間と対話することで、死は恐れるに足りないこと、むしろ喜ぶべきこと、魂は不死であることなどを論証しました。
ソクラテスは語り終わると、刑の執行後にも残る身体を綺麗にしておくために沐浴に向かいます。
しばらくして入浴を済ませたソクラテスは、やってきた妻とこどもたちとの最後の時間を過ごし、彼らを家に帰らせます。
彼自身は仲間たちのともに再びやってきました。
すでに語ることは多くなく、日没が近づいています。
ソクラテスは幼馴染であり親友であるクリトンに言いました。
刑は毒薬が入った杯を飲むことで行われ、宗教的な理由で日没後に執行されることになっていました。
そこでクリトンは、まだ日が落ちていない、そんなに死に急がなくてもいいじゃないかと言います。
しかしソクラテスは、薬を飲むことを先延ばしにして生きることに執着し、それを惜しむことは自分自身に笑いを招くと言い、やはり執行人に薬を持って来させました。
ソクラテスは怖じける様子もなく、顔色ひとつ変えることなく優雅に杯を受け取り、「この世からあの世への移住が幸あるものになりますように」と、神に祈りを捧げました。
この作品の話し手であるパイドンが刑の執行の様子を語ります。
ここで仲間たちの名前も語られていますが、実はこの場面に作者であるプラトンは病欠を理由にいないことにされています。
実際ソクラテスを尊敬している弟子のプラトンが先生の死に居合わせていないことは考えづらく、また以下で見るように場面の細かい描写がなされているので、ここにはあえて自分を登場させない作者プラトンの意図があったのでしょう。
ここからは一気に最後まで引用させていただきます。
以上がプラトンが描くソクラテスの最期になります。
もちろんこの終幕の部分だけを取り出しても読むのも良いと思いますが、それまでの対話を踏まえた上で読むとさらに引き込まれること間違いなし、また引用文中のわからないところも理解できます。
もし興味があって読まれる方には、特に光文社古典新訳文庫の『パイドン』はその都度欄外に語句の解説が付されているのでおすすめです。(しかも訳者がプラトン研究の第一人者です!)
ここまでみてきたソクラテスの死ですが、絵画の方をもう一度みてみましょう。
指を上に向けたソクラテスは、魂の不死であることや死は喜びであることを証明したので、こんなにも堂々としています。
右手には毒杯が手渡されようとしています。
奥のアーチ型の壁にもたれかかっているのが、泣き崩れるアポロドロス。
右側の老人がクリトンでしょうか。顔を覆って泣く人も描かれています。
実はこの絵には『パイドン』では病気で来られなかったとされるプラトンも描かれています。
それがソクラテスに背を向けて左側に座っている老人です。
実際にはソクラテスの処刑のときプラトンは青年であったはずなので、老人の姿であるはずはないのですが、あえて老人の姿で登場させたことによって、『パイドン』を執筆しながら、かつての先生の死を回想しているプラトン自身を、時空を超えてこの場に登場させたのかなとも推測できます。
なんだかプラトンだけ雰囲気が他の人たちと違いますし、よく見るとプラトンの足元に何か書き物のようなものも見えますよね。
もちろんどういう意図で書いたのかは作者本人にしかわかりませんが、絵の主題となったものについて知っているとより深く楽しめると思います。
久しぶりの投稿で思わず長くなりましたが、今回はここまでにいたします。
今回ご紹介した『ソクラテスの死』はニューヨークのメトロポリタン美術館で鑑賞することができます。
ニューヨークの住民であれば無料で入れますが、そうでないと有料になります。
もし観光で行く機会があればぜひ!
(とは言ったものの入場料は一番高くて大人は30ドルなので、円安の今の時期には向かないかもしれません・・・。単純計算で1ドル147円だと、入るのに4410円!∑(゚Д゚))
最後までお読みいただき、ありがとうございました🌸
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