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シリア-3- ドゥーマ

写真 : 政府軍と自由シリア軍との日々の戦闘で破壊された町、ドゥーマ(2012年4月)

・ダマスカスで見た反政府デモ

ダマスカスはアサド大統領のおひざ元です。2012年3月、僕が滞在していたこの時期は、民衆蜂起が発生してから1年が経過していました。町は普段と変わらず賑やかでしたが、いくつか不審な点が見られました。その一つが、壁の「らくがき」です。ダマスカスの路地にスプレーで何やらアラビア文字が書かれています。でも、文字は上から別のスプレーで読めないように消されています。アサド政権を批判するスローガンが壁に殴り書きされているのです。それをアサド政権側が必死でペンキで塗りつぶしているのです。

こんな感じでダマスカスの壁はペンキだらけでした(僕の本より抜粋)

もう一つが、一部地域が厳重に警備されていることです。ダマスカスのど真ん中に位置するミダーン地区が特にそうでした。理由をいろいろと調べていくと、そこでは頻繁に反政府デモが行われて、治安部隊と市民とがやりあっているそうです。さらに深堀していく中で、金曜日の集団礼拝の日、モスクの中で反政府デモが行われるという情報が手に入りました。

ミダーン地区にある歴史あるモスク、ゼイン・アルアッビディーン。昼の礼拝に合わせて、訪れると、モスクの周囲は治安部隊でガチガチに固められていました。目立たないように兵士の間をすり抜けて、モスクに入ります。礼拝が始まり、特に変わった様子はありませんでした。でも、最後の礼拝が終わった直後、誰かが「アッラーフ・アクバル!」と叫びました。それを合図に一斉に反政府デモがモスクの中で行われました。

アサド政権の退陣を求める市民の声が響き渡りました

アサド親子による独裁体制を徹底的に築き上げてきた40年。それが今、崩壊しようとしています。僕は鳥肌が立ちました。自由を抑圧されてきた市民の声がこれほど人の心の動かすものなのかと驚きました。しかし、現実は厳しいです。礼拝を終えてモスクを出た途端、治安部隊の強制逮捕が始まりました。特に若者が標的にされ、次から次へと護送車に詰め込まれます。僕はその様子をモスクの格子戸から、静かに見つめていました。

・ダマスカスからドゥーマへ

3週間、ダマスカスをうろうろとしていて、取材らしいことは何もできていません。反政府デモを見たくらいです。困ったなあ。当時、最も激しい激戦地は、アメリカ人の記者メリー・コルヴィンが殺害されたシリア中部の都市ホムスでした。でも、観光ビザで入国している僕としては、目立った行動はしたくありません。そんなとき、前回のnoteでご紹介した日本人の留学生が、「僕も行ったことはないけど、ドゥーマって町がやばいらしい」と教えてくれました。場所を聞くと、ダマスカス郊外、乗り合いバスだと20分ほどで行ける距離だとのことです。

とりあえず、行ってみるか!と彼と一緒にバスに乗り込みました。途中、検問が3か所ありました。兵士にパスポートを見せます。

兵士「どこに行くんだ?」

日本人の留学生「ドゥーマまで」

兵士「何の目的で行くんだ?」

日本人の留学生「この友だちの日本人(僕)のアパート探しに」

兵士が僕を睨みつけて、アラビア語で何やら問いかける。

日本人の留学生「タケシ君、とりあえず、学生って答えて」と日本語で僕に伝える。

僕「アナ-・ターリブ(私は学生です)」

しばらくやり取りが続いたあと、検問を無事に通り抜けることができました。彼に話を聞くと、「タケシ君はアラビア語を勉強する学生だけど、貧乏だから、家賃が高いダマスカス中心部にアパートを借りられない。だから、物件探しにドゥーマに向かうんだ。郊外は安いからね」と答えました。

僕「えっ、俺、ドゥーマでアパート借りるの?」

彼「そうだよ。だって、ドゥーマなんて観光地でも何でもないから、ホテルなんてないよ」

僕「いや、、、そういう問題じゃなくて、これから初めてドゥーマに行くのに、気が早すぎない?状況もまだ何も分からないし」

彼「まあね。とりあえず、行ってから考えてみようよ。あと、今のやり取りは絶対に覚えておいてね。検問で何か聞かれたら、今のように答えないと、怪しまれるから」

でも、ふと考えると、こんな適当な理由で、検問を通り抜けられるドゥーマって町、別にたいしたことないんじゃないかなあと思いました。それとも、検問している兵士が適当すぎるのか。

・自由を謳歌する町、ドゥーマ

ドゥーマに到着しました。見た感じ、ダマスカスと比べて田舎、というより、住宅街です。7,8階建てのマンションが立ち並んでいます。通りには商店街が軒を連ねています。でも、穴の開いた壁や焼け焦げた家屋がぽつぽつと点在しています。政府軍との衝突の痕だと分かりました。

街中をうろうろと散策していると、住民が声をかけてきます。なんで外国人がいるのか珍しいみたいです。留学生の彼が言うには、「アサドはとんでもない奴だ。我々の町を破壊している」と怒っているという。そのことを日本人なら、日本でも伝えてほしいと訴えかけているそうです。でも、彼はそうですし、僕も「学生」という設定です。ジャーナリストではありません。そのことを伝えても、住民はとにかくアサドの暴力をたくさんの人に知らせてほしいと必死でした。

6時間ほど滞在し、一発の銃声も聞こえることもなく、穏やかな時間が流れました。別にアパート借りてまで滞在する必要もないな。僕たちは帰ろうとバス停に向かいました。その途中のことです。拡声器で叫ぶ声が聞こえます。音の方へと足を向けると、大きな広場で住民が集会を開いています。三つ星が描かれた旗を堂々と振っています。アサド政権の目を一切気にしていません。

ドゥーマ初日、帰り際に見かけた反政府集会(2012年4月)

呆然とその光景を眺めていると、一台の乗用車が僕たちの横に停車しました。窓が開きます。覆面をした男が顔を出しました。自由シリア軍でした。アサド政権と戦うために銃を握った人々です。「ほっ、本物の自由シリア軍だ!」。僕は興奮して思わず握手を求めました。

「我々がこの町を守っている。だから、自由にアサドの野郎を批判できるんだ。ダマスカスでは唯一、この町だけが、反体制派で固められている」

二日後、僕はドゥーマにアパートを借りて、暮らすことになりました。

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