たきーし

過去の経験を少しお話しできたらと思います。

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最近の記事

罪深きシリア観光旅行

僕のシリア観光旅行はnoteに書き綴りました。観光期間は2022年6月です。たぶん、今回紹介する本の著者も僕と同時期にシリアを旅していたようです。僕が訪れた都市は、ダマスカス、パルミラ、ホムス、ハマ、アレッポ、マアルーラですが、著者はその他に、ボスラ、ラタキア、さらにダマスカス郊外のグータ地域のザマルカ地区にも足を運んでいます。 ・観光旅行という名の硬派なルポルタージュ シリアは近年になって外国からの観光客を受け入れるようになりました。ここで述べるシリアとは「アサド政権の

    • シリア-19- ダマスカス 終わり

      ダマスカスに戻ってきました。二日後にはシリアを離れなければいけません。7泊8日の日程で組まれたツアーがもうすぐで終わりをむかえます。シリアで戦争が始まる前は、個人でも観光ビザで最長で三ヶ月まで滞在できました。ガイドの必要なく、自由に旅行ができました。現在はクルド人が支配しているラッカ、カミシリ、ハッサケ、またクルド人とアサド政権が支配権を分け合うデリゾール、アサド政権と反体制派が睨み合うイドリブ、それらの都市にも戦争前は足を運ぶことが可能でした。 今回、いくつかの観光地を回

      • シリア-18- パルミラとマアルーラ

        ・破壊された町、パルミラ ホムスから、片道四時間かけて向かった先は、パルミラでした。砂漠の中にポツンとたたずむ遺跡の町です。ここは政府軍とは別にロシア軍も駐屯してています。パルミラに向かう途中には軍の基地があり、そこにはアサド大統領とプーチン大統領が仲良く顔を並べたツーショット写真がでかでかと掲げられていました。 遺跡は古いものだと、紀元前何千年とさかのぼることができ、遺跡の保存状態もいいため1980年には世界文化遺産に登録されています。でも、パルミラも例外ではなく、戦争

        • シリア-17- アレッポからホムスへ

          ・アレッポ アレッポは交通の要衝でもあり、古来より商業の中心地として栄えてきた深い歴史を持つ都市です。世界遺産にも登録されている東西南北に走る巨大なスーク(市場)は世界各地から商人や観光客を多く集めてきました。 アーチ型のスークの両端にはひしめくように商店が並びます。狭い路地が迷路のように入り組んで、行き交う人々とはすれ違うたびに肩がぶつかるほど。でも、それも戦争が起こる前の光景で、アレッポが戦場と化した2012年夏、このスークは政府軍と反体制派との銃撃戦の舞台になりまし

        罪深きシリア観光旅行

          シリア-16- アレッポへ

          ・ダマスカスからアレッポへ 二日目、翌朝10時にダマスカスを出発しました。目的地はシリア第二の都市、アレッポです。ダマスカスとアレッポを結ぶ幹線道路、通称M5は常に戦闘の最前線でした。政府軍と反体制派はM5を奪うことで自らの補給路を確保すると同時に相手の補給路を奪う目的も兼ねていたのです。 ダマスカス郊外に出ると、右を見ても、左を見ても、さら地です。ダマスカス一帯をアサド政権が掌握したのが2018年です。それから政府軍は破壊された住宅や商店などを取り壊して平らにしました。

          シリア-16- アレッポへ

          シリア-15- シリアへ

          レバノンの首都はベイルートです。経済は落ち込み、通貨は暴落、インフラを整備する人材を確保することすら困難で、一日の半分が停電し、信号機は消えたまま運転手は互いに譲り合いながら運転をしている状況でした。 ベイルートに到着したその日、シリアから連絡がありました。今回、僕のガイドをしてくれるアブドゥル(48、仮名)です。 現在、シリアは大雑把に分けると、支配地域は三つに色分けされます。アサド政権、反体制派、クルド人です。さらにアサド政権にはロシアとイラン、反体制派にはトルコ、ク

          シリア-15- シリアへ

          シリア-14- 成田からギリシャへ

          2022年5月22日、僕は成田空港に向かいました。行き先はギリシャです。でも、最終目的地はシリアでした。なぜ直接、日本からシリアに向かわないのか。これにはいくつかの問題点がありました。 ・外務省による嫌がらせ? まずシリアの首都ダマスカスに飛ぶ航空便は数が少ないのです。日本からはシリアへ就航する航空便はありません。となると、陸路からシリアに入国することになりますが、シリアとの国境が開いている国はヨルダンとレバノンだけです。トルコ、イラク、イスラエルも国境は接していますが、

          シリア-14- 成田からギリシャへ

          シリア-13- トルコ

          写真 : イスタンブールにはシリアの取材で何度も訪れることになった シリアに入るためのルートはいくつかあります。アサド政権の側から取材をするのであれば、シリア大使館からビザを取得する必要がありました。2012年7月、シリアではダマスカス、アレッポの二大都市で反体制派の一斉武装蜂起が発生し、観光という名目でのビザは停止されました。ただ、取材であれば、ビザの取得は可能でした。日本のメディアはこの方法で入国していました。 その他にもイラクのクルド人自治区からシリアにも入れました

          シリア-13- トルコ

          シリア-12-

          2013年2月、僕はシリアから帰国ました。帰国して少し経った頃、一通のメールが届きました。現地で一緒になって取材をしていたイタリア人のライターからでした。 「アブドゥッラーが死んだ」 アブドゥッラーはアレッポのメディアセンターを運営している責任者でした。彼は世界各地から訪れるメディアに宿泊先を提供したり、ガイドをしたりして、ときには自由シリア軍の一員として戦ったり、自らカメラを握って撮影したり、その活動は多岐にわたりました。 一方で、メディアセンターに集まるお金の管理も

          シリア-12-

          シリア-11- アレッポ

          アレッポに女性スナイパーがいる。その記事を見かけたのは2013年1月下旬のことでした。英紙デイリー・テレグラフで紹介されたその女性は最前線で銃を握り締めていました。そんな女性もいるのかあ。そのときは、軽く受け流していました。 ・自由シリア軍を非難する人たち   僕は2013年2月、アレッポに向かいました。2012年11月に帰国したばかりでしたが、またいつシリアに入国できるか分かりません。国境の情勢は不安定でした。 アレッポに到着すると、3か月前と比べて、さらに町は荒廃して

          シリア-11- アレッポ

          シリア-10- イドリブ

          僕は自由シリア軍の彼のガイドで、トルコからこっそりとシリアに入国しました。イドリブ県ハーレムという町です。ハーレムは自由シリア軍の支配下にありましたが、町の丘陵にそびえる城塞だけがまだ陥落していませんでした。政府軍が籠城しているのです。ハーレム周辺の村々は自由シリア軍に押さえられているので、アサド政権が地上軍を展開することは困難でした。そのため、アサド政権は連日のように空から爆弾を落としていました。 ・70人の命が奪われたモスク 「数日のうちに、城も落とせるだろうよ。完全

          シリア-10- イドリブ

          シリア-9- イドリブ

          写真 : トルコと国境を接する町、イドリブ県ハーレム アレッポでの取材を終えて、トルコに戻りました。このまま、帰国して売り込みをするにはまだ物足りないと感じました。シリアは戦争状態にありました。民衆蜂起から武装蜂起へと発展した都市は西部ホムスから始まり、南部ダラー、中部ハマー、ダマスカス郊外、アレッポ、各地へと広がりました。その中で、ホムスと同様、早い段階から武装闘争に移行しながらも、それほど注目を浴びていない県がありました。それがシリア北西部に位置するイドリブ県です。

          シリア-9- イドリブ

          シリア-8- アレッポ

          2012年10月末から、約1週間、僕はアレッポに滞在しました。人間が生きるにはあまりにも過酷な環境でした。四六時中、昼夜問わず鳴り響く砲声や銃声、空を旋回するヘリコプターの羽音や一瞬にして頭上を通過する戦闘機のジェット音、空爆はロシアンルーレットと変わりません。誰であろうと標的にされます。そもそも標的すら定めることなく、政府軍は爆弾を落としていました。 「隣の建物は数日前にアサドの爆弾でやられたよ。知り合いが何人も殺された。空を怖がってもどうしようない。雨はどこにでも落ちる

          シリア-8- アレッポ

          シリア-7- アレッポ

          シリアは自由シリア軍&ヌスラ戦線とアサド政権の二つの支配地域に分断されていました。もう一つ加えるとすれば、クルド人です。この3者がそれぞれの地域を支配していました。 アレッポはこの3者が入り乱れていました。アレッポ西部はアサド政権、アレッポ東部は自由シリア軍と真っ二つに分かれていました。その一角、ごく僅かな地区にクルド人が独自に支配する町がありました。僕が2012年10月に訪れたのは、自由シリア軍の支配地域、アレッポ東部になります。 ・降り注ぐ爆弾と鳴りやまない銃声 僕

          シリア-7- アレッポ

          シリア-6- アレッポ

          2012年5月、僕はシリアから帰国しました。ちょっとだけアラブの春をこの目で見てみたい、そんな軽い気持ちから訪れたシリアでしたが、このまま無責任に放置することはできませんでした。これまで取材をしてきて、発表をしてきました。それはジャーナリストとして義務感からでした。でも、シリアはちょっと違いました。この世界で生きる一人の人間として、許されないことがシリアで起きているのです。だから、それを伝えないといけないという本能みたいなものが働きました。 ・シリアに行きたいけれど 僕が

          シリア-6- アレッポ

          シリア-5- ドゥーマ

          市街戦が何日も続くことは稀で、たいてい数時間すれば収まります。戦闘が終わったかどうかは、銃声が鳴りやんだか、または、外の様子をチラッとうかがい、住人が出歩いているかで判断します。ただ、市街戦は本格的に政府軍が攻め込んできたときに起きるので、自由シリア軍の警告もあり、市民はスムーズに自宅に退避することができます。それと比較して、何も大きな変化がない落ち着いた日常が、ここで暮らす人々にとっては脅威になります。 ・外を出歩けば遺体とぶつかる 銃声は散発的に鳴り響きますが、その程

          シリア-5- ドゥーマ