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「丈夫に産んであげられなくてごめんね」なんてこと絶対ない

〜経験者は語る〜


皆さん、こんにちは☀️

日本キッズコーチング協会認定キッズコーチング®エキスパートの小林咲子です😊

突然ですが、

皆さんは自分のお子さんの境遇を悲観したことがありますか?

そして、タイトルのような罪悪感を抱いたことはありますか?

辛い境遇や悲しみに耐え忍ぶ毎日を送っている方もいらっしゃるかも知れません…。


本日はそんな皆さんへ、私自身の経験を踏まえて贈る、
その境遇こそが子どものチャンスになるというお話です💡


【抜け出せない小児喘息】

私は2歳の頃から小児喘息を患っていました。物心ついた時からすでに喘息発作が常時起きていて、肩で息をする苦しい日々。1年の内、発作が起きない日を数えた方が早いほどでした。


幼稚園の頃は、劇やダンス、演奏が大好きな子どもでした。練習の成果が発揮できるお遊戯会は楽しみでしたが、たくさんの保護者で人混みとなる会場、緊張と興奮による高揚感、これらの条件が出揃うイベントでは、決まってひどい発作を起こしていました。それでも私は出ることを選択し、肩で大きく息をし、何度となく咳をしながら踊る様子の写真や映像が残っています。


小学校低学年の頃は、さらにひどく、まともに学校に通えた記憶がありません。
通学班では、高学年の子達の歩みに合わせるため、毎朝必ず走ることになり、学校に着いた時には既に発作が悪化した状態。保健室で休んだり、体育を休んだり、出欠確認時はいつも「喘息気味です。」と答えていました。


小学校高学年になっても一向に良くなる兆しはなく、4年生と5年生の時は、入院も経験しました。4年生では、入院している間にローマ字の勉強が終わってしまい、クラスに戻った時にはみんなが嬉しそうに自分の持ち物にローマ字で名前を書く姿を横目に、悲しい思いもしました。

【受けたいじめや悪口は数知れず】

陰口を叩かれたり、いじめを受けることも常態化していました。

「お前の妹、鼻息荒いよな〜!」と笑う兄の友人。
「先生、あいつの咳がうるさいです。」
「帰れよ、喘息ババァ!」
と罵るクラスメイト。


発作で早退した翌日に学校に行くと、ノートや教科書が取られていたこともありました。親友だと思っていた子もこれらを取った仲間の一人でした。


成長するにつれ、いじめられる悔しさは内面に向くようになりました。

私にもっと体力があれば…
みんなと同じように動けされすれば…


悔しい!!

【喘息発作が私を強くした】

中学に上がった私は、体を鍛え強くする為、憧れだった吹奏楽部に入部せず、運動部への所属を決意。ただ、体育もほとんど欠席していた為、得意なスポーツなどなく、出来る運動と言えば、3歳から喘息対策で習っていた水泳だけ。消去法で水泳部入部を決め、その後は毎日毎日泳ぎました。運動がさかんな学校で、4月から10月まで、屋外プールで雨の日も風の日も関係なく練習がありました。学校のプールで泳げない日も、屋内プールでの練習、筋トレ、ランニングメニューをこなしました。

体力作りを始めて驚いた事は、小さい頃から苦しめられた発作状態により、強い忍耐力がついていた事でした。常に発作の苦しい状態で過ごしていたので、それがいつしか目に見えない負荷となり、発作が起きていない時は、どんな練習にもついて行けるほどの我慢強さが培われていたのです。まるで、空気の薄い山頂付近でトレーニングをしていた人が、下山した時に発揮できる力のように。

忍耐力勝負の持久走大会では、クラスリレーの選手に選ばれました。週末は吸入器片手に走り込みをし、本番に臨みました。

中学で体力をつけたお陰もあり、喘息はだいぶよくなりましたが、高校進学後もまだまだ吸入器の手放せない毎日。

中学の時に断念した吹奏楽部が諦めきれなかった私は、高校では晴れて吹奏楽部へ。ところが学年で一人だけ初心者だったので、先輩や同級生の足手まといにならずべく、毎日欠かさず、早朝練習と居残り練習をしました。午前授業の合間の10分休憩で早弁をし、昼休みも練習に充てました。

そんな時、段々と朝の吸入時間と吸入器洗浄のための15分が煩わしくなってきたのです。この15分も練習に充てればもっと上達できるのに…そう考えた私は、ついに吸入をサボるように。その内、自分でも驚いたのですが、自分が喘息だということを忘れてしまったのです。

そうして私の喘息はいつの間にか完治していました。

【子どもにとってはハンデがチャンス】

発作もいじめも苦しくはありましたが、それが私にとってのスタンダード。
その状態でも出来ることを自然と探すようになりました。

学校を休み、家にいる時は、好きな本を読んだり、漫画を読んだり、何かに熱中すると、発作が自然とおさまることを学びました。

あまのじゃくだった私は、欠席した日に教育テレビをひたすら流し続け、
「学校に行ってるみんなはこんなに見られないよね〜🥴ラッキー✌️」
などと考えていました。

子どもは自分なりに、ハンデもハンデと感じず、出来ることを探します。自然に備わるその反骨精神を、壊すも生かすも周りの大人次第。これは決して親だけではありません。

周囲の大人が子どもに感じる罪悪感や哀れみは、いつしか子どもへの負の暗示となり、

「自分はかわいそうな子」
「病気だからこれはできない」
「体力がないから休んだ方が良い」

と自分で自分の言い訳を探させ、限界を勝手に設けさせてしまいます。


冒頭の「丈夫に産んであげられなくてごめんね」というのも、親の主観。

元々そんな風に思ってない子どもを、そう思うように仕向けてしまうことも…。


ここに書いたことは全て、私が丈夫に生まれていたら経験できなかったことばかり。もちろん、丈夫に生まれたら生まれたで別なことが経験できたでしょう。

だからその経験どれもが貴重で、優劣をつける必要も意味もありません。
どの子も自分の境遇で、自分にしかできない経験をし、学んでいく
のです。


少なくとも私は喘息を経験できてよかったと心底思います。

いつの間にか自分には底知れぬ我慢強さが備わっていたから。

乗り越えたことが自分自身の糧になったから。


本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました😌

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