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高校生の忙しさと読書

はじめに:エックスでのバズリ

SNSのエックス(旧ツイッター)で、私の下記の投稿に、2万近い「いいね」がつきました。

高校生、忙しすぎて消耗して、スキマ時間に気晴らしにスマホするしか余暇活動がない。タブレットで映画見る?と誘ってもだるそう。そう、会社員と一緒なのだ。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』どころではなく、『なぜ学校に行っていると本とあらゆる余暇活動ができなくなるのか』である

@wagashi_no_yosa 午前11:45 · 2024年4月30日 ※一部修正

これに対して、「真のエリートは時間がなくても本を読む」みたいな「力こそパワー」系コメントも無くはないのですが、現役高校生を含む自分の経験や保護者から、肯定的なコメントも多く寄せられました。

以下、そうしたコメントの一部をアカウント明記の上、引用させていただきます。

すごいわかる
部活とかで疲れて帰ってくるとゲームする気力すらない

@subaru_yuusya

私もともと小学生の頃から読書好きだけど、高校は部活&受験勉強で忙しくてあんま読書はしてなかった記憶。一時的に文化活動から遠ざかったとしても素地が出来てるなら勉強に支障は無いだろうし、そのうちまたするようになると思うの。やれるときにやれることをやれば良いのでは。何でもは無理。

@tanizakiyomitai

確かに高校生の頃は読書なんて一切できなかったもんな。そこに割けるリソースがないというか。
よく主婦の愚痴ツイートに「Twitterやる時間はあるんですね」みたいな嫌みを言うやつがいたが、忙しいとスマホ触るくらいしかできないのよな。

@nmpiikannutsnm

わかる…自称進学校だっから6か7限まであったしその後部活だし宿題は多いしで本はおろかマンガ読む暇さえ本当になかった…濃密な高校時代だったな…後悔はないけど戻りたくはない

@3mealKomugiko

コレガチ
社会人になったら時間増えて他のこと出来るようになった

@mendexi

授業6〜7限に加えて朝課外とか夕課外とか。家に帰れば予習と宿題、小テストの準備。
今でもよく高校卒業できたなぁと思います。

@Udatsu_Morphism

塾に部活に宿題にって、なんもできん
運動と睡眠を奪うなら割と冗談抜きで国力落ちるからなんか介入した方が良いんじゃないか

@XRay96

めちゃ分かる
帰ってからスマホ以外なんもむり
ドラマもしんどい

@S92021473

私も全然読めていない……

@Sekiguchi_0825

文化部だったのでこれあまり感じていなかったけど、運動部と吹奏楽部は本当に時間無さそうだった。週5.6で授業と運動行き来してたらそりゃ寝るわな…

@po20co20

普通に勉強と部活やってると本なんか読めんよな、俺も高校から一気に本読まんくなった

@kuma_sanP

高校生はマジで忙しい。仮に時間を確保できたとしても、授業と部活で体力を消耗しているので、本とか映画よりも精神をすり減らさなくて済むSNSを見ちゃって、結果時間が無くなる。SNSをやめればいいと思うかもしれないが、今の世代の中心的なコミュニケーション手段なので...

@giepiiiaa

宿題多過ぎ、とか色々言われるし、それもあるとは思うのだけど、「文武両道」の呪いの力が大きいように思う。特にチームでやること。部活はレクリエーションで良いと思う。やりたい人がやりたい範囲でやれば良い。

@lenco_amarelo

6時に家出て朝練、授業、部活、帰りに予備校、帰宅22時すぎ
土日も部活で休みなし
息子、高校生時、サラリーマンよりヤバい生活してて怖かった

@a_n_km3508

高校生の忙しさの理由と変化

私が投稿した内容の元ネタはこちらです。
三宅香帆 著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)

みんな関心があったことのようで、出版から間もなくなのに、とても売れ行きが良いようです。

著者の三宅さんは近代の労働と読書の関係を考察した後、現在の日本において本を読めない理由は、日本の会社が「フルコミットメント」を求めるからであると述べます。仕事に対して全身全霊で取り組むことが規範となっているのが日本の社会だ、と。半分だけの参加は許されない。

それは社会人だけではなく、学校も同じだと私は思うわけです。とくに公立高校は一芸に秀でるよりも授業全科目、そして部活も、文武両道ですべてをまんべんなく成功させなければならない。競争的に1位を目指さなければならない。それについていけない逸脱した生徒は学校で居場所がなく、不登校にもなってしまうのが現状ではないかと。つまり、100か0かしかないのが、今の高校生(特に加熱化した進学校において)の生活なのではないかと思います。

私が高校生だったのは既に30年以上前ですが、それでもとても忙しくて、それまで好きだった本を読めなくなりました。私は高校まで1時間以上をかけて登校していました。駅まで自転車で行き、ローカル線に乗って最寄り駅前についたらまた自転車に乗って高校まで行く。自転車2台を使っての登校でした。部活はサッカーをしていたのですが、わりと強豪校で(ずっと補欠でした)朝練があり(あまり参加できずでしたが)、そして授業後も練習が遅いときで19時過ぎまであって、帰ると21時とか22時でした。もちろん土日も練習や試合があり。「忙しさ」についていけず、2年生のときは不登校気味になりました。

高校の図書室に入るようになったのは、3年になってから、入試対策で赤本(大学入試の過去問集)を借りるようになってからだったと思います。そして入試が終わってからやっと、好きな本・大学の学部の学びに関連する本を借りて読めるようになりました。それから司書の先生とも顔なじみになって話をするようになったのですが、「もっと早く来れるようになっていたらよかった」というような話をしたのを覚えています。

余裕がないと本が読めないのは今でも一緒で、疲れて寝転がってマンガやSNSを見るだけになってしまいます。だから、リプライでも書いてくださっていた方がいましたが、「本は読めないのにSNSはできるのか」というのは、「SNSしかできない」が主観的には正しい表現だと思っています。

このように昔でも忙しかった、のですが、高校生の「忙しさ」の変化は、データから明確になっています。NHK放送文化研究所『メディア利用の生活時間調査』によれば、高校生の平日の生活時間は、以下のように変化していました。

【1995年から2020年にかけての高校生の平日生活時間の変化】(平均)
「授業・学校行事・部・クラブ活動、塾や家での勉強・宿題」時間
…約60分増加。(8時間30分→9時間33分)
「雑誌・マンガ・本」読書時間
…平均18分→3分に減少。平日読書を全くしない人は69.6%→90.6%に増加。

NHK放送文化研究所『メディア利用の生活時間調査』

平日の学校・勉強関係の時間が25年前に比べ約1時間増える一方で、読書時間はなんと平均3分にまで減少。平日に読書を全くしない人に至っては、なんと9割以上です。(なお「雑誌・マンガ・本」読書時間は、2020年は、スマホ・携帯やPC・タブレット、および紙媒体での時間を合計しています)

また、先日とある公立高校で講演する際に、生徒に読書に関するアンケートをとらせてもらったのですが、700名近い回答の結果、学年が上がるほど読書をしなくなる傾向が顕著でした。学年が上がるほど、どんどん忙しくなっているのでしょう。

高校生の「忙しい問題」と「本を読まない(読めない)問題」は、厳密には分けて考えるべきですが、このような状況では、あわせて考えざるを得ません。

どうすれば本が読めるのか

忙しいなかでどう読書をするか。ひとつには強制的に読書する時間を学校が作ってしまう、という方策があります。エックスでの私の投稿へのコメントで、"朝の10分間読書"のことを書いてくれた方もいらっしゃいました。

子どもの高校は朝に10分読書時間がある。わずかな時間でもそれしかできない時間作るのは意外と良い。私もお風呂に本持ち込んで読むのが日課。のぼせるまでだから1日数ページしか読めないけど、毎日やってるといつの間にか一冊読み終わってる。

@flowers_of_may_

本を読むことには、知識や読解力の習得という自己修練的な効用もありますが、それ自体をレジャー的に楽しむことによって得られる気晴らし(リラックス)も意味があることだと考えます。そしてそれら2つは別々のものではなくて、繋がっているものと最近の読書研究では考えられています。

つまり、楽しみながら読書をすることで自然と読書量も増え、その結果、知識や読解力も広がると考えられています。この仮説を支持する結果も、世界中で次々に実証研究がなされて、示されてきています。

日本ではそうした「愉しみの読書」を学校で推進することが1990年代に重要視されるようになりました。そして千葉県船橋学園の実践を参考に、全国に広がったのが、「朝の読書」(全校一斉読書運動)でした。

「朝の読書」提唱者の一人である林公は、次のように述べています。

「楽しいから読む、読みたいから読む、みんなで共有している時間だからこそ大切にして一緒に読む、といったことについて。あえていえば、「読みたくないときは読まなくていいんだよ」というメッセージさえ、教師は子どもに送り続けるべきなのです。」
「ありとあらゆる手を尽くすなかで、最も重要なことは、「読むことが楽しい」という体験をすべての子どもにさせることだと思います。」

林公『朝の読書:その理念と実践』p.152-153

学校現場に広がった「朝の読書」運動によって、小中学生の不読率(本を1冊も読まない人の率)は格段に下がりました。「朝の読書」の2020年度末現在の状況は下記のとおりです。

【全校一斉読書活動の全国での実施状況】※ 2020 年度末現在
小学校 90.5%
中学校 85.9%
高校  39.0%

※それらのうちで朝の始業前に実施している割合は、小学校の61.0%、中学校の68.5%、高校の 64.4%

文部科学省総合教育 政策局地域学習推進課『令和 2 年度「学校図書館の現状 に関する調査」結果について(概要)』(2021 年 7 月 29 日発表、2022 年 1 月 24 日修正)

しかしご覧のとおり、高校での実施率は小中学校に比べてガクンと下がります。そうするとやはり、不読率もぐっと上がるんだと思います。

『学校読書調査』によれば、1997 年には中学生・高校生ともに不読率はピークであり、それぞれ中学生 55.3%、高校生 69.8% でした。しかし2022 年には中学生 18.6%、高校生 51.1% までその割合が下がってきています。とはいえ、とくに高校生においては、2022 年でも半数程度は、1 ヶ月間に 1 冊も本を読んでいません。(上記のNHK放送文化研究所の調査結果とは差がありますが、あちらは平日のみの状況を示しています)

進学重視のところほど、その朝の10分を読書ではなく英単語テストしたりするのですが、本当にそれがよいかどうか、読書の意味を考えると、難しいところです。とはいえ、学校も厳しい時間の中で生徒の成績を上げるために工夫をしているので、それぞれの判断はあると思いますが。

しかし学校で「愉しみの読書」を「強制的に」推進する際には、矛盾が伴います。愉しみと強制という語がすでに矛盾しているのですが、先行研究では、学校現場においては教員への忖度や、疎外されがちなジャンル(ホラーやSFなど)が存在していることより、愉しみの読書を推進する上では矛盾が生じる可能性があることを指摘されています。

ここまで書いてきた学校で「愉しみの読書」をどう推進するべきかについては、現状分析が中心ですが簡単な論考を、拙著論文「『愉しみの読書』を中学・高校で推進する上での矛盾と課題」(『政策科学』31,2)でまとめています。よろしければご参照ください。

忙しさの行き着くところ

忙しいなかでも高校生が本を読むには、という話をしてきましたが、しかし根本的には「忙しさ」は、三宅さんがおっしゃるように、全身全霊で高校生活をしなければならないところに原因があるのは明らかです。高校関係者の方には、大学入試がそうさせているのだ、と言われるかも知れません。また、新指導要領では、新しい学習評価の観点として「主体的に学習に取り組む態度」が含まれるようになり、その意味で生徒は全教科手を抜けなくなっている、というのもあるでしょう。それについては私は専門ではないので口を出すことは控えます。

ただ、読書でなくてもいいのですが、時間がないと眼の前のことに追われて、「自分自身」や「社会や世界」のことをじっくり考えたり、なにか関心のあることを時間をかけて追求してみる余裕はできません。その結果、念願の大学に合格しても、大学でしたいことが見つからず、早々に就活の準備を始めてしまう…ということになりやしないか、心配です。もちろん、資格取得のために進学した人はそれ自体が目的なので、否定することではないのですが、大学で「燃え尽き」る可能性があるのではないか、とも。

つまり大学に入ったあとのことを考えると、勉強と部活で必死になる高校生活が必ずしも良いとは思えないのです。そこで培った努力や責任感、協調性やリーダーシップはかけがえないと思いますが、それは大学に入るうえでは必ずしも求められることではありません。それよりも、思考力や探究心、なにかに強く関心を持っている姿勢こそ、大学での学びを深める原動力にはなると思われます。そしてひいては、その先の人生の豊かさにもつながるのではないでしょうか。

最後に。

近日出版予定の拙著論文の、「デューイ理論における体験型福祉教育へ示唆する命題の特定と検証:「経験」・「反省」概念への着目から」(『日本福祉教育・ボランティア学会研究紀要』第41巻掲載予定)では、2007年時点のデータを使って、高校受験のため勉強・部活を頑張っていた高校生ほど、「貧しくなるのはその人が努力しないからだ」とか、「日本社会は努力した人がむくわれる社会だと思う」といった、能力主義的な価値観を持ちがちなこと。また、読書習慣がある生徒ほど、逆に、能力主義的価値観を持たない傾向であることを分析しています。理由は不明ですが、読書を通じて多様な価値観を形成できている可能性があるのかも知れません。読書には他者への共感を育む効果が多少なりともある、というのが世界中の先行研究から知られていることでもあります。

つまり、忙しく、成果を求められるような学校生活に順応している生徒ほど、能力主義的である可能性が高い。そしてそれを「解毒」する処方箋として読書の効能がある…と言えるかも知れません。

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