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「福島潟」とは

◯調査の目的

今回、大学の講義の一環で「新潟を取材する」というテーマを元に地元で現地に行きやすい新潟県新潟市にある「福島潟」を調べてみました。

◯福島潟の歴史

「福島潟は、その昔形成された新潟砂丘により阿賀野川などの河川の流れがさえぎられ、さらに砂丘列の内陸側に徐々に土砂が堆積しできあがった湖です。」(水の公園 福島潟 公式サイト より引用)
このことから分かるように福島潟は湖であり、江戸時代から徐々に干拓されてきました。福島潟の干拓は、1975年まで続いていました。始まりは、1756年に山本丈右衛門(やまもとじょうえもん)が干拓を開始しました。その後も、様々な人物が干拓を開始しています。しかし、周辺地域は何度か水害に襲われています。1966年7月17日下越水害、1967年8月28日羽越水害が起こりました。もちろん、水害に対して対策もされました。新井郷川排水機場、福島潟放水路などが整備されたり、潟の周囲に堤防が造成されて潟の貯水能力が強化しています。そして、福島潟では人々の生活の場でもあります。漁、ヒシやオニバスとり、寒ブナとりなどの福島潟の豊かな自然も潟周辺の人々の暮らしを長い間支えていました。このように福島潟は形成されていき、自然も歴史の1部になりました。

◯福島潟の自然

ここでは、3つ紹介します。1つ目はオニバスです。

「オニバス(スイレン科)は、日本の水生植物の中で一番大きな約2mの葉をつける一年草です。現在全国で70カ所程度しか生息が確認されない希少な植物であり、福島潟が日本の自生の北限です。」(水の公園 福島潟 公式サイト より引用)
福島潟には、「ビュー福島潟」やオニバス池がありそこでオニバスを見ることができます。今回、実際に見に行ってきました。

「ビュー福島潟」では、オニバスだけでなくオオヒシクイや福島潟について詳しく知ることができます。漢字では「鬼蓮」。花のガクはトゲに覆われており、オニバスは1番大きな葉では直径2メートルを超えるものもあるそうです。8月上旬から9月中旬には赤紫色の花が咲きます。そのため実際に見に行った際にはまだ花は咲いておらず、蕾の状態でした。しかし、多くの葉が広がる様子は圧巻でした。


2つ目はオオヒシクイです。

「オオヒシクイ(カモ科)は、国の天然記念物に指定されています。福島潟は日本一のオオヒシクイの越冬地であり、9月下旬から飛来しはじめ、5000羽以上のオオヒシクイが越冬し、翌年3月に故郷のカムチャツカへ2400Kmの旅をして帰ります。
ガンの仲間の中で一番大きな鳥で、羽を広げると1m60cmほどになります。竿になったり、鉤になったりして飛ぶ姿は遠い昔から歌にも詠まれ日本人に親しまれてきました。 」(水の公園 福島潟 公式サイト より引用)
オオヒシクイは、黒いくちばしの先にオレンジ色の模様があります。くちばしが太くて短いヒシクイに比べて薄くて長いのが特徴です。日本には冬鳥として渡ってきて、福島潟はオオヒシクイの国内最大の越冬地です。


3つ目は菜の花です。

福島潟には自然学習園ゾーンがあり、実際に潟の動植物に触れることができます。また、キャンプ場や潟来亭という日中は自然学習園の休憩施設として利用ができる施設もあるため身近に自然を感じながら過ごすことができます。そのため菜の花は福島潟を感じるためには外すことは出来ません。福島潟では毎年、4月頃に見頃を迎えておりその時期には多くの観光客が訪れています。しかし、近年は感染症の影響で観光客は減っています。前向きに捉えれば、県内であれば見に行く機会でもあるので、ぜひ見に行ってみてください。


◯福島潟自然文化祭

福島潟で秋分の日、午前11時から午後8時まで開催されているイベントです。このイベントでは地元民や観光客の方まで福島潟を知るきっかけであり、楽しむことができます。特に、雁迎灯(かんげいび)では1万本のロウソクでオオヒシクイのアートが制作されます。夜には、沢山のロウソクの光が集まってできるアートが見えます。実際にロウソク立てに参加したことがあるのですが、アートとして成立させるために緻密に位置が計算されているため指示に従えば良いのですが、とても緊張した記憶があります。


◯まとめ

実際に現地に行って調べて来ましたが、福島潟には人々が紡いできた生活がそのまま歴史として残っていると感じました。また、端末から資料を見るのでは無く、実際に行って資料を見た方が印象に深く残りました。もし機会があれば皆さんも、福島潟に足を運んでみてはどうでしょうか。

◯実際に現地に行った時の写真


◯引用・参考

水の公園 福島潟 公式サイト
http://www.pavc.ne.jp/~hishikui

ビュー福島潟 資料

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