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今までの経験から感じたこと、考えていたことを言語化してまとめていきたいと思います

在院日数短縮

病院関係者ならもちろん、そうではなくても最近聞く言葉かもしれません。

コロナ禍において、病院に求められるもの、入院の制限はまた変わっている部分もあると思うけど。

超高齢社会の中で「病院から在宅へ」という言葉が叫ばれるようになって久しい気がします。

参考)高齢化の進行具合を示す言葉として、高齢化社会、高齢社会、超高齢社会という言葉があります。65歳以上の人口が、全人口に対して7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」と呼ばれます。令和2年時点で日本は高齢化率28.8%。

理学療法士(以下PT)として急性期病院に勤務していたのは約10年。その間にも年々と早期退院が求められるようになったと思います。早期退院に向けてのPTに求められるものは大きく1つ。

ADLを落とさない、また落ちたADLをあげること

ADL=Activities of Daily Life=日常生活動作。簡単に言うと起きる、立つ、歩く、排せつ動作、入浴動作など基本的な動作を行う能力のこと。

若い人なら病気を治せば退院できる。でも高齢者はそうはいかない。骨折とか脳梗塞とか病気の直接的な原因でADLが落ちてしまう人はもちろん、入院というイベント自体がADLを落とす原因となってしまう。

入院生活というのはどうしても制限がある。

トイレが自室にない人がほとんどで、トイレまでの移動も家とは違って遠いいし、ずっと何かにつかまれるわけじゃない。やはり高齢者だと新しい環境にする適応できる人も少ない。

移動が危ない人には看護師さんを中心にサポートがつく。でも看護師さんは忙しい。もう、近くで見ている私は絶対できないと思うくらい、超がつくくらい忙しい。だからどうしても動きたい時にすぐサポートにつけないことが多い。

そうすると一人で動いて転倒。転倒リスクが高いとされるとセンサー(一人でベッドから離れるとナースステーションにアラームが鳴るような)が付けられる。一人で動けなくなる。より動けなくなる。動けないと身体はもちろん認知力も低下する。

そんな悪循環の中、退院するときには病気は治ったけど、動けなくなった、なんて人はザラにいる。

それを防ぐためにPTという職種で貢献できることももちろんあるのだけど。やはり24時間の内、長くて1時間しか関われない状況の中、その1時間でどんなに頑張ったって、残り23時間ベッドに寝てたらADL低下は避けられない。

だからこそPTとして直接的な貢献だけでなく、間接的な貢献ができるように意識してきた。

補助具(歩行器とか車いすとか)を使うことで一人で動けるような体制を作る、看護師さんでなくても看護助手の人でも大丈夫なような環境を作る、とか。

それでもやっぱり十分ではなくて、どうしてもギリギリな状況で退院しないといけない人をたくさん見てきた。

それでも病床数は限られているし、入院期間には制限がある。

急性期病院という立場上、どうしてもたくさんの患者さんを見て、言い方悪いけどうまく回して、早く退院できるようにする、というのが重要視されていた。

それは病院の性質上仕方のないことで、頭では分かっているんだけど、もっとしっかりと一人一人と関わっていきたくて、在宅領域が気になるようになっていった。まぁでもそれは私自身の問題だから置いておいて。

今回、なんでこんな話を書いたかというと、やっぱり病院病院の役割がある、その病院でやれることには限界があるというのを書きたかったから。

もちろんそれを言い訳にしているわけではなくて、それでも課題をいかに改善していけるかというのはずっと検討し続けないといけないのだけど。

一医療業界の者として、医療を受ける側の人たちにもそういう状況を知ってもらった方がお互いのためになることが多いんじゃないかなって。

納得できる医療

先日、埼玉で起きた訪問診療医が亡くなってしまった悲惨な事件があった。詳細は分からないけど、何が正しいか分からないけど。残念な事件であることは間違いない。

この事件のニュースを読んで感じたこと。

それは急性期病院で働いていた時、そして在宅医療にうつった今も感じていること。

それは納得できる医療って何だろう、どうしたらお互いが落としどころを見つけられるんだろうっていうこと。

(今回の事件で医師がそれをしてなかったという訳ではなく、むしろ加害者を非難したい気持ちが強いのだけど。事件の根源はそういう部分なのかなという気持ち。)

そもそも納得できる医療とは?という話に繋がっていきそうなのでひとまずこの辺りで。

急性期病院で感じた限界、課題をまとめてみました。

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