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読書記録「走ることについて語るときに僕の語ること」

村上春樹氏のエッセイが面白くて、連続で読んでいる。

例によって例の如く、誰かのための本の要約でなく、あくまでも未来の私のための読書メモです。悪しからず。理由はこちらに・・・

内容

走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール 1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロマラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう? 日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれのか? 村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。

Amazon 本の紹介より

この本は(著者の表現を借りると)、走ることについての本ではあるが、健康法についての本ではない。村上春樹氏にとって、走り続けているのはどのような意味を持っているのか、自問自答している本だ。



MEMO

村上春樹氏が、オリンピック・ランナーの瀬古利彦さんにインタビューした時の問答が、頭から離れない。

「瀬古さんレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝ていたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」
(略)
<なんちゅう馬鹿な質問をするんだ>という声で「当たり前じゃないですか。そんなのしょっちゅうですよ!」と言った。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)/村上春樹

ときにはハワイで走る村上氏。羨ましく思ってしまうが、いざハワイに到着してしまえば、朝日を浴びながらランニング・シューズを結ぶのは日本にいるときと同じ辛さに違いない。

どれだけ習慣になっても、世界レベルで走り続けることが得意でも、辛いことは辛い。しんどいことは、しんどい。それでも、シューズの紐を結んでドアを開けるかどうかなのだ。

昨日の自分を超え続けること。暴走しそうな自分を敢えてコントロールすること。

フルマラソンを満足いくタイムで走り切るためには、当日のコンディションやプランニングだけでは足りない。数ヶ月前から、長ければ1年かけて調整しなければならない。

村上春樹氏が走り始めた理由は、専業作家になったことが大きいのだろう。が、走り「続けている」理由は、それだけでは語れない。



今後

実を言うと恥ずかしながら、村上春樹氏が「走る作家」だとは最近まで知らなかった。それに、知っていたとしても「運動が好きなんだろうなぁ」としか思わなかっただろう。

筋金入りの運動嫌いで、意欲・態度が低すぎた結果、高校時代に体育で2を取ったこともある私は、運動を楽しんでいる人に対してある種の妬みを抱いている(と思う)。身体を動かすことをを楽しめるだなんて、体育の時間にクラスメイトに笑われたことがない人だけだと思っている。

そんな運動嫌い・運動する人嫌いな私が「走ること」に関するエッセイを楽しく読んだなんて、自分でも驚きだ。読みながら何度か、自分もせめて散歩くらいはしても良いかな、と思うに至った。(残念ながら実行はしていないけれど)

この本は「何かチャレンジしたいけど勇気が出ないなぁ」「すべきなことは分かっているけど、メンドウだなあ」と感じるときに定期的に読み返すことになるだろう。自分の怠け心と戦いたいとき、味方になってくれそうだ。

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