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吉祥寺の汚点

吉祥寺は大騒ぎ
今日はちょっと 吉祥寺の汚点部分になりますが 書こうと思います。
前回 東村山まで の井の頭線 延伸計画がありましたと 言いましたが その先 箱根ヶ崎、東青梅付近から武蔵丘陵へ入り名郷、横瀬秩父方面 お花畑駅までの延伸路線を武州鉄道(未成線)と西部が取り合い大戦争と成りました吉祥寺の商店の 連名 会の人々がいろんな噂に振り回されました。
その噂とは 吉祥寺経由ではなく 井の頭線の久我山あたりから三鷹方面方面に向かう 路線を作るだの、名店会館の地下の駐車場は天井の高さや 広さを考えての噂が 名店会館 地下 が始発の駅になるとか、武蔵丘陵を超えるのに 鉄道ではトンネルを掘ったり お金がかかるので 登坂力に強いゴムタイヤのモノレール になるらしいなどもっともらしい噂話が吉祥寺の街を飛んでいたようです。
事の始まりは現在の東急デパートの前身 吉祥寺 名店会館の社長滝島総一朗が この計画を練り武蔵野市や沿線市町村に声をかけ埼玉銀行頭取や財界人を巻き込み1959年武州鉄道として免許を申請したが武州鉄道よりも先西武秩父線が早く申請していた為両者が競合した。
ところが武州鉄道側はど素人の集まり資金や路線などの見込みが甘く埼玉銀行が引き上げ計画は頓挫した。
1961年西武鉄道に免許が下り武州鉄道計画は終わったと思われたが当時の運輸大臣、木暮武太夫から免許が下りた。
鉄道路線免許は普通4年~5年かかるのに2年で免許が下りた
免許工作として滝嶋が運輸大臣の樽橋渡に1959年12月から1960年(昭和35年)5月までの間に5回、計2,450万円の賄賂を贈り、楢橋が鉄道行政関係者に口利きをしていた。
東京地検特捜部がこの疑獄事件の捜査に着手して有罪が確定しました。
その後代表者を変更して会社は存続しましたが1975年免許は失効しました。
1969年西武鉄道は秩父線を開通しました。
西武鉄道は秩父線を軽井沢まで延伸計画が有現在でもりしっかりと軽井沢をプリンス系ホテルや娯楽施設でしっかりと固めています。
余談になりますが秩父といえば 武甲山 その当時 吉祥寺の名店会館屋上から見ると 武甲山はお饅頭みたいな山でしたが今見るとかなり とんがった山です あのとんがりまで石灰石を取っているんですね まだ取ってるらしいですけどね。
この話が全て実現してたら吉祥寺から軽井沢までシームレス(乗換なし)で行けたんですよね。

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