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リンスが無いまま、発泡酒を買う、今日の飢え

30代の春子は、贅沢に飢えていた。


仕事終わりの帰り道、ドラッグストアに寄って、この時間になると運が良ければ出会える半額シールの貼られた加工肉と、発泡酒は気持ちばかりの糖質ゼロ、何かしらが抑えられた緑色のラベルを買う。何かが変わるのかと言われたらよくわからないが、こう言ったことは潜在的な悪あがきだと思っている。

最近、支払われる給料も、買うものもここ数年大して変わり無いはずなのに、お金が足りなくなっているように思う。
政治がどうとか情勢がどうとか、最近テレビを付けていないから詳しくはわからないけど、何かがバレないように変わってきていることは、高卒の春子にもわかった。

毎日毎日、帰宅してお風呂に入るたびにリンスを買っていないことに気が付く。
違う種類のリンスが注ぎ足されて二層の絶妙なグラデーションとなったボトルに水を入れて使うのも、そろそろ厳しくなってきている。
髪の毛は潤うどころか、何か大切なものも一緒に洗い流されているような気がする。
だけど、400円やそこらのリンスの詰め替えを買うだけでちょっと躊躇って、売り場を歩いているうちに忘れて、また発泡酒を買ってかえるのだ。
ドラッグストアの従業員入り口の窓をふと見上げた時、窓に映った自分と目が合う。
なんだか、顔が薄くなった。なんていうか、幸が薄い。パサパサの毛先がそうさせているのだ、と、自分に言い聞かせて店を出た。何かしらがゼロの、発泡酒を飲んだ。

「あー、おかえり。今日いつもよりちょっと早いじゃん」

20代の終わり頃に結婚した大輝とはもう今年で結婚して四年目になる。
大輝はインドアで大人しく、20代の頃の自分が聞いたら「なんで!?」とひっくり返るような相手だ。
結婚式は挙げていない。ちょうどその頃がコロナ渦だったということもあるが、それは言い訳にして、資金が足りなかったのと、互いに派手なことをしたく無かったから、正直ちょうどよかった。
格安で必死に計画していた旅行に行けなくなったことにはかなりのショックを受けたが、そんなことさえ、今では嘘のような思い出だ。

子供は、いない。
共働きで、朝は早く夜は遅い私たちにとって、ここに子供が入るビジョンがどうしても思い浮かばなかった。
それに、今の生活でちょっといっぱいいっぱいなところもある。
今はまだ、時々二人でちょっと美味しいものを食べるくらいでいたい。
これはまあ、惰性だ。言い換えれば、なんというか、住めば都?違うか。郷に入っては郷に従え?それもなんか違うか。
まあいいや。
「何帰って早々ため息ついてんの」
「いや、なんでも無い。あ、ジャーン。この肉安かったよ。先にお風呂入っちゃうね。」

「あ、リンスまた買うの忘れた。」

20代の春子は、愛に飢えていた。


愛がなんだの好きか嫌いかだの、相性がどうだの、そんなことは正直よくわかってなかったけれど、よく嘘をついて、異性と遊んだ。
「類は友を呼ぶ」という言葉のほんとその通り、同じような女が集まっては
「この間あの男と会った」だの、「連絡先を交換した」だの、
楽しそうなふりをして、「この子より自分はマシだ」と確認し合う、くだらない時間を過ごした。
本当は、その誰一人として、自分のことを愛していないことは知っていた。
顔だって可愛くは無いし、スタイルだって全くもって並だった。
それでも、その頃は自分の価値というものを
ハグやキスやセックスや、そのようなものでしか、数えることができなかったんだ。
だって周りがみんなそうだった、そうだったと勘違いしてしまったから。
そのうち友人の報告にうんざりして、「すごい」と言いながら別のチャットグループには「ビッチ」と悪口が飛び交って、しんどくなって辞めてしまった。同じ穴の狢(ムジナ)だろ。
その話題で飲むお酒はマズくて、無理して飲んだカシスオレンジとラムコークの味は今でも大嫌いだ。あの甘ったるい匂いで吐きそうだった。
わたしには発泡酒一本で十分だって、教えてあげたい。

あの頃あんなにやりとりをしていた男性の名前が、フルネームではもう思い出せない。
あんなに名前を呼んでいたあの人も、どこで働いててなんて名前で、
どんな声でわたしを呼んだっけ。

そんなこと、思い出せなくていいか、わたしが思い出せないのだから、どうかそちらもわたしのこと、忘れておいてくださいね、恥ずかしいので。結婚して子供が生まれて、どうか忙しくてそれどころじゃなくなっていてくださいね、どうか、お願いします。

10代の春子は、称賛に飢えていた。

とにかく誰よりも一番でありたかった。
長女という、強制的に決められてしまった、生まれた順番も大きかった。
テストでは少しでもいい点を取りたいし、妹よりわたしの方か多く褒められたいし、バイトではバイトリーダーになりたかった。
見ている世界が狭すぎた春子にとって、称賛の最終ラスボスは紛れもなく父親だった。
お母さんに褒められても、とりあえずで褒めているように感じた。わたしが泣くから。泣かれたらうるさいから。
祖母はわたしが何をやっても褒めてくれるから呼吸をしていることと同じだった。八百屋の真似をして大声を出していただけでも、手を叩いて褒めていた。
先生や店長が褒めてくれるのは、それがその人たちの仕事だからだ。彼らは信頼度を上げなくてはいけないからだ。

父は、父はいつも怒ってばかりだった。
ありがとう、とかよくがんばったね、とか、ごめんね、とか、父の声で聞いた記憶が無かった。頑固だった。
だからこそ、父から褒められたく無かった。そうじゃなくて、父が恐れおののいて、ひっくり返って「参った」といわせるほどの人間になってやろう、と
思っていた。

春子はずっと飢えて生きてきた、自分自身の自信に飢えていた。

春子は猫を飼い始めた、保護した猫だ。
猫の世話に必死になっているうちは、最初の頃は自由にこそ飢えていたが、いつの間にかこの切羽詰まった毎日を充実していると感じ始めた。

猫は、飢えている。
飢えている対象が自分以外にある時、その相手の飢えを潤してあげたいという欲に一生懸命になると、自分の飢えが治る感覚があった。
お腹いっぱい食べさせてあげたい、よく眠れるためにベッドを買ってあげよう、日当たりの良い部屋に引っ越そう。

その間、春子は飢えを感じなかった、リンスは少なくなっていても、薄めて使っていても問題なかった。まあいいか、とさえ感じさせた。
旦那とああだこうだ試行錯誤しながら、育てたことのない猫と暮らす。

ああ、そうか、
わたしの飢えは、自分自身の欲を満たすことではなく、何か、対象の相手を満たしている時に潤うんだ、

春子は悲しくなって涙が出て、わんわんと泣いた。

10代の頃は、親が喜ぶ姿を見て安心して
20代の頃は、自分を必要としている相手の欲を満たして安心して
30代の今は、その相手をずっと探していて

わたしは、わたしは
一人でわたしのこの飢えを潤すことができないってことかよ、
情けない、なんのためのわたしだ、わたし自身は一体どこにあるんだ、
何が好きで、何に感動して、何が欲しいのか、

笑った。

きっとこの先、仕事がうまく行ってお金をたくさん手に入れても、
旦那が嫉妬するほどの爆モテマドンナになっても、
父に褒められても、
ずっとわたしは飢え続けるのだろう。

そういう人間なのだろう。
飢えで人を救って、自分はまた飢えても対象の何かを探すのだろう。

お腹いっぱいになることは求めていないのだろう。

それはそれで、またわたしは自分の生きがいを探すのだろう。
本物のビールはちょっと苦いので、今は発泡酒がちょうどいい。
ちょっと痩せたら、いつかは、何かしらがゼロ、じゃ無い発泡酒を買おう。
半額じゃ無い肉は、まだちょっと買えないかもしれないけど、貧乏性はきっと性分なので。リンスじゃなくて、ヘアパックとかを買うのも、無理かもしれないけど。

みんな、ちょっとずつ飢えていてください。これからも。
よろしくお願いします。

春子より。


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