記憶の行方-後記

記憶の行方-小さな出来事の物語には、続きがあるのですが、「創作大賞2022」に応募したものは、16話まで、書きました。

2020年〜2021年に、繊細な話をたくさん聞き、いろいろ思うところがあり、コミカルにそれらを描けないか、と、思っていました。人が再生する時には、笑いが必要だと思ったからです。

テーマは「失われた時間と記憶、それから、再生」です。

タイトルについているSは、シーンの略です。物語を映像にしたら、どんな感じかなぁと、想像して書いて行きました。

しかし、なかなか、書けないものですね。

まなざしによる暴力や無意識の対抗する考え、多様性と差異の違い、家族間で考える正しさみたいものがぶつかり合うところをもっと書き出したいと思っていますが、まだ、書ききれていない部分があります。

もしも、映画として観た場合は、もっと細かくカットが分かれると思いますが、映画に寄せて、シーン1〜16までのショートストーリーです。シーンごとに、テーマのメロディーがあり、シーン16で、初めて一曲になる、そんなイメージで書いていきました。

書き出したきっかけは、2021年にwonkのsmallthingsという曲を聴いたことでした。その曲を聴いていて、静かに再生が始まったような気がしたのです。

昨年度、観た映画でキーボードの江崎文武さんがピアノ演奏されていたことも嬉しい偶然でした。

それ以前に、YouTubeで偶然、かてぃんさんのピアノ、角野隼斗さんのピアノを聴いたこともきっかけでした。

初めは、同一人物とわかりませんでした。どんどん、成熟していく音に驚いています。26歳〜27歳って、おそらく代表作を発表できる年齢です。(←占い師みたいな書き方になってしまっている。)

年内には、YouTubeは、100万人の登録者数を超えるんだろうな。音が広がっていくな、と思います。日本ツアーが始まるそうですが、その先も楽しみです。

クラシック、ジャズ、ソウル、ロック、現代音楽やポストクラシック、エレクトリカルな鍵盤、トイピアノに、鍵盤ハーモニカ、アコーディオン、グランドピアノ、アップライトピアノ、どれだけ、楽しむか、みたいな姿勢が見えて、ショパン国際ピアノコンクールでは、苦悩も見え、さらに、演奏力が増していくのが、クラシックにわかファンのわたしですら感じたことです。

クラシック音楽って、堅いな、聴くまでにハードル高いな、と、聴くに至らなかった人たちをコンサートに足を運ばせているのではないかと思う。わたしは、その一人です。

人生は、楽しんだ方がいい。そんな、シンプルなことに、はたと、気づかせてくれる。

角野さんを物語の中に記録しておきたいな、という思いもありました。

ピアノ演奏の美しさは、残響として消えていくものですが、確実に記憶に残る音というものがあり、それは、人の記憶の海の中にあるもので、忘れていたことが、波とともに、押し寄せて来て、泳ぎ切ったとしても、なかなか、他者と共有しづらいことだと思っています。「突発性の難聴が治った」という、ファンの書き込みもあり、かなり、重いことに羽をつけて、飛ばしてくれる、いろんな人を再生しているのではないかな。

しかし、それらは、人間の無意識の部分での出来事だったりするのではないかと思います。

20代後半は、あっという間に駆け抜ける時期、駆け抜けるところに、一つ美しさがあるかな、と、思います。

わたしは、これからも成熟していく音楽を聴きたい。

2020年から2021年は、特に、オンラインでいろんな方のお話を聞くこともあり、何か一つの物語にしたいとずっと考えており、「2021年の記録」として、書き出してみました。

よく、失われた20年と言われるけれど、そんな20年の中で、10代は何を思い描けば良いのか?

「失われたと思っていたけれど、引き継がれていたものがわかったとき」

「何気ない会話」

「未来に向けて何を今、発するか」

など、2020年や2021年にものすごく考えさせらたことも物語のベースにあります。

実在するイベントは、2021年の12月の終わりを描きたく、お話の中に登場しています。

PLAYHOUSEは、実際に聴きに行きました。椅子に座って聴いていたら、背後に足が伸ばされ、(おそらく音楽を聴いて盛り上がってしまわれたんでしょうね……)誰かの足裏で背中を指圧されながら、聴くという初ライブで、音楽そのものは、楽しかったのですが、思わず、持っているペットボトルの水を「あっすみません……」と、三文芝居で、足にかけてしまおうか、いやいや、撒菱まくか?違うな、足裏こちょこちょかな、など、咄嗟の想像は行動に移すことなく、足裏が通り過ぎるのを待ちました。音楽そのものは楽しいイベントでしたが、痛い思い出としても残っています。

16話にしたのは、ジャズのセッションで小節のやりとりを聴いていて、それを物語に出来ないか、ずっと、考えていました。

1話につき、一つの歌をイメージしました。

ちょうど、年明けにcommonsで、

「1小節に12個ありますね、」

「この音、これね。残響が残っているので、一音足りとも同じ音はないんですね。」

「これね!これ!」

と、いいつつ、全く画面共有に反映されていない解説動画がアップされており、初笑いしていた。これは、ビートたけしさんへのオマージュとして、教授(坂本龍一さん)の初笑い動画として、受け止めてよいんですよね。……と、動画のコメント欄とは、全く違う感想を持ち、いやはや、世界との距離感がありすぎるな、新年早々、世界の広さを実感していたのでした。

Merry Christmas Mr.Lawrence-2021"595 Notes,96 Bars"

の映像と解説?CM?のギャップにも、驚かされ、

真面目にやれば、やるほど、コミカルに見える人間の行動も描きたいと思い、

曲のタイトルにもある、数値、「595notes」「96Bars」からも、発想して行きました。

96Barsを繋げると一つの曲が楽しめるように、物語を一つの曲と見立てて。

自暴自棄になっていたムソルグスキーが友人の絵を観て書いた曲「展覧会の絵」は、亡くなった友人へのレクイエム的な意味があったかなぁと思います。

誰も知らない、何の変哲のない日々に光りを当てた物語として書きました。

他者から見たらとても些細な出来事、その人にとっては、朝から厚焼き卵を焼くことすら、大きな変化なのではないかと思ったりします。

まだ、名もないアーティストが、行きたい場所へ向かえるように、並走する物語が描けたらと思います。


追記 締め切りが2月6日なので、もう少し書いてみたいと思います。

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