作家性の観測 原石かんなインタビュー
文学フリマ東京38にて頒布予定の合同誌「Quantum」では、「小説を書くときいったい何が起きているのか」をテーマとして、掲載作品それぞれの書き手にインタビューを行いました。今回は『そして私は透明になる』(原石かんな)についてのインタビューを公開します。
インタビュー
執筆プロセスについて
――いつも作品をどうやって書いていますか?
原石:説明が少し難しいのですが、いつも具体的なストーリーよりも先にまず一文やセリフなどがピンポイントで思いつくんですね。それをiPhoneのメモ帳機能を使って一気に書き出していき、話が膨らませられそうなシーンを見つけて書き始めています。思いついたところを中心に、どんどんパーツを作っていくイメージですかね。別々に作ったパーツから繋がりがありそうなものをくっつけてみたり、あるいは、順序を入れ替えてみたり。イメージ的には2つ以上のアイテムを合成して新しいアイテムを作っていくタイプのパズルゲームに近いのかも。大きなパーツになるようどんどん太らせていって、最終的に一つの話を作っていく形で進めています。
――全体のお話を最初に考えるわけじゃないっていうことですね。
原石:そうですね。そうやってマージさせたり入れ替えたりを繰り返していく過程で、やっと話になっていく感じというか。だから基本的に冒頭から順を追って書くっていう書き方はしないですね。
原初の一文の資格
――その最初に出てくるセリフとか文章っていうのがあるっておっしゃってましたけど、そういうのってどんなものですか?例えば今回の作品だったら何だったりしますか?
原石:実は今回の作品は、昔書いた作品をちょっと手直ししたものになるんですけど、これに関しては最初の一文ですかね。「選ばれないことが死ぬことと同じであるとするならば、この世界には死人があまり多すぎる」の一文がまず先にあった。
ちょうどこの作品を書いていたときは就活真っ只中で、思うように行かなくてモヤモヤしていた時期でした。内定が無い状態が続いて、どうしてこんなに上手くいかないんだろうと。そういうフラストレーションからこの一文が最初に生まれました。
――この最初の一文の「選ばれないことが…」という最初のアイデアみたいなもので書ける!って思ったのは、何故なんでしょうか。ある文章は小説に展開できそうで、他の文章はそうでもなかったりすると思いますが。
原石:上手く言えないんですけど、あまり深く悩まずに自然とどんどん文章が思い浮かぶというか。
――どんどん思い浮かぶっていうのは物語の種みたいなものですか?
原石:そうですね。ちょっとこの一文を起点に就活の鬱屈を書いている内に物語としてもう少しひねれそうだなっていうのがあって。
――「ひねる」ってどんな感じなんでしょう?
原石:起点は就活の話でしたが、ストーリー的にパーツモデルの要素が加わった点ですかね。
――全然関係なさそうなアイデアがくっつきそうみたいな。
原石:はい、そうですね。
――じゃあ何でもいいっていうわけじゃなさそうですね。今回だったら原石さんがちょうど置かれていた。就活っていう状況と関係がある?
原石:自分の身に起こったことに近いから、その自分の心情とリンクさせて文章が書けたっていうのはあるのかもしれないです。
――心情っていうのはもう少し詳しく言うとなんでしょう。
原石:なんでこんなに就活上手くいかないんだろうっていう、負の感情かな。
――現実に対する憤りみたいな。
原石:そんな感じです。
――いつも自分の経験から出発することが多いですか?
原石:物語のすべてではないにしろ、自分の経験や憤り、フラストレーション……ムカつくとかそういうネガティブな感情から入ることが多いかもしれないです。
――これがちょっと日常の中で嬉しかったみたいなところから出てくることはないですかね。
原石:あんまりないですね。大体ネガティブなところから来ますね。
――なるほど。何故なんでしょうね。
原石:自分がポジティブな感情よりも、ネガティブな感じの方が引きずるタイプだからっていうのもあるかもしれない。ポジティブよりはネガティブの方が感情が強いから発展しやすいですね。
物語の構成
――最初の一文というか、文章とかセリフ、物語が広がっていって、それから物語の方から元のアイデアみたいな変更が加わったりとかあんまりしないですか?
原石:基本的にはあんまりないです。
――結構ワンアイデアで通す感じなんですかね。
原石:そうですね。基本的には一本筋があって、そこに肉付けするっていう意味では違う要素が入ったりっていうことはありますけれど。
――ちなみにその肉付けする意味で違う要素っていうのは、今回は何か入ったりしましたか。
原石:今回に関しては本当にパーツモデルや就活で求められる好印象と、ルッキズムの話になっているところですかね?
――なるほど、就活が割と先に来て、そこから何か他のアイデアを呼び込む形で広がってたんですね。
モチーフについて
――次にモチーフの選択について聞かせてください。パーツモデルって自分が全然知らなかったんですけどそういうものがあるんですね。でもいろんなパーツモデルがあるらしいじゃないですか。指とか耳とか。
原石:はい、そうなんです。手の場合は手タレとかって言うんですよ。手だけのモデルの人。
――ちなみにそれはもともと知識として持っていたんですか?
原石:いや、もう知識とかは全然なくって。パーツモデルを書こうってなって初めて、実際にパーツモデルをやってる人のブログとかを読んでました。
――なるほど。パーツモデルっていう概念自体は知ってたけど、詳細については今回調べたと。
原石:はい。今回小説書くにあたって、いろいろ調べました。
――その就活とパーツモデルがくっつくって思ったきっかけみたいのはあるんですかね。
原石:小説でも書いたんですけど、ストッキングの伝線というのがきっかけでした。就活中は素足はよくないとされているから、みんなストッキングを履くじゃないですか。知らない内に伝線してたって、あるあるだと思うんです。そこから足に着目した結果、足のパーツモデルになりました。
――だからこそ、なんか髪の毛とかではなくて、足のパーツモデルになったと。
原石:そうですね。あと、顔から一番遠いところにあるパーツというのも面白いなと思って。ルッキズムの話のところからいくと。足は顔と一番パーツとして距離があるじゃないですか。目線も自然と下になるし。自分の顔が好きじゃなくても関係ない、けれど自分の体の一部で美しさを認められて初めて勝負ができる、みたいな。
――普通は顔を評価されるんだけども、足が思いもよらない形で評価されるみたいな。
原石:そうですね。顔じゃなくて足を見る人っていうのも面白いなと思って。
――居ましたね。足フェチの男が。全然関係ないですけど、谷崎潤一郎とか日本における足フェチ文学の系譜ってあるよなって思いながら、読んでました。
原石:なんとなくわかります。
――そういうのを特に意識せずに足フェチにたどり着いたって感じですかね。
原石:そうですね。特には意識せずにたどり着きました。
――確かに面白いですね。ルッキズムっていうのはだいたい顔で判断されるけど、作品では足を評価されて。でも、それにも一応その評価基準みたいのがあるという。
原石:そうなんですよ。足フェチズムにおいては顔が醜かろうが美しかろうがまったく問題がない。
――確かにそうですね。なんか一つの体なのに全然違う評価がされるって不思議な感じがします。
「傷ついてもらう」ために書く?
――原石さんは現実世界での憤りとか感情がスタートラインになって作品を書くっておっしゃってましたけど、想定している反応っていうか、理想的な反応っていうのはどういうものですか?
原石:どちらかというと救われない話ばかりを書いているので、読者には傷ついてほしいっていう気持ちはあります。
――傷ついてほしい!?
原石:傷ついてほしいっていうかショックを受けてほしいというか……
――それは何に対するショックなんですか?
原石:読後感って言ったらいいんでしょうかね?うまく言えないんですけど、人を殴れるような文章が書きたいというのが常にあるのですが、それをどう説明していいのかわからない。
――人を殴れる文章。面白いけど、どういうことなんだろう。とりあえず あんまりフィーリンググッドを目指してるわけじゃないってことですね。
原石:そうですね。
――ショックっていうのは主人公の選択とか態度とかそういうものに対するショックですかね。
原石:うーん、置かれてる立場とかは違うけど、自分の中にもこういう面があるよね、みたいな…。うーん、難しいな。
――「こういう面」っていうのはちょっとアンダーグラウンドというか、あんまりそれを全面に押し出して社会生活できるようできないような要素って感じでしょうか。
原石:アンダーグラウンドっていうところまではいかないけれども、死生観だったりとか、社会の裏側だったり……ネガティブっちゃネガティブなんですけど、スポットの当たらないところにスポット当てていきたいなっていうのはあって。なんて言ったらいいんですかね?
――それは面白いですね。なんかスポットが当たらない場所からあって、それにスポットを当てないといけないっていうモチベーションもあるってことですね。
原石:スポットが当たらない場所って、みんなが多分自分の中に内在しているものだと思うんです。目を背けてるけど、心当たりはあるから他人事とは言い切れず、グサッと来るような。
――それは自分の中にあるものであって、ひどいニュースとかに対して思うのとはちょっと違うということですか。
原石:そうですね。
――主人公と読者が、共感っていうと変ですけど、類似点を見つけるみたいなことは目指しているということですか。
原石:それも目指しているところはあります。
――その上で殴りたいと。なるほど。確かに殴るためには共感してもらうことも必要なのかもしれないですね。
他人の作品を読むときとの違い
――自分で作品を他の人の作品を読むときも、そういうのを求めたりしますか?
原石:どうかな? 人の作品読んでると、ここの文章はすごくいいなとか、この構成がうまいなとかに気を取られることも多いので、求めてるかって言われるとどうだろう?
――自分で作るときの方がより純粋に表現できてるっていう感じ?
原石:自分が書くのとまた違うモチベーションで読んでるかもしれない。一読者として楽しんで、読んだ上で勝手に殴られています。
――ちなみに原石さんが今までに他の人の作品で「殴られた」と感じたことはありますか?あるとしたら心に残っているのはどんな作品をいつ鑑賞したときですか?
原石:人の作品に殴られるのはしょっちゅうです。特に大学時代、文藝創作ゼミに所属していた時は、作家を目指している人や書くことが好きな人、書くことに自信がある人が集まっていたので、同世代なのにどうしてこんな表現や発想が出てくるんだろうと自分と比較してもがいていました。ゼミでは毎回発表作品についての批評・感想を書くのですが、自分なりに発表作品は何を書こうとした作品だったのか、物語や文章のどの辺りが妙を得ているのか、どうしてその文章が必要であるのかというところを読み解きながら感想を書いていたので余計に情緒をかき乱されていたと思います。
――なんか自分の作品について言っておきたいことはありますか?
原石:特にないですね、自分の作品に関しては。基本的には読者に読まれた時点でもう作者の手から離れているものと思っているので、作者からは余計なことは言わない方がいいなって思って。
――割と好きに読めばいいみたいな。
原石:はい、いかようにも捉えていただければと。
(聴き手:岡田進之介)
原石かんな HARAISHI Canna
会社員。小学校五年生の国語の授業をきっかけに小説を書き始める。
二〇一六年に個人サークル「現象」で文学フリマに初出店。
主な作品に「ゴキブリだってフェラチオをする」「平成」「アイルロポダ・メラノレウカ」。
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