作家性の観測 鈴木三子インタビュー
文学フリマ東京38にて頒布予定の合同誌「Quantum」では、「小説を書くときいったい何が起きているのか」をテーマとして、掲載作品それぞれの書き手にインタビューを行いました。今回は『かせきこのかっぱ』(鈴木三子)についてのインタビューを公開します。
※小説の内容について触れています
インタビュー
聞き手:岡田進之介
執筆プロセスについて
――まずどういうプロセスで作品を書いたのかを教えてもらってもいいですか?
鈴木:最初はいくつかアイデアを出しました。最終稿とは全く違うものを考えたりもしてたんですけれど、書き始めて一旦止まっちゃったから、これはやめにして別のアイデアを試してみよう、という風にしながら、今回のオリジナル作品の原型になるようなものを作っていきました。
原型っていうのは、登場人物とかは全く異なるんですけど「一部の記憶が寝ているうちに布団の中でこごって物質的なものになるので、それを捨てる池というか、沼がある」みたいな、そんなお話です。ちょっと書きかけのがありますよ。
――それは一旦やめたっていうことですかね?
鈴木:そうですね。そっちはもっと場所とか時代とかも指定しないような、ふわふわした設定の中で書いてたんですけど、そうするとどうもなんか自分の中で納得できない。限界を迎えてしまったというか。
最初はもっとホラを吹こうと思ってたんですよ。小説の舞台で嘘をたくさんつきたかったんです。以前、私が書いた「わたくしごと紙片」(「筆の海 第五号」に掲載)はご覧になりましたか?
――はい、読みました。
鈴木:あれは私が最初に書いた創作なのですが、何を書けばいいのか全然イマジネーションも湧かなくて、実経験を交えながら、あまり自分から距離を置かず書いてたんですよね。でもそうしたらあまり小説を書いたという気もしなくって。 書いててちょっと疲れるような感じもあったり。
―― 疲れるっていうのは?
鈴木:書くのが大変だったっていうよりは、実体験みたいなものを文章の形で出したことによって、精神的に打ちのめされたみたいな。形にしてしまうことで食らうダメージのようなものがあったんですよね。
なぜ「書けない」と感じたのか
――今のお話しでいろいろ聞きたいところが出てきました。まずボツ作品があるって言ってましたけど、それがなんでボツになったかっていうか。「もう進めない」っていうふうに言ってましたけど、それってもうちょっと具体的に言うと、何が行き止まりになったと思いますか?
鈴木:自分の中で納得感が得られなくなっちゃったんですよね。読者としてなら気にならない程度のことかもなんですけど、書く側になってみると、納得できないと進めないんですよね。設定の粗が気になっちゃうみたいな。
私、結構SF好きで、でもSFって言ってもしっかりした緻密な設定みたいなものだけじゃなくて、ちょっとファンタジーが入っているようなものとか、ナンセンスな感じのものとかも読むんですけど。そういう作品は読めるけど書けないんだなっていうのがわかりました。
――もし突然記憶を失って自分が書いたこと忘れてたら全然許せるってことですか?
鈴木:そうですね。
――そこで許せなくなるのはなぜなんでしょうね。
鈴木:なぜなんでしょうね。でも確かにそこから書けなくなっちゃったんですよね。締め切りのことなんか考えると、そのアイデアで行っちゃえばいいじゃんって思うんですけど、やっぱり納得できないと先に進めなくなってしまう。あとから思えば、そんな気にしなくてもいいのに、というくらいに思えるものなんですけれど。
例えば、原型の物語の中では、その世界の人たちはみんなある程度寝たり起きたりしてると記憶が布団の中に溜まるんで処理するんです。その処理方法が、池の中に捨ててしまう、というものなんですけれど。でもじゃあ、その池っていうのは投棄していい場所なのか?捨て続けて環境問題にならないのか?みたいなことを考えちゃったんですよね。この池の所有はどうなってるんだとか。読んでたら気にしないんじゃないかなって思うんですけど、妙に気になっちゃって、うまい答えが出てこなくて、そこから進めなくなってしまった。
――最終的な作品の時はうまくいったけど、その没作品の方ではうまく行かなかったのはなぜでしょうか?
鈴木:オリジナル作品の方はやっぱり現実の世界のフォーマットを使うことによって、その世界観への疑問を省略したという感じですかね。
――SFで書いてたらうまくいかなかったと。
鈴木:そうです、なんか世界を作りきれなかったみたいな。突き詰めきれなかったんですね。
――リアリズム的な手法だからこそ、逆にできたみたいな感じなんですね。でも最初からリアリズムでは書こうと思わなかったと。
鈴木:思わなかったですね。最初はとにかく、書き出しのイメージが強くあったんです。三つに折りたたまれたマットレスみたいな物体が池に捨てられてゆく、というものなのですが。書いてるときは良いと思ってたんですけどね。
――その世界を作りきれなかったっていうのはちょっと大きいのかなと思います。
鈴木:はい、本当にそうなんですよね。書き出しの場面からもうちょっと広げて書こうともしたんです。池を眺めている記憶喪失状態のような人がいるが、その人は町へ出てほかの人と交流してゆき……、みたいな展開で。そうすると、ふわふわした設定のままだとやっぱり納得できないんですよね。動かし方が。
――そのふわふわ感っていうのは、具体的にどんな感じですか?
鈴木:モデルが決まってないっていう感じですかね。資料が全然ない状態で町を書いてるみたいな。なんか家の形も適当で、道も適当で、本物っぽくない感じがするんですよね。映像的なイメージで。
――手癖で書いちゃってるみたいな。
鈴木:そうですね。だから小説家って資料を集めたりするのかって思いました。当たり前といえば当たり前ですが。
――存在感が無いみたいな?
鈴木:そうですね。やっぱりさっきリアリズムっておっしゃっていましたけど、その配分を増やさないと進めなくなってしまった、という感じですね。
「アイデア」とは何か
――今の話にも関わるんですけど、アイデアについても聞いてみたくて。今おっしゃったボツ作品と最終作品は同じアイデアから生まれてるんですか?
鈴木:根っこは同じですね。
――その根っこってどういうものですか?
鈴木:記憶とか感情とか……。寝る前って嫌なことを思い出したりするじゃないですか。私は寝る前に、うわ~、あの時あんなこと言っちゃった……みたいな思い出がよみがえってきてしまうんですけど。そういうのが重力に従って沈殿して物理的に溜まって、それで、その後悔の記憶は忘れちゃう、っていうアイデアを思いついたんですね。
――そうなったらいいなって感じですか?
鈴木:そうなったらいいなっていうのと、そうなったらどうなんだろうっていうのと両方あります。そういうことが起きる世界っていうのはどんななんだろうっていう。残念ながら世界は広がりませんでしたが。
――それは好奇心っていうかこの世界じゃない世界に対する興味ですか?
鈴木:そうですね、好奇心ですね。最初から決めてるんじゃなくって、このアイデアからどういうふうに話は転がっていくんだろう、というように書きながら考えているところがあるかもしれません。
――なるほど、最初に全部筋書きとかを決めるわけじゃなくて。
鈴木:そうですね。プロットもちゃんとしたのは書いてないですね。アイデアをバラバラと書いたりはしているんですけど、そのアイデア通りに行くとも限らない。
――頭から書いてもいないってことですか?
鈴木:いや、基本頭から書いています。書き出しからバーッと書いて、止まっては休んで、また書いて、という感じで。書かないとどんな話になるか自分でも中々わからないんだなというのは思いました。
――最終的な着地点とかも最初からわかってない感じ?
鈴木:そうですね。でも「かせきこのかっぱ」では、カッパは最後に流れて去っていくことにしようっていうのは決めていました。プロットってほどではないんですけど、カッパが出てきて何事かあって、でも、最終的には去って行ってしまう、というだけの話にしよう、と。そのぼんやりとしたラストを目指して書きながら、立ち止まったり、試行錯誤して、全体の形を掘り出していくみたいなイメージで書いていきました。
――その最終的に「到達したいイメージ」って言ってましたけど、イメージってことは画像的なんでしょうか?
鈴木:画像は書きながら思い浮かんできたっていう感じです。書きながら、こういう流れになるならこういう場面になっていくかな、と。
大きな筋としては、かっぱが出てきて、ものを食べたりなんかして、最終的には勝手に行っちゃう。その流れだけあって、それを物語にしていく中で、どういう形、情景になるかは書きながら探していく、という感じでしょうか。
――イメージって言っても別にその写真みたいに表れるわけではないと。
鈴木:はい、そうでした。
――流れみたいな。論理の構造じゃないけど、これでこうみたいなものだけ最初にあったってことか。
鈴木:あとは池を出そうとか、川を出そうとか、そういうことは考えていました。
――アイデアはいくつかありましたか?それとも最初からそれだけ?
鈴木:いくつかありましたね。全然違うアイデアもありました。おばあさんとそのお友達のおばあさんの話、というものも考えていて、書き出しだけは書いてみたんですけど……。こんな話にしたいな、というのだけがあって。
――「こんな話にしたい」っていうのはどういう形の考えなんですか?さっき言ったような「流れ」みたいなものですか?
鈴木:シーンとかアイデアですかね。おばあさんの方の話はシーン単位で思いついてたかもしれません。
――それは最終的にはうまく展開しなかったけど、ちょっと書いてみようかなみたいなふうに思ったということですよね。
鈴木:はい、そうですね。うーん、なんかそっち(おばあさんの没作品)の方がなんかプロットみたいなものに近い形でアイデアが出てるかもしれませんね。結局まあ止まっちゃってね。形にはできてないわけですけど。
なぜ「書ける」と感じたのか
――ちなみになんでそれを書けそうだなって思ったのかってわかりますか?作品になりそうって思ったのはなぜか。
鈴木:作品になりそうというより、書きたいと思えたっていうところでしょうか。自分がこの先を書きたいと思えないと、やっぱりどうしようもないというか。この思いついたものを形にしたいって思えるかどうか、ですかね。
――もうちょっと具体的にどういうアイデアの性質とか特徴があると、鈴木さんも書きたいという気持ちになりますか?
鈴木:なんだろう、思い入れ?うーん、これならいけるっていう感覚ですよね。共作の方がアイデア出すのに苦労して、初めは全然書けなかったんですよ。断片的な文章とか思いつき書いてもなんかしっくりこなくって来なくって。この話にしよう!と思えるときは、妙な確信を持って書けるって思えるんですけど。って言ってもやっぱり書いてみないとわからないんですが……難しいですね。
――書けると思うときは、心を動かされるところがあるんですよね。きっと。
鈴木:はい、そうですね。あと、まあ書き出して書けるかどうかですかね。実際にそれもあるかもしれません。アイデアそれ自体ももちろんあるけど、書き出してみて行けるって思えるかどうか。
――ちなみに「行ける」っていう時の感覚はなんか何に原因があると思います?例えば今回の作品で行けるってなったときのきっかけというか。
鈴木:私もそんなにたくさん小説を書いているわけではないので、正直よくわからないんですよね。実際書いてみてできるかどうか、みたいな感じに今のところなっちゃっているというか。本当にね、頭の中だけじゃ書けないんだな。っていうのが、今回書いてみての実感ですね。
モチーフの持つ「物語パワー」
――ちなみにカッパ(というモチーフのアイデア)どの段階で出てきたんですか?
鈴木:そう、今回はカッパというモチーフにかなり助けられたかもしれません。
元々のアイデアの方でも「記憶だったものを捨ててる池の中から、人型のものが上がってくる」みたいなアイデアがあって、主人公は実はその記憶からできたものであるっていう思いつきまではあったんですよ。
そちらはうまく進められなかったんですけど、池の中から出てくるものの形を「カッパ」にしたらなんとなくすんなり進んだんですよね。これ完全に思いつきというか、でも別にカッパじゃないんですよ。勝手にカッパって呼んでるだけで、なんだかそういうものなんですけど。
そういう生き物がこっちと関係あるような無いような感じで、当事者面したやつのことなんか気にしないで去っていくみたいな。そのラインが自分にとって良かったんだろうな。かっぱもそうだし、三日月湖のアイデアとくっつけられたのも良かったなと思うんです。
――「良かった」っていうのは?
鈴木:現実に存在するものの物語パワーを借りられた、みたいな。ちょっとロマンのある話じゃないですか。大昔から流れてる川があって、そこから取り残されたものがある、という。
――そうですね。過去からの遺物というか。
鈴木:そのイメージがあのかっぱみたいなものと重なったんですよね。だから、やっぱりかっぱの方は流れですね。アイデアに助けられたというか。
――その物語パワーを借りるってすごい面白い。ちょっとわかる気もしますね。何もないところからゼロ作るよりは、うまく力を借りた方がうまく行くみたいな。
主人公と作者の関係
――主人公と鈴木さん自身はどういう関係にあると思いますか?というのは前回はノンフィクションっぽいものだったので、それは鈴木さんが主人公と同一化していると思ったんですけど今回はどうですかね。
鈴木:そうですね。ここは、なんというか距離を置きたかったんですよね。
先ほど話に出た前回作品、あれは完全に主人公=私ではないつもりの、ノンフィクション風フィクションではあるんですけど、でもやっぱり距離感が近かったんですよね。
あとは単純にこういう設定だったら主人公はこういう人になるのかな?っていうのが書きながら自然に出てきたかもしれません。主人公が、最初に池の近くの一軒家で一人暮らしでイカを調理してるじゃないですか。っていうことは、この人は一体どういう人なんだろうっていう進め方をしたかもしれませんね。
その段階では絶対このぐらいの年の女の人、っていうのは決まってなくて。思えば、別に男性にしたって良かったのかもしれないけれど、そうはならなかったんですよね。この作品はそれで思うところが書けたし、これでよかったなとは思うんですけれど。特に中年女性の早すぎる余生のようなものを書きたかったわけではないんですよ。
――ストーリーの流れが先にあって、そこから素性を推理するみたいな感じですかね。
鈴木:そうですね。じゃあこの人はこういう人かなっていう。住んでる家が実家か、それとも嫁入りで行った家なのかっていうのも結構悩んだんです。
――実家だったらなんか足りない感じがするんですかね。
鈴木:そうですね。実家でも「お世話にする相手がいなくなっちゃった家」に済む主人公、というイメージは同じでしたが……。嫁にも行かずずっと誰かの世話をしたり、看取ったりで。また年取った親を別の親戚が老人ホームに入れてくれるっていう設定はそっちもあったんです。今まで与えられていた役割から動かずにいた人がそれを失くしてしまうけど、それでも動けずにいる、というのはどちらでも書こうとしていましたね。今までの役割から放り出されちゃってどうしよう、みたいな感覚は書きたかったんですね。きっと。
――前回の「わたくしごと紙片」もそうですけど、過去というか記憶みたいなすごいモチーフに入ってくるなと思いました。
鈴木:今回は気づいたらそうなっちゃってました。ただいかんせん二作目なので、果たしてこれが私のテーマなのかみたいなのはまだよくわからないですけれど。でも、確かに何かしら自分で思うところがあるのかなっていうのは思いました。「わたくしごと紙片」を書く中でいっぱい考える時間があって、もしかしたらそれが影響して今作があるかもしれません。
(聴き手:岡田進之介)
鈴木三子 SUZUKI Mitsuko
一九九二年生まれ。東京都国立市出身。
二〇二三年に文藝同人習作派『筆の海 第五号』に「わたくしごと紙片」を寄稿。
現在学校図書館に勤務。
その他のインタビュー
石田幸丸
那智
原石かんな
久湊有起
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?