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【小説】愚。#3


前回

山空

「わ、くっさ!贋さんなにそれ、なんでそんなにヤニ臭いのよ?」
 現場に帰るなりそう罵られた贋蔵、「鮒畔と雑葉だよくせぇのは」と呟き脇を通りざま具田の足を踏んだ。
「痛っ!わけわかんねぇ」
 具田は悲鳴を上げたが贋蔵は「嘘つけ」と反論「おまえも俺も安全靴履いてんだから、ちっとばかり踏まれた程度で痛いわけがなかろう、このペテン師が」と不機嫌に罵り返した。
「まぁそうだけど」
 贋蔵が言う通り特段痛みを感じたわけでもない具田はその不毛な罵り合いをそこで切った。

 そのまま無言で作業を続け、20分ほど経過。

「お前がセクハラした新入社員ってなんて名前だっけ?」
 具田は贋蔵が問うている内容が瞬時に理解できず、そのまま5秒ほど経過したが突如、天啓を得たかのように顔を上げた。
「いや、セクハラじゃねぇし、山空」
 贋蔵はその答えを聴いて作業の手を止め、少し顎を上げやや斜め上を向いて目を瞑った。

 コンベアを流れてくる靴下が贋蔵の脱力した手に当たって停滞し、どんどん積み上がっていく。糞詰まりを起こした製造ラインは贋蔵の手元でバリバリに不良品を増産し続けている。
「わわっ、贋さん、止まってる止まってる!なにやってんの」
 慌てる具田。
 贋蔵は緩慢に動き、一旦非常停止ボタンを押してラインを止めてから、手元に山積した不良の山を両手で鷲掴みにするとそのまま不良品回収用の赤箱に投げた。

「山空は童貞か?」
 贋蔵はそう言って具田の目をまっすぐに見据えた。
 ふたりは見つめ合った2秒ほど。
「知らねぇし」
 具田はそう突っぱねたが、その語尾に被せるようにして食い気味に、しかも強い口調で贋蔵は言った。
「訊いてみろ」
 具田はすぐに返事をしなかった。
「訊けよ」
 贋蔵は高圧的な口調で畳み掛けた。
「贋さん、それパワハラじゃ」
 抗議する具田に対して贋蔵は更に強く、またしても語尾に被せるようにして食い気味に、しかも先ほどより更に強い口調で命令した。
「訊・け・よ」
 そう言ってから贋蔵はおもむろに非常停止を解除し、ラインの起動スイッチを押した。
 コンベアは動き始め、具田と贋蔵は作業を続けた。
「セクハラじゃねぇのかよ」
 具田は聞えよがしにそう囁いたのだが、贋蔵の「私語厳禁!」という厳しい叱責に合い、口を閉じた。

 ふたりは黙々と作業を続け、昼休みまでの2時間、一切口を利かなかった。

 贋蔵はいつになく清々しい気分で、流れてくる靴下を見つめていた。

 山空が童貞か否かで俺の暮らしはなにひとつ変わるわけじゃないでもこの人生の中でほんのちょっと気にかかったことがこうして一つずつ解明されることは未来の地球で何らかの発展に寄与することになるはずだ。

 贋蔵はそんなふうに漠然と満足し、昼に何を食べようかと思案した。

(つづく)

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