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【小説】弱い男#7

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


前回

ノッて候

 こういう人間を「根が真面目」というのか、あるいは「カタブツ」というのか、はたまた「コチコチ」というのか、とにかく弱い男は最終的には無様に寝ころんだだけの仲埜に対して、変な忠義心を起こし、帰宅後も彼に伝授された防御姿勢をひたすら反芻していたのだ。

 たしかに仲埜を「師匠」と呼んでしまったことは迂闊だったのかもしれない。でもさ、ほらよく商人の世界では平社員のことでも「社長」と呼んで持ち上げてみたりするし、女郎屋の呼び込みではいかにも丁稚みたいな小僧に対してだって「旦那」と呼ばわることもある。安月給のくせに家の中でばかりえばりくさる亭主を、妻が「お大臣」と呼ぶことだって、ままあることなのだから弱い男が変な男を称して「師匠」と呼んだところでそれほど不都合が生じるとは思えないし「え、ハハハ、冗談冗談」ですまされるような話なのである。そもそも、そのときは顔面膨張術で驚かされてテンションが上がっていたから弟子入りしようなんてトチ狂った考えも起きたのだけれど、その後のみっともない有様を見てその興奮が冷めたのならもう2度と「漢」に近寄らなければ良いだけの事なのだ。

 それをこの弱い男は一度これと思いこんだらもう、融通が利かぬ。

 帰宅後、いつもの玄関ホールで

「首を倒し逆を手でカバー、このとき脇を絞めておく、そして片足あげて腰を守りひっくり返って丸くなる」

と、なんだか陰気なことこの上ない念仏の如きを呟き、周囲にホコリを舞い散らせながら自らも舞い散っていた。

 しかし、このとき、具合の悪い事件がふたつ同時に起きていたのだ。

 ひとつは弱い男自身のことでそれは、このうすらみっともない武闘?舞踏?なんでもいいがそのくにゃくにゃした行為を念仏を唱えながら繰り返していたために、彼自身の心にノリが出てきてしまったことで、彼はノッてしまった、ノリノリでくにゃくにゃしているという非常にポジティヴな男になってしまったのであり、もう楽しくて仕方がない。徐々に行為そのものが高速にスムーズに行われるようになってきて、汗だくで落ち武者のように髪を振り乱しながら踊り狂っていたら時折脳裏に仲埜のつるつるの頭部と、膨れ上がってエレベーターの扉を破壊したそれが交互に明滅し始め、「いらっしゃい」という声が繰り返し聞こえてきてそれに呼応する「師匠ありがとう師匠ありがとう師匠ありがとう」という自分の声も聞こえてきてしまった。いわゆるトランス。覚醒である。このとき、弱い男は真に仲埜の弟子になったと言えなくもない、客観的には。

(つづく)

次回


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