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黒髪を切る迄 3


 それでね。今日は私とアワノの出会った時の話をするわね。
 前回の話を遡って読みたい人はここから読み直してみてね。

 あれは高二の夏休みが始まる前のことだったと思うわ。私はクラスメイトの女子に誘われて軟式野球部の試合を観に連れて行かれたのよ。あまり興味が無くてね、全然乗り気じゃ無かったのよ。
 だって硬式野球部と軟式野球部とではその人気はまるで天と地ほど違ってたのよ。実際、私は軟式野球部が存在すること自体知らなかったくらいに。
 しかも夏の暑い時期にエアコンも効かない炎天下のスタンドでしょ。つくづく嫌な思いだったのよ。
 でもお友達はお目当ての男子が出てるみたいで、私は無理やり付き合わせられてしまったわけ。
 でもスタンドに着くと思ったより見晴らしも良くてね、意外と爽やかな風に吹かれていい気分を味わえたものよ。初めてだったから新鮮な感覚を味わったのは確かよ。
 それにグラウンドにいる選手達はみんな結構張り切ってキビキビと動き回っていたのよ。普段よく見るダラダラした男子学生とは思えないほど。
 ただ、硬式野球部と違って長髪の子がいたり、全体的に何だかひ弱なイメージに見えたわ。よく分からないけどプレーだって硬式の選手達とは見劣りするくらいのレベルなのよね、多分。投げるボールが山なりだったり、打球もあまり遠くの方までは飛ばなくて、どこかのんびりとゲームを楽しんでいるのかなと最初のうちは思ってたわ。ほら男の子ってゲームが好きだから。
 それでね、お友達のお目当ての彼はエースで四番なんだって、それでその姿を見るたびに他の女の子達もみんなキャーキャー騒いでいたわね。
 まあ確かにイカす男の子だったけれど、私にはただそれだけのことだったわ。
 試合のことはあんまり詳しく覚えてないけど、割りかし淡々と進んで行った気がする。でも僅差の競り合った試合展開だったらしく、回が進むごとに白熱したムードに盛り上がって行ったわ。結構みんな声援を送ってね。ヒットが出たりアウトになる度、一喜一憂してね。
 あ、それでね、試合の途中から私が一番気になった事があって、それはね、ベンチにいる控え選手だったのだけど、とにかく、常に声が聞こえて来るのよ。チームメイトを鼓舞する声が。
 例えば、普通に「ファイト!」だとか「ナイスバッティング!」だとかよくある掛け声だけじゃなくてね、何か一言付け足すのよ。「流石、風呂屋の息子!」だとか、「いよっ、将来のエリート公務員!」だとか一見野球に関係ないようなこととか被せて来るのよね。それが面白くて。友達が応援してるエースで四番の彼がヒットを放った時には「いよ、若旦那、いい男だねぇ」なんて真面目だか不真面目なんだかよく分からない声を挙げてたわ。でもそれで観客席も盛り上がってたのは確かだったわね。
 しかも声のキーが高くてよく通るのよ。ベンチの中にいる時は姿が見えないけど、チェンジの時には真っ先にベンチ前に躍り出て守っていた選手を出迎えて、満遍なくみんなに声掛けるのよ。背番号13番の小柄ながらすばしっこくよく動く笑顔の絶えない控えの選手。ああいうのをムードメーカーとでも言うのかしらね。とにかく前向きで明るいキャラクターだったわ。
 それに決して対戦相手をディスるような汚い野次は言わないところ、それも私が好感を持った一つの要素なの。
 さて試合の方は一点リードしたまま最終回を迎えたわ。ツーアウトまでは順調に行ったのが、そこからフォアボールが二つ続いてさらにはダブルスチールまでされて、突然のピンチよ。
 そこに追い打ちをかけるようにランナーと交錯したセカンドの選手が足を痛めて交代を余儀なくされたの。
 そこで起用されたのが、今までベンチで頑張っていた背番号13の彼だったの。
 彼は元気いっぱい飛び出して行ったわ。軽快なフットワークでキャッチボールも流れるような動作で、それを見た時は、これなら大丈夫と誰もが思ったものよ。
 そうしたらね。野球の格言に代わったところに打球が飛ぶ、なんてのがあるじゃない。これが最後の打者になると思われた相手の選手が平凡なセカンドゴロを放ったわ。
 ああ、これでゲームセットね、と誰もが思ったのだけど……。
 なんとまあ、セカンドを守る彼が腰を落として差し出したグラブと足の隙間をボールはすり抜けて行ったわ。見事なトンネルよ。ボールは外野に転々と転がって、外野の選手がそれを拾った時には、すでに二人のランナーがホームインして、逆転されてしまったのよ。
 さすがに彼は天を仰いで悔しがったけど、直ぐに気を取り直すと、懸命に声を出し、まだ大丈夫、裏の攻撃でひっくり返すぜと気を落とした仲間を激励してたわ。自分のせいなのにね。笑顔まで見せて。
 さて、こちらのチームも粘りを見せたわ。その裏ツーアウトながら満塁のチャンスを掴んだの。そしてそこで巡って来た打順が、こともあろうに背番号13の彼。
 でも素振りを繰り返して打席に立つ彼にみんな期待を込めて声援を送ったわ。自分のエラーで逆転されたという汚名を返上するには絶好のチャンスだったからね。

 でも結果はあえなく三球三振、擦りもしなかった。それで試合終了。

 それでも背番号13の彼は持ち前の明るさを失わなかった。しょげるチームメイトの肩を抱き、また次があるさ、とか明るく笑って声を掛けてたわ。
 三年生にとっては最後のトーナメント、もう次など無いというのに。

 私たちと言えば、あ〜あとか言いながら、帰り支度を始めたの。クラスメイトは勝ち負けより憧れのエースの姿をたっぷり見れて、満足してたみたいだし、でも試合終了後のグラウンド見てたら、勝者と敗者の姿が浮き彫りで、まるで明と暗、青春て残酷なんだなあと何気なく感じたりしたものよ。
 それはともかく、帰り際、私はクラスメイトと別れて、自転車置き場に向かったわ。その日は自転車で来てたから。
 そしたら駐輪場の隅っこでユニフォーム姿の誰かがポツンと一人、膝を抱えて帽子を目深に被って俯いて座っていたの。
 背番号を確認するまでもなかった。13番の彼だったわ。
 みんなの前ではあんなに明るく振る舞っていたのに、やっぱり彼も悔しかったのねと私は思って、でも知らない人だし、声掛けるのも何だか躊躇われたのね。だけど私の自転車は彼が蹲っているその向こうにあったから、どうしても彼の前を通らなきゃいけなかったの。
 それで何だか彼が泣いてる風に思えたので、通り過ぎざま、私はポシェットから木綿のハンカチーフを取り出して、彼の膝の上にポンと置いてあげたの。「ファイト」ていう声掛けは心の中だけで呟いて声にはしなかった。
 彼は一瞬、驚いた顔をして、ハンカチを掴んで私を見上げたわ。何ともまあキラキラした大きな瞳だった。
 もう分かってると思うけど、それがアワノだったの。

 私たちは彼がハンカチを返しに来たことをきっかけに付き合うようになったわ。
 付き合ってみると、アワノはいつもおちゃらけているばかりで、私はいつもそのテンションの違いに気後れして疲れることが多かったわね。
 野球の試合の時のこともどんな思いだったか、詳しく尋ねてみたわ。そしたらアワノはとにかくウケることだけ考えて、どうやって笑わせるか、それだけ考えていたなんて言うのよ。
 駐輪場の横で蹲っていたのも次のネタを考えていただけ、なんて多分ウソだろうけど、そう言い張って聞かなかった。
 それに軟式野球部なんて全然遊びでやってただけで、楽しければ何でも良かったんだって。
 これには少しばかりカチンと来たけどね。でもホントかウソかよく分からないけど、いつもそうやってヘラヘラ笑ってるの。
 格好だけはいつもいい服を着てたわね。でも何だか気障ったらしくてね。髪型も変にキメてて、とにかくおしゃれでカッコつけることにいつも神経を注いでたみたい。私にはそれほど似合ってるとは思わなかったけれど。

 つまり、それがアワノという男だったのよ。



 さて、今回は少し長い話になっちゃったわね。今日のところはここまでね。次回は私が突然失恋してしまう話と演劇サークル『MARS』での出来事などをお話しするわね。

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