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黒髪を切る迄 2


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 じゃ、この間の話の続きをするわね。
彼ら(小野さんとアワノ)と私の物語よ。
 忘れてしまった方は、前回の記事を遡って読み直してみてね。


 そもそも私と彼らとの接点とは、演劇サークル『MARS』という集まりでのことなの。
 もちろんそこで出会う以前にも彼らのことはよく知っていたわ。
 小野さんは手先が器用で、いつも図書室の片隅でスケッチブックに鉛筆で実に丁寧にイラストを描いていたわ。描いていたのは何かオーディオ機器のような無機質な物体だったけど、まるでそこにリアルに存在しているみたいな描写だったの。
 それはまあ、本当に見事なもので、その精密なる筆致に驚いたわ。今まで私の周りにこんな絵が描ける人なんて一人もいなかったから、思わずすごい才能がある人だって感心したものよ。
 それから時々、図書室に行っては小野さんの描くイラストを何枚か見せてもらって、その度にその精密さに驚愕して深い溜息を漏らしたこと、よく覚えてるわ。
 でも同時に思ったの。こんな手間暇かかる作業を毎日少しずつ熱心にやり続ける情熱って、何なのだろうってね。訊くと別に何かのコンテストや展覧会に応募するつもりも何もなく、ただ日々の鍛錬を続けているだけだ、なんて彼は言ったわ。
 私にはそのストイックな感情がとても理解出来なかった。小野さんの描くイラストには心を惹かれたけれど、男性としての小野さんには惹かれなかったの。何しろその時、私には交際している彼氏がいた訳だし、それがなくても、多分無理だったと思う。
 イラストの他に小野さんにはマジックという特技があったわ。トランプだとかハンカチとかを使って行うテーブルマジックよ。
 自分の周囲にある程度人が集まって来ると、彼は鉛筆を持っていた手を休め、ポケットから次々と手品の道具を取り出し、いくつか披露を始めたわ。
 手の中からハンカチが消えるマジック、トランプのカードを誰かに一枚ひかせてそれを覚えさせ、またカードの山の中に戻す。そして両手でカードをパラパラしていると一枚のカードが飛び出して来て、それがさっきひかせたカードだっていう、そんなマジック。
 もちろん、手品なんだからタネや仕掛けがある訳だけれど、手捌きが鮮やかで器用。綺麗な指先、そして人が驚いて喜んだ顔を見た時に浮かべる笑顔。
 私はその暖かいホームドラマのようなニコッとした笑顔を小野スマイルと密かに名付けていたの。
 だから、確かにいい人だったのよ、小野さんは。
 その頃から人を喜ばせることが自身の楽しみであったみたい。
 今考えるとイラストも手品も全部、彼のパフォーマンスだったのよね。
 そうやって人に興味を覚えさせるところまでは完璧だった小野さんも、実は口下手であることを、その時の私は見抜いていたの。
 パフォーマンスが終わってしまえば、その後の会話が続かず、妙に気まずい空気に支配されて、そそくさと私はその場を後にしてしまうことが多かったわ。

 演劇サークル『MARS』に誘われたのは、私が文芸部に所属していて、戯曲などの創作なんかも手掛けていたからだと思う。
『MARS』を主催する城山千紗子しろやまちさこから声が掛かったのは、次回の公演のために用意したある有名な原作戯曲を『MARS』の演者に合ったシナリオに手直しして欲しいという依頼からだった。
 千紗子とは以前から顔見知りだったし、彼女のリーダーシップ溢れる行動力や女も惚れ惚れするような顔立ち、まるでタカラジェンヌを思わせるような佇まいにいつも彼女の周囲にはたくさんの人が自然と集まっていたのよ。そうね、私もその一人だったわね。
 だから千紗子の頼みは断れなかった。
 それに、その時たまたま、付き合っていた彼から突然の別れを告げられて、失恋したばかりだったの。その穴を埋めるために演劇のシナリオ制作に没頭してもいいかなと思ったことも否めなかったわね。でないと胸の苦しみから抜け出せそうもなかったから。

 『MARS』の稽古場に初めて顔を出した時、演出家の鳥山とりやまという背の高い仏頂面の男が横柄な態度でその場を取り仕切っていたので、少々げんなりしたのを覚えてる。
 その鳥山の暴言に近いような演技指導は相手が千紗子であろうとお構いなしよ。あんなのでみんなよく我慢してやってるわねと内心呆れたものよ。
 団員は全員女性で十人くらいはいたかしらね。今でも数人の名前と顔は覚えているけれど、ここに記すのは控えておくわ。面倒だから。
 でも、それよりもっとびっくりしたのが、部屋の隅で椅子に腰掛けていた男が二人いたの。暗い場所にいたからすぐには気が付かなかったのよ。それが、小野さんとアワノだったわけ。
 まず驚いたのが、何故二人がここにいるのか、そして小野さんとアワノが顔見知りだっていうことも、その時初めて知ったのよ。二人は気安く会話して時々笑い合ったりしていたわ。
 あとで千紗子に訊いたのだけれど、もともと『MARS』は女子だけで始めた劇団だったのだけれど、ほとんど全員が演劇素人だったし、舞台を作るのに、結構な裏方が必要になるのよ。音響だとか照明だとかね。それに小道具ならともかく、大道具など舞台設定のためにはかなりの重労働になるわけ。
 そこで映画制作を志し勉強をしている鳥山を人から紹介されて演出を頼むことにして、いろんな場面で必要となる男手として鳥山に呼ばれたのが小野さんとアワノだということだった。
 小野さんと図書室以外で会うのも初めてだったし……、そんなことは、ともかく、アワノ?
 私はその時のアワノの様子、特にその表情を注視した。
 何しろアワノは私の恋愛相手だった男であり、直前に私を失恋のどん底に突き落とした張本人だったから。
 アワノは私を確認すると、口元にシニカルな笑みを浮かべ、いつもよくする下から斜めに視線を配す独特の気障ったらしいポーズをして、私の反応を確かめると肩を揺するように俯いて笑いを噛み殺していたわ。
 小野さんは例の小野スマイルを浮かべて小さく頭を下げたりしていたけれど、私はぷいと二人から視線を外し、一瞬にして『MARS』に来たことを後悔していたのよ。



 さて、今日のところはここまでね。次回は私がアワノと出会って交際に至った経緯についてお話するわね。

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