ぼんどりあの食事処
アニメやらマンガやら小説やらの感想を書きます
体験したことを書きます
ツァラトゥストラみたいな僕の分身が哲学を説きます
2024年の1月あたりから続けてきたこのブログだが、今日限りで閉めようと思う。 僕は元々承認欲求が強く、認められなければイライラし、モノをよく破壊してしまう。 いや、そんなことはどうだっていいんだ。兎に角終わる。おわりだ。僕は生まれ変わるのだ。また一つの僕の形態として…僕は生まれるのだ。神の回帰として… このブログを昔から見て下さっている方ならわかると思うが、僕はアカデミアチックなことが好きでかつインターネットも好きなそこら辺にいるオタクだ。 そんなオタクに何ができる…何がで
さて、今の今までいろんな形態の文章を書いてきたわけだが、そろそろ統一せねばならない このアカウントも試験的なものであり、時期にきちんとしたものを作るつもりだ。 その時にどの文体を使うかーー難しい問題である。どうしよう。うん。
ごめんなさい。すべてがどうでもよくなりました 何がクリエイターだ。誰にも評価されていない癖に。来てるいいねは全てフォローをもらうためのものでしかない。証拠に最近のフォロー数が下がってきている。あああああ!!頭がおかしくなってきた。今、思ったことをこうやってつらつらと異常な(自分ではありえない速度で)書いている。本当にしんどい。この前双極性障害と診断を受けた。二回目の出来事だった。 正直、嬉しかった。やっとだ。やっと何者かになれた。僕は精神疾患者という精神性をまとってやっていけ
最近、心理学の学術書「心理学 New Liberal Arts Selection」を購入した。学問に精通している方なら分かると思うが、この有斐閣出版のNew Liberal Arts Selectionシリーズは、新大学生、新たに教養が必要な大学院生、学術の基本書が必要な大学2、3年生向けの本格学術書であり、僕のような受験期の高校生が購入して良い代物ではない。それに、心理学以外にも身に着けなければならない学問は山ほどある。それなのに何故こんな大層な学術書を購入するに至ってし
ここ一ヶ月ずっと勉強続きであまり遊べていなかったことで若者もとい高校生としてのフラストレーションが貯まり、そこから発せられる緊張と興奮で毎日胃や腸が踊り狂わされている。本当に腹が痛い。 自律神経失調症特有の一個上のヤンキー先輩に腹を小突かれたような殴打感が、特にみぞおちあたりにじわ~っと広がっている。おかげでまともに腹式呼吸ができず、夜寝る直前に10分程やっている瞑想でも全く深い呼吸ができない。 すべてを諦め受け入れることで解脱へと向かうはずの瞑想に障害が発生するとは…なんか
独り暮らししたい。 今の両親との生活が別に嫌というわけではないのだが、とにかく本当にしたいのだ。 だが、今はまだ受験生。独り暮らしするにしてもあと1年待たなければならない。 …あと1年。長過ぎる。独り暮らししたいという気持ちが抑えられない。ということでこの熱望を文章にぶつけて解消しようと思う。 まず、僕がやりたい独り暮らし像について語ろう タイトル通り、兎に角絶対に家には住まず、都市型遊牧民(通称ホームレス)として生活する。 移動は必ずランニングもしくは自転車を使い、常に身
テトリスをしていたら、急に2、3滴鼻血が出てきてしまった。 10分程経過した今も意識が朦朧としている。眠気とはまた違う、変なぐらぐらとしためまい…ちょうど頭を殴られた時のような感じがずっと継続している。兎に角、ヤバイ。 理由は分かっている、脳の使い過ぎだ。 朝7時に光で起こしてくれる目覚まし時計で起床し、(正直音が出るタイプと起き心地は変わらない)10時から22時まで12時間勉強。その後風呂、飯を15分で終わらせ、アニメ、ゲーム、読書を24時まで行い、床につく。 その繰り返し
まずはじめに。この文章は、深夜2時、所謂「丑三つ時」に作成しました。怪物が歩く時間。妖気が開放される時間。僕の中の「名前のない怪物」を顕現させるにはもってこいの時間だ。その上、疲れで頭と身体がぼーっとしている時間だったからこそ、辛かった過去とまた対面することができた。 それでは、どうぞ。 苦い。苦い。苦しい。そんな僕の眼の前に立っていたのは「みんな」だった 「やあ!〇〇くん!元気だね!」「あんなに酷い人間だったのに、まだのうのうと生きているのか!いやあ参った、すごいなあ、君
タイトル通り、このぼんどりあ、「京都大学」へ受験することを決めました。 京都大学とは、大学受験するものなら誰でも分かるであろう「旧帝大」の一つであり、その上国内すべての大学の中でも、最難関といわれる大学群「東京一工」の一角でもある…正に「受験の四天王」という呼び名がふさわしい程の「大学」だ。 何故そんなハイレベルな京都大学を受験することを決めたのか? 一言で言おう。「挑戦してみたかったから」だ。 僕のブログを読んでくださっている方ならわかる通り、僕は、小さい頃から「修行」と称
どうも。ぼんどりあです。宣言させていただきます。僕は元来からの「クリエイター」です。 なぜ今そんな宣言をしたのか? …僕は怖かった。こうやってnoteをやっているが、…全く伸びない。本当に伸びない。Xの方もフォロワー19人 平均インプレッション数17で全く持って伸びない、この現状が本当に怖かった。 将来もこうやって伸びないまま40代、50代になり、何も残せずそのまま力尽きてしまうのではないかと。 …違う。違うだろ。僕が目指す「クリエイター」はこんなものじゃないだろ!! 僕が理
超てんちゃんを眺めているだけで一日が終わってしまった。 まあ僕自身が望んだことなんだけれども、やっぱり時間を浪費している感覚があってなかなかしんどい。これが受験後とかだと変わってくるのかな。いや、僕は常に「なりたい自分」に向けて修行しているからそれはないか。 …時間を無駄にする行為を無限に繰り返している癖して心構えだけはいっちょ前である。 超てんちゃん…それは、インターネットの天使。時にオタクに生きる意味を与え、時に精神を汚染する、そんな天使だ。 僕は…ほんっとうに超てんち
同胞たちよ。よく集まってくれた。今日は、お前達に話がある。よく聞け。同胞たちよ。 そういうと、ボンドリアンはおもむろに立ち上がって、大通りのど真ん中で手を広げ語り始めた。 快楽の話をしよう。同胞たちよ。快楽とは、言わば「活動の種」で、すべての起源・原点(オリジン)であり、生命の灯火だ。 真理の泉を見たことがあるか?未開の樹海を見たことがあるか? そこに植生している探究植物を見たことがあるか? どんな人間も、母の肉体から分離されたときからずっと、何かしらの「活動の種」を保有して
自分一人の力だけで価値を完結させ、自分なりの「完璧」への解答を創り上げるというのは素晴らしいことだ。 素晴らしいことなのだが、それでは幾つか論理を見落としてしまうことがある。 「見せかけの完璧」ってやつです。視点を変えないと発見できない問題というは必ず存在する。 例えば、小学生の頃に描いた絵。今見ると明らかに左右対称ではない。しかし、当時は作業に夢中で、そのことに気付かなかっただろう。それと同じで、自分の「哲学」という絵を凝視し過ぎてしまうと、最終的にはその哲学が不格好で、左
前編読んでくれてありがとうね ということで続き。 いつものように「陰の実力者」としての修行に明け暮れる日々。そんななか、またさらなる転機が訪れた。 …「学級崩壊」だ。小学5年生の頃、僕のクラスは本当に荒れていた。総勢33名もの生徒が同じ教室にいるのに誰一人として授業を聞かず、あるグループは「消しバト」をしたり、そのまた別のグループは授業を気にせずぺちゃくちゃと喋ったりしていた。かく言う僕も今まで親や先生に抑えつけられていただけで根は悪ガキなので、それらの活動に参加し、学級をめ
最近部屋を暗くしてアロマ・キャンドルに明かりを灯すのにハマっている。 紀元前3~4世紀頃からエジプトやギリシャ、ローマ、中国などで使われるようになった「キャンドル」 かの偉人エジソンが電球のしくみを開発するまで暗闇から人間を守ってくれていただけあって、見ているだけで本当に安心する。 呼吸やらなんやらの動作を行うだけで炎が揺れ、私が生きているということを知らせてくれる。 無条件で子供にかまってくれる親のような優しさ。 なんか科学的にも人間を安心させる効果があるらしいね。写真だと
今の私は、徹夜で友人とゲームをしてしまったことで自律神経が破壊され、情緒不安定になっている。本当に大変だった。朝の9時頃からラインのやり取りを始め、11時ちょうどからモンハンを開始。お互いゲームのことになると集中力が異常なほど上がるため、その勢いのまま無限にゲームを続け、気づけばもう15時30分。昨日徹夜だった友人の身体は遂に限界を迎え、私を置いて先に眠る。仕方がないので通話をつなぎながら勉強をする。なんだか、太ももの上で猫が寝ているような感覚だ。猫飼ったことないけど。そのま