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「愚痴」を言うのはNG?

こんにちは!彩季です。
高校〜社会人3年目までの10年間に、拒食症と非嘔吐過食症を経験し、現在は仕事の傍ら「非嘔吐過食症に特化して」サポート活動を行なっています。
(発症〜克服までの経緯は、電子書籍『吐かない過食の治し方〜5つの小さな習慣で思考改革と食事改善を同時に叶える〜』(Amazon)に詳しく記載しておりますので、よければご覧くださいませ。)


「愚痴を言わない」という正義


そんな私は、社会人になってからある素敵な職場の先輩にお会いするまでは、愚痴を一切言えない人間でした。
(今回は「愚痴」と言う言葉を使いますが、愚痴は「本音」とも言えますから、置き換えて読んでいただいても良いかと。)

「嫌だな」「おかしい」など不快感や違和感、あるいは憤りを感じた時、誰にも何も言わず自分の中で無理やり消化していました。
なぜそうしていたのか。それは、周りから見て「いい子」であるためです。

愚痴を言わないって一般的には良いことですよね。
確かに愚痴ばかり言う人は人間関係がこじれやすいですし、聞いてる方も気を使うし不快だし、側にはいたくないものです。

だからこそ、愚痴を言わないことが正しく、怒ったりイライラするのは悪い感情だとずっと考えていました。
無理やり気持ちに蓋をすることに慣れると、憤りや不快感は一瞬の出来事になり、すぐに冷静になることができるようになりました。

ところが、実際はちゃんと消化できてなかった。
納得しないまま気持ちを押し殺す行為は、少しずつ、でも着実に心に負荷をかけていたんです。
徐々にまるで機械のように感情の起伏がなくなりました。感情がなく何を考えているかも分からない。そんな風に周りからは見えていたようです。
なので、もちろん人間関係は浅い付き合いばかり。

「喜怒哀楽」の「怒」をなくした結果、漠然とした虚しさだけが残り、「哀」も「喜」も「楽」もなくなっていったんです。
こんな状態に加えて当時は過食もしていたので、そりゃ鬱になりますよね😅


欠けてはならない感情


私たちには思考と感情があります。
だからこそ、学んだり働いたり創造したりできるし、家族や地域、職場などのコミュニティーができます。
私は、人間が生き続けていくために思考が大切なように、「喜怒哀楽」の感情全てが、欠かすことのできない大切な感情だと思うのです。

今は全ての感情があって初めて「私」だと心から感じています。
だから、憤る自分のことも肯定することができます。(もちろん相手に衝動のままぶつけることはありませんよ)
「憤る」ってそこに自分の価値観が影響していることが多いので、無意識の価値観に気づくチャンスでもあります😊


「愚痴禁止」な思考が変わるキッカケ


私がこう思えるようになったきっかけとなったのは、職場で出会ったある女性でした。
口には出さないけれど、明らかに表情が暗く疲弊していく私に、その方だけはよく声をかけてくださいました。

「大丈夫?」「最近元気ないね、どうしたの?」などの言葉をかけてくださっていたのですが、私は常に「大丈夫です!」「ちょっと風邪っぽくて💦」と即座に愛想笑いしながら返事。
愚痴はダメ、弱音も情けないことだと思い続けてきたので、考えるよりも先に誤魔化す言葉が出てきていました。

でもその方は、私の「大丈夫」が真実ではないことを感じ取っていたようで、ある時二人で残業していた時に「ちょっと飲みに行かない?」と誘ってくださいました。
今思えば、あの日、私を誘うために敢えて一緒に残業してくださっていたんだろうなと思います。

正直気持ちもどん底で鬱状態にもなっていたので、飲みに行くのは嫌だなと感じました。ですが、

「こんな私に一番声をかけてくださっていたのはこの人だ。辛くて悲しくてしんどい今の気持ちを素直に伝えよう。話した結果がどうなろうと構わない。」

そう思って飲みに行くことに決めました。私はのちに転職したので、これがその方と二人で過ごした最初で最後の機会でした。
助けてもらおうとは一切思いませんでした。
ただ、例え嫌われても引かれても情けないと思われても良いから、このボロボロな気持ちを聞いて欲しかった。

勇気を出して話し出した途端、涙も言葉も溢れるように出てきて止められませんでした。
それだけ心に負担をかけ続けていたんだと、ようやく気づけた瞬間でした。


あっという間に環境が変わった


話をしてから1ヶ月程で、私は同じ建物内で部署異動することになり、あれだけ悩み続けていたのが嘘のように環境が変わりました。
以前よりも多忙になったし、個性の強い仲間をまとめる大変さがありましたが、好きだった接客業を続けることができました。
まだ過食はしていましたが回数は減り、以前よりも仲間との心の距離が近くなり、全く鬱にならずに働くことができました。

あの時愚痴だけでなく、今まで溜めてしまっていた色んな気持ちを話して本当に良かったと思っています。
そして、気にかけてくださっていた女性には本当に感謝しかありません。


「愚痴」で終わらせない


私は前述の経験から「愚痴」を言うことが悪いこととは思いません。
心の負担を緩和させ、心身の安定に繋がることもあるからです。
ただ、「愚痴」には2種類あると思っています。

①鬱憤ばらしの「愚痴」
②相談型の「愚痴」

①については容易に想像できるかと思います。居酒屋に行けば多くのテーブルからよく聞こえますよね。
職場の上司、後輩、配偶者、ご近所さん、ご友人、政治家、社会などに向けて、ほぼ全ての方が何かしら「愚痴」を持っているのではないでしょうか。

①の鬱憤ばらしの愚痴は、互いに共感できる愚痴もあるでしょうから、確かに気持ちがスッキリすることはあるかと思います。
ただ、この手の愚痴は現状を何も変えない上に永遠に繰り返してしまう、”過去を生きる愚痴” なんです。

一方、②の相談型の愚痴は、それぞれの思いを共有するところは同じなのですが、その後が違います。

それ、どうしようか?

相手の愚痴に共感して「すごい分かる〜」で終わるのではなく、例えば「それ、職場の雰囲気も悪くなるから嫌だよね、どうする?」と自分たちには何ができるんだろう?と、一歩踏み込んで考えてみる。
つまり、”未来を生きる愚痴” です。

愚痴を言うだけで終わらせない。
それが現状を変えるヒントになると、私は思います。
私もいつもできている訳ではありませんが、ぜひこれからは一緒に違和感を口に出して、現状を変えていきませんか?

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では、またお会いしましょう!


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