見出し画像

母と子

母と子

母よ わたしの母。
わたしはどうしてあなたのところへ
いつころ人知れずにやつて来たのでせう
わたしにはいくら考へてもわかりません
あなたが本統の母さまであつたら
わたしがどうしてこの世に生れてきたかを
よく分るやうに教へてくれなければなりません

わたしは毎日心であなたのからだを見ました
けれどもわたしが何処から出てきたのかわかりません。
わたしは毎日あなたを見詰めてゐるのです
ふしぎな神さまのやうに
あなたの言葉のひとつひとつを信じたいのです
母さまよ わたしに聞かしてください
わたしがどうして生れてきたかを――

いいえ 坊や
お前はそんなことを訊いてはなりません。
おまへは温良おとなしく育つてゆけばいいのです
大きくなればひとりでにみんなわかることです。
母さまの たましひまで舐しやぶりつくしておしまひ。
母さまが瘠せほそれるまで。

おまへが大きくなるほど
母さまはぼろぼろになるのです
それほど瘠せおとろへしてしまふのです
母さまはいまは誰もふりかへつて見てくれません。
母さまの心臓もからだも
そしてしまひにはお前を抱き上げるちからもなくなるでせう。
子守唄もうたへなくなるでせう
けれども子供よ かまはず大きくおなり
母さまのおちちのなくなるまで
みんなみんな舐つておしまひ。

母よ わたしの母。
あなたはなぜ一人で門のところへ出るのです
そして一日何をつぶやいてゐるのです
わたしはなぜ寒いところへ出なければならないんですか
わたしはすやすや睡りたいのに
きのふも今日も同じい石壇いしだんの上に座つて
そして同じいことを聞かなければならないんですか。

(略)

子供よ
おまへはよく似てゐます
そつくりお前のいふことは二度聞く気がします
いいえ いいえ
似てはなりません
さういふ物の言ひかたをしてはなりません
おまへは母さまだけに似るのです
誰にも似てはなりません
おお 母さまだけに
そして微塵もよそのひとに似てはなりません

おまへは母さまの子供です
この世でただひとつの母さまの大切なおたからです
そして母さまの心のとほりにならなければなりません

母よ わたしの母。
わたしはあなたに似て居ります
あなたの美しいお心そつくりのわたしです
わたしは誰にも似たりしません
わたしはあなたを舐りつくしませう
そのかはりあの寒いところへ出るのは厭です
あそこへ出ると暗い咳の音がするのです
わたしはあの音がきらひです
陰気でさびしい音が今にもしさうです

(略)

子供よ
みんなお前にあげたのだから
さう悲しさうにわたしの顔を見てはなりません。
母さまの大切なからだも
さうしてその心も
みんなみんなお前にあげたのだから。

室生犀星「忘春詩集」より

室生犀星の作品の中には、多くの母が登場しますが、犀星自身は生母はおろか実の両親を知らず、引き取り先の養母に育てられました。そのような背景は、のちの犀星の文学に大きく影響したといわれています。

しかし、作品の中に登場する母は、彼の眼の中にある継母とは違う母親像であることを、自身の随筆の中に記しています。

また、自分にとっては悪態つきぬ厳しい母親ではあったけれど、息子が「母」について書くことを、咎めもせずほっといてくれた母の理解は「慈愛」であったとも残しています。

そんな自分の生い立ちを、生涯にわたり背負い続けた犀星が、抱いていたであろう生母への憧れ、継母への慕情を見るような、詩に巡り合いました。

つらい幼少時代を思うよりも、血の繋がりがない事よりも、今ともなれば、あなたの良いところばかりが思い浮かばれます。そんな声が聞こえるようなこの詩を、母へ、子供へ

今日もいちりんあなたにどうぞ。

カーネーション 花言葉「母の愛」

母の日に


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?