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「子どものミカタ」花屋の向こう側

先日、とある父子が花屋に来て、お母さんにプレゼントにする花が欲しいというので、一緒にいた男の子に「自分で選んだらいいよ」と声をかけました。お父さんから離れ、ひとりで花屋の中を歩いて回り、まもなくして「このふわふわ」というので傍に行くと、彼はカスミソウのあたまを撫でていました。

そこで、「こっちにもふわふわなのあるよ」とレースフラワーを見せ、「さわってごらん。ふわふわしてるから」というと、男の子はさっきと同じように、花のあたまを優しくなでながら、そのふわふわを確かめたことを嬉しそうに「ほんとうだ」と笑いました。

レースフラワー

「どっちのふわふわが好き?」と聞くと、彼はしばらく考えて「こっち」とカスミソウを指さします。「どうして?」ときくと、男の子は答えました。「お母さんが好きだから」。

きっとそれは「お母さんが好きそうだから」ということなのだろう。そんなことを想像したとき、お父さんが息子にむかって「さわっちゃダメだよ」と声をかけるので、こちらも一度だけ、「大丈夫ですよ」と声をかけて返しました。

お店に迷惑をかけてはいけない、商品をダメにしてはいけない。それがお父さんの気持ちでしょう。よくあることなのですが、そんなとき、いつも思うんです。そして、ほら見て、と。

大人が思っているほど、子どもたちが花を雑になんて扱わないことを。花を撫でるときの優しい手つきを。棘をこわがる、あたりまえの恐怖を。折れてしまったときの不安な気持ちを。心の中の緊張を。そして、自分でえらんだ、という誇らしい顔を。

町の花屋をしてますと、ささやかながら、こうした子供たちの自立を垣間見ることができ、嬉しく思います。これもひとえに、お父さんお母さんの「おおらかさ」のおかげで、本当に有難いことだなと感じています。

花屋で子どもたちに接するとき、大切にしていることがあるんですね。それは、どんな小さな子どもであっても、誰にも必ずある「できること」を「取り上げない」ことです。そして評価をするのではなく、子どものミカタになること。

私は先生ではありません。なので、できたことを評価するのではなく、できると信頼してミカタになるのです。「大丈夫だよ」と。

見ること、さわること、選ぶこと、知ること、伝えること。

先日の男の子には、お母さんのことを想像する力がありました。その後は彼が選んだカスミソウと、お母さんが好きなオレンジ色で小さな花束を。

楽しいひとときでした。そんな私たちの様子を見守っていてくださった、お父さんにも、あらためて感謝をこめて。今日もいちりんあなたにどうぞ。

カスミソウ 花言葉「純粋」

ふわふわ




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