鈴木咲子/ Sakiko Suzuki

植物と文学 花屋の店主 https://www.hanaimo.com/

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最近の記事

茨(いばら)

緑が夏の訪れを感じさせる季節。満開の茨の花がひときわ鮮やかに咲き誇っているのを見つけました。茨(イバラ)は、野茨(ノイバラ)とも野薔薇(ノバラ)とも呼ばれます。 枝や葉に鋭い刺があることから、困難な状況や苦難の多い人生を喩えて「イバラの道」なんて言いますね。山の中でも、押し合うように咲きこぼれる白花に出会うことがありますが、うっかり傍に寄ろうものなら、傷負いますからご注意です。 「イバラ」ときくと思い出す、古い詩画集があります。山田かまちの『悩みはイバラのようにふりそそぐ

    • 山の花

      昨日のこと、緑したたる新樹の青さに包まれながら、山道を車で走り抜けていると、ぱっと目に飛び込む花が何度もあり、よく見ると、それはライラックの花でした。 寒い場所を好むというから、なるほどこんな標高の上がった土地を自ずと選んだのだろう。それにしてもあんな誘惑の色をして、人の手に届かぬ車道の脇で、香りも届かせずに、これ見よがしに咲いているとは、なんてにくい花だろう。 なんて思いながら、翌日からの繁忙、その英気を養う花に出会えたのは良かったなと、 そういえば、ドイツにいたころ

      • 卯の花(ウツギ)

        夏が立つと、まずはじめに目に浮かぶ歌と景色が『夏は来ぬ』。 きっとこの歌から「うのはな」という花があること、また夏の到来を知らせる花だということを、教えられた人は多いと思います。私もその一人です。 卯の花はウツギの花。枝が空洞なので「空木」とも、厄祓いに使われたことから「打つ木」とも書きます。花は白く清楚で愛らしく、そんなウツギが昔から人々に親しまれてきた花であることは、万葉歌をはじめとする歌の多さからもわかります。 卯の花を詠った歌は、万葉集には24首あり、そのほとん

        • 移る季節

          先日のこと、信号を渡って右に折れると、その角に咲いている真っ白な花塊が目に飛び込んできました。 ふだん通っている身近な町の景色であるのに、こんな花木あったかしらと覗き込むと、花のつき方はコデマリのよう、でも違う。花の形は梅のよう、その葉には覚えがあります。なんだろう。 と、あとで調べてわかった山査子(ピラカンサ)の花。そういえば確かに、ここにあったあったと、秋の盛りを思い出しました。 ピラカンサは山査子(サンザシ)、常磐山査子(トキワサンザシ)などとも呼ばれます。秋も深

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        • 花屋の向こう側
          9本

        記事

          端午の節句 立夏

          春過ぎて夏来たるらし白栲の 衣干したり天の香具山 持統天皇 今日は二十四節気の立夏。連日びっくりするような夏日が続いてましたが、暦の上でもようやく夏が立ちました。かさねて今日、五月五日は「端午」の節句です。従来は男児の節句とされてきましたが、現在は女児も含めた子供たち皆々の、健やかな成長を願う日となっています。 昔からこの日は「菖蒲湯」に入る習慣がありますね。これは古代の中国から伝わったもので、邪気を祓うとされる「菖蒲」をいれた薬湯(菖蒲湯)に入ることで、無病息災を願う

          端午の節句 立夏

          フジ子・ヘミング 哀悼

          ピアニストのフジコ・ヘミングさんが天に召され、哀悼とともに、手元にある著書をひらいています。『フジ子・ヘミング 運命の力』。 若い頃から苦難に悩まされ続けたという、フジ子さんの波乱に満ちた人生は、その名を世に知らしめた、かのドキュメンタリー番組にはじまり、以降もたびたびメディアで取り上げられてきました。 そんな高名な方とは、つゆとも知らぬ2008年の頃、たまたま手にしたのが、このエッセイ。その中で惹きつけられたのは、彼女の放つ、純真な言葉の数々はもちろんのこと、何より印象

          フジ子・ヘミング 哀悼

          紫雲英(げんげ)『草枕』

          この二日間で、夏目漱石の『草枕』を読み直しました。あらためて、春の最終に、この作品を読めたのは季節がよかった、と思いながらの読了です。 『草枕』にかぎらず、漱石の作品には数多くの植物が登場します。その数ざっと150以上ともいわれますね。「漱石には、とくに師と呼べるような人がいなかったため、自然はまさに生涯を通じての師だった」といった趣旨のことが、古川 久著『漱石と植物』のなかにありました。なるほど。ほかにも、漱石と植物の関係については数多の論評があるようですから、いつか触れ

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          君影草(すずらん)

          春から初夏へと移り変わるこの季節、ヨーロッパでは、5月を象徴する花スズランのお目見えが、人々の気持ちを喜ばせます。初夏に咲く草花のうちで、もっとも内気で慎ましいとされるスズラン。純真無垢の象徴花として、古くから教会や聖母マリアにも捧げられてきました。 日本では「君影草」という美しい名前を授けています。現代では敬遠されそうですが、その昔は、男性の陰に寄り添う奥ゆかしい女性の姿を、おさげ髪をした少女の姿を、この花に重ねたのでしょう。今に見ても、美しい花名です。 さて、きのう5

          君影草(すずらん)

          五月になりました

          五月になりました。朝からあいにくの雨でしたが、今日は「夏も近づく…」の歌でも知られる、八十八夜。これは立春から数えて八十八日目にあたる雑節(日本特有のもの・農耕や生活に必要とされる目安)で、種まきや茶摘みを始めるのに適した頃としています。 「八十八夜の別れ霜」ともいい、この頃に降る霜をさいごに、ようやく冬の名残りともお別れですよ、という知らせです。 日本語、とりわけ俳句の季語には、「春の終わりを惜しむ」ことばが豊かなように思います。別れ霜もそうですし、逝く春、春の別れ、暮

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          ブエノスアイレスの春

          四月の最後はピアソラを。タンゴ音楽作曲家、バンドネオン奏者として知られるアストル・ピアソラ。 クラシックやジャズの要素も含まれる、ピアソラ独特の音楽性は、踊るための伴奏曲だったタンゴを脇役から主役へと昇華させたといわれます。文字通り「タンゴ革命」をおこした、20世紀を代表する大作曲家です。 日本でもよく知られる『リベルタンゴ』をはじめ、彼の曲を聴くと、どことなくバロックのような古典的なクラシックの雰囲気を感じます。おそらく、ピアソラ自身がクラシックを学んだことは大きいのだ

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          たんぽぽと白秋

          立ち入る人もない庭園に踏み入って、白いたんぽぽを踏むと、春も盛りを過ぎたのを感じる。という北原白秋の歌。 ここにある「たんぽぽの白き」の解釈を、タンポポのワタ、とするのと、白花タンポポ、とするのがありますが、個人的には後者の白花をいっていると思っています。 白秋はタンポポをよく詠います。そこで、九州出身の白秋にとって「たんぽぽ」と言えば、白花だったのでは、と想像しています。 関東ではあまり見ない白花タンポポですが、四国など、西の地方では咲くと聞きました。なので、九州にも

          沢瀉(おもだか)

          ゴールデンウィークに入りました。稲作がさかんな地域では、そろそろ早苗田の景色が見られる頃でしょうか。あの視界いっぱいに広がる水田の景色。田舎育ちにの私にとっては、この季節になるたび懐かしく思い出される光景です。 鏡のように天を映す田んぼの水面、用水路の水音、砂利に混じった砂埃の匂い。歳を重ねるほどに、こんな原風景があることを、田舎で育ったことを、よかったとしみじみ思います。 今日の花は「沢瀉(オモダカ)」です。花の時期はまだ先ですが、池沼の溝や田んぼに自生するお花。地味で

          沢瀉(おもだか)

          行く春

          きょうは曇り。もう花曇りとは呼べない空だけれど、その色は過ぎる春を惜しむようにみえます。待っても花は戻らない、わかってる。と、失恋みたいな曇り空です。そういえば、季語には行く春、行く秋とあります。しかし行く夏、行く冬とはありません。同じく、春を惜しむ、秋を惜しむとはいいますが、夏を惜しむとはいいません。 春になると哀愁を感じ、秋は寂しいもの思いに耽る、あれはどこから湧くんでしょうね。感覚的なものなのか、よみがえる記憶からくるのか。 昔みた花を思い出したから、そのときの感情

          ローランサン・グレー

          この詩はローランサンの恋人だったとされるアポリネールの詩。眼に触れて、にわかに彼女と過ごした時代の、甘い匂いが漂うような感が残りました。先日は、堀口大學が訳したマリー・ローランサンの詩「鎮静剤」 を紹介したところ、思いがけず多くのコメントを頂き、とても嬉しく思いました。 夏木マリさんの歌、その情報を共有してくださる方が複数いたので、さっそく私も配信で聴きました。作曲した高田渡さん自身も、歌ってらしたようですね。ありがとうございました。 ローランサンの詩に触れたのをきっかけ

          ローランサン・グレー

          一初(いちはつ)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)

          そろそろこの花たちの声が、聞こえてくる陽気になりました。まずアヤメ科のなかでは、一番初めに咲くことから一初(イチハツ)ともよばれる鳶尾草(いちはつそう)。中国原産の植物で、昨日紹介しました、シャガの仲間のひとつとされています。 昔は、この花が台風や災害を防ぐとの俗信があり、農家の茅葺き屋根の上に、この花を植える習慣があったといいます。実は私も、いちどだけ菖蒲が供えられた茅葺き屋根をみたことがあり、その時には意味が解らなかったものの、後にその古い慣習を知り、以降忘れられない光

          一初(いちはつ)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)

          著莪(しゃが)

          気づけば、著莪(シャガ)の咲く頃になっていました。毎年、近くの神社にある藤棚の紫が下がるころ、足元に著莪の群生がひろがるのですが、今年もすでに。白地に紫と黄色、あやめにも似た清楚な花です。 いえ清楚、とは言葉を選びました。地を覆うほどの咲きっぷり、多少の条件の悪さなら、所えらばず花をつける様を見ると、清らかよりも強かさ、反骨ともみえる厳つさ、花の気概を感じます。ゆえに小さな花ですが、見合わぬおっかなさがあり、つまりあまり好きではありません。 けれど、雨に濡れそぼつ著莪に限