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切り絵【散らないで】

3月になりましたが、東京は今日、雪が降ったようでございます。
通所しているB型作業所では、体調不良でお休みされたり、早退されたりする方が増えているので、職員の方が、原因のわからない体調不良が続いている方は、そのままにせずに受診をして下さいと呼びかけていました。

冬の寒さが和らぎ、過ごしやすい季節になっていく一方で、春は体調を崩しやすいという方もいて、花粉症に悩まされることを苦々しく思っている方もたくさんいらっしゃると思います。
スギ花粉のみに反応する私は、この時期だけは、ずっと鼻水が止まらない生活となりますが、出来ることなら、家に籠っていたいと思わせる季節です。

お花見など、とても出来ないというより、あまりしたいとは思わないので、せめて桜の絵を描きました。
学生の頃は、年度が変わるこの季節があまり好きではなかったので、桜の花にも良い印象がありませんでした。
桜は散っていく様子がとても美しいと言われたりもしますが、私は、新しい生活が始まるのに、こんなにもたくさんの花びらが散っていて、散った花びらを踏みつけて桜道を歩く行為に、少しばかり傷ついていた時期もございました。
今でも、散っていく儚さを美しいとはあまり思えず、出来るだけ散ってほしくないと思うから、子供たちが花びらを集める絵を描いてしまいました。
散っていくのは自然なことなのに、それを食い止めようと考えてしまうのは、人間だからなのだろうと思います。

学生の頃、年度が変わると、クラス替えや席替えがあったりして、新しい知らない子との出会いが増えることを楽しみにしている人がいたり、心機一転気持ちを切り替えて新しいことをスタートさせることに意気込んでいる人がいたり、「何かが始まる」というわくわくした気持ちで学校全体が包まれているものだと、勝手に想像していたのですが、私の通った小中学校は少し違いました。

子供の人数が少ないというのは、当時の私にとっては、あまり良くなかったのかもしれません。
一学年一クラスしかなかった小学校のクラスメイトたちは、幼稚園の頃からずっと一緒という顔ぶれだったりするので、5年生から転入してきた私には、ほぼ入り込めるスキがないほど、まとまったグループが出来上がっていたように見えました。
それでも、コミュニケーション能力が高ければ、仲間にしてもらえたかもしれませんが、私ではとてもみんなのグループに入れてもらうことは出来ず、独りになってしまいました。

中学校になって、学区内からなんとか人数をかき集めて二クラスになったのですが、小学校で一緒だったクラスメイトは、ほとんど同じ中学校へ行き、しかも大部分の人数を占めていたので、私が馴染めていない現状は変わりませんでした。

大人になってから発達障害と診断を受けた身としては、自分が浮いてしまう要素を持っているという点が、馴染めなかった理由だったりするので、子供の人数が少ないというのは、関係なかったかもしれませんが、転校という山場を超えなければならなかったことと、もしクラスがたくさんある学校だったらなら、浮いていたとしても多少は紛れることが出来たかもしれないと、思うこともございます。

今年36歳になる私は、「馴染んでいる」という言葉をよく言われるようになりました。
「来たばかりなのに人と馴染めている」「環境に自然に馴染んでいる」「雰囲気が良い」「居てくれると空気が良くなる」など、嬉しいことを言ってもらえることが増え、大変くすぐったい気持ちになっているのですが、子供の頃に受けていた扱いとは、天と地の差が生まれてしまい、これも年を取ることの良さの一つだろうと、しみじみ感じております。
「親しみやすい雰囲気」は、生まれ持ったものだと言う方もいますが、子供の頃はそんな雰囲気を持ってはいなかったので、年を取って気負わなくなったことが、そんな雰囲気を出しているのではないでしょうか。

自分自身が幼いうちは、心配や恐怖に駆られやすく、感情も不安定になりやすいと思うので、子供のうちから精神に頑丈さがあったり、親しみやすさを醸し出せていたりする人は、しっかりとした大人や環境に守られていて健全ということだと思います。
安心できる環境の中にいて初めて、勉強とか人間関係とか、文化に向き合うことができるような気がしております。
たとえ集団の中で、浮きやすい要素を持っていたとしても、味方がいて健全な状態であれば、相手を思いやる気持ちや自分を顧みる気持ちを持つことが出来るのかもしれません。

先日、通所しているB型作業所で、実習生の職員の方に、「入ったばかりなのに、みなさんとすごく馴染んでおられるように見えるのですが、コミュニケーションの秘訣を教えて下さい」と言われまして、大変驚きました。
「相手を不快にさせない」「話していて親しみやすい」そんな雰囲気がどんな意識によるものなのかということを、聞かれたのですが、私にも答えがわかりませんでした。

自分から人に話しかけることがほとんどない私が、コミュニケーションの秘訣を聞かれることがあって良いのだろうかと、戸惑いましたが、髪の毛を明るく染めても、真っ赤な服を着ても、全然派手に見えないという人間なので、存在感が無いことも、言い換えれば、相手にプレッシャーを与えないとか、話しかけやすいとか、そんな良い部分もあるのかもしれません。

周囲に馴染もうと必死だった子供の頃は、「人に合わせること」が大事なのだと思っておりましたが、私がやっていたのは、相手に合わせて、社交辞令や建前、お世辞などの言葉を、人の顔色をみながら言っていただけで、そんな人だったから、「居ても居なくてもどうでもいい人」になってしまっていたように思います。
目立ちすぎて出る杭になってしまうことで、馴染めないという場合もあるかもしれませんが、その集団において「どうでもいい人」になってしまうことも、馴染めない一因を作っているように感じております。
目立つ人や個性が強い出る杭のような人は、環境次第で活躍できたり、受け入れてもらえる場所はたくさんあると思いますが、「どうでもいい」と思われてしまう人は、どんな集団であっても不遇な扱いを受けやすいように思います。
会社などでも、仕事は出来ているのに、「どうでもいい」と思われていたなら、人から関心を持たれない、信頼を得られないことで、本人のストレスになったり、業務上のトラブルに繋がったりすることがあれば、自分は社会に馴染めない人間だと感じてしまうかもしれません。

みんなに馴染もうと、頑張ってコミュニケーションを増やせば増やすほど、心にもない言葉を言うことも増えてきて、誰しもにとって「居ても居なくてもどうでもいい人」になってしまうことこそ、悲しいことだと思います。
努力が報われないと感じる前に、そんなコミュニケーションをやめれたから、いつの間にか「居ると空気が良くなる人」に変わることが出来たのだと思います。

環境に馴染んで、慣れてくれば誰だって饒舌になったり、自然体になったりするものですが、初対面であっても、その姿を偽ることは必要ないのかもしれません。
私のようにもともと存在感があまりない人は、目立つ心配はないのですが、「どうでもいい人」にならないように気を付けております。
自然体の自分を盛ったり、もっと良く見せようとすることもしない代わりに、相手を必要以上に褒めることもしないようにしています。
目立たないと「どうでもいい人」になってしまいそうなイメージがあるのですが、相手に印象を残すよりも、心にもないお世辞や耳心地のよい言葉ばかり言っていることの方が、相手に「どうでもいい」と思わせる印象なのだろうと感じております。

他に、一点だけ強く意識していることがあるとしたら、「負の感情を出さない」ということも言えると思います。
公共の場では、いろんな人がいるので、誰かが負の感情を出すと、それに引っ張られて、共鳴してしまう人たちもいたりするので、自分一人の感情が意外と大事を招くことがあったりすると思います。
感情は分け与えるつもりがなくても、誰かに通じてしまったり、共有されるものだったりするので、自分一人の力がたくさんの人に影響するかもしれないと感じられる貴重な体験が出来ることもあれば、負の感情が連鎖する危険性だけは、自発的に普段から気を付けておく必要があると思っております。

公共の場で、大きく怒りを露わにしている人は、きっと人一人がどれだけ多くの人に影響を与えて生きているのかということを、あまり知らないだけなのかもしれません。

人の目がある場所で、負の感情を出してしまう人は、自分一人だけでは抱えきれない感情を常に持っているのだと思います。
苦労にさらされているストレスによるものかもしれませんし、もう精一杯我慢していてこれ以上は抱え込めない、もう限界を迎えているサインなのかもしれません。
私は、そんな人を見かけたら、同情も応戦もせず、近くにいかないことが良いと思っております。
感情は粘着質で増殖するものだったりするので、自分も相手の感情に捕まってしまって、二人で負の感情を増やしてしまうことになり、倍々になっていけば、余計に助けられなくなってしまうというのもありますが、精神的な不安定さをどうにかするには、ある程度の専門知識と、支援者には訓練が必要なのだと、私は思っております。

電車内で赤ちゃんが泣きだして、高齢の男性が泣き声にイライラして怒鳴りつけた、そんなニュースを、何度か見たことがございます。
男性は非難されて当然なのだと思うのですが、赤ちゃんの泣き声という感情の爆発に、男性の感情が共鳴し、男性も感情が高ぶってしまったということもあるのかなと感じております。
イライラしやすい人の中に、相手の怒りの感情を吸い込んで、相手以上に怒りのボルテージが上がってしまう人だったり、まだ相手が怒りの感情を出していない段階でも、敏感に怒りの感情を感じ取り、自分の方が先に怒ってしまう人などがよくいたりするのですが、相手の怒りを反射、共鳴する力が強いことが多かったりします。
こういう相手の感情に影響を受けやすい人の場合、この人が怒りを爆発させるきっかけは、相手の感情だったりするので、赤ちゃんも例外ではなく、赤ちゃんにイライラしたり、ご両親を責めたい気持ちがあったというよりは、ただ単に赤ちゃんに共鳴した怒りの感情を抑えられなくなっているだけという場合もあったりすると思います。

そんな人もいるんだと納得する必要はないと思いますが、このように感情に共鳴してしまう癖のようなものを持った人も、公共の場には居ると考えると、自分はいろんな人に影響を与えて生きていて、社会の一員というのは、そういうことだと思ったりも致します。

いろんな人がいるということを知ってしまうと、配慮しなければならないのかと気負う人もいらっしゃると思いますが、その気持ちだけで良いと思います。
配慮が必要な人に、無理して良くしてあげて「どうでもいい人」と思われてしまったら、とても悲しいことになってしまうので、自然にしているのが良いと思います。
「これだから社会人になんてなりたくない」と感じる人も、これから新しい仕事に従事しようという人も、余暇を過ごしている人も、新年度なんて関係なく、過ごしてほしいなと思っております。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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