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夢切り絵【構ってほしいのね】

見た夢を切り絵にしました、5枚目でございます。
こちらの夢も、1か月ほど前に見たものでございますが、日常生活で全く思い出すことはないというのに、この絵を見ていると、その日に見た映像が頭の底から流れ込んでくるような気が致します。

発達障害の検査を受けたとき、知覚推理の項目が最も優位であった私は、映像や絵をそのまま脳に残しておくことに慣れているということが、夢を覚えておける理由なのではないかと思ったりも致します。

私が視覚優位であることは間違いないと思われますが、耳から入ってくる情報を処理する項目においては、軽度知的障害の値に該当する事実もあり、話し声や言葉は、なかなか記憶に定着しにくい実感を持っております。

いつもは、夢で見た映像や雰囲気を感じたまま絵にしておりますが、今回は、夢の中ではっきりと「構ってほしいのね」という言葉が聞こえたことをよく覚えております。

皆さんにはどんなお話に見えるでしょうか。
題名は「構ってほしいのね」です。

私は布団の中におりました。
布団の中でぬくぬくとしていて、まるで現実のようでございましたが、心境は起き上がりたくない、この布団から出ていきたくないという思いと、漠然とした恐れが心の中を満たしておりました。
目覚めが良いことが多い私は、布団から出たくないという気持ちになることはあまりないのですが、どうやらここは家ではなく、学校の教室のようでした。

学校の教室に布団があるのは異質でございますが、私は確かに布団の中にいて、こじんまりとした教室に他の生徒さんや先生が授業をしている様子を俯瞰で見ている感じでした。

先生には見覚えがありました。
小学3年生の頃、私が不登校になる少し前に担任だった先生によく似ているように見えました。

先生が布団の中の私に声をかけました。
「そうやって大人を困らせてばかりで、楽しい?」
「あなたは構ってほしいだけなのよね」

たった今聞こえた言葉と、遠い昔に聞いた覚えがあるその言葉が思い出され、頭の中で反響しました。

小学生の頃、私はよく聞く「クラスに数人はいるおかしな子」といわれる類の子供でございました。
担任の先生だけではなく、私に関わる先生一人一人に、しっかりとお叱りを受けている、いわゆる「問題児」でありました。

怒られたくなくて、恥をかきたくなくて、ちゃんとしよう、きちんとしようと、思っていても、先生の言うことをきちんとできない毎日と、叱責から逃れるように、最終的には不登校になってしまいましたが、当たり前のように普通学級に在籍していたことが、私にとっては身の丈に合ったものではなかったのかもしれないと、今では思うことがございます。

当時は、授業についていけず、宿題をやれないことが多かった私に、いつものように叱責をしながらも、半ば諦めの言葉として先生が放った言葉を私はずっと忘れられずにいるのかもしれません。

「私は構ってほしいだけなのかな」
今ではそのように思いませんが、考える力がなかった子供の頃は、先生の言う通りなのかもしれないと思っておりました。

夢の中で、その言葉が聞こえてきたときに、私は思わず布団を剥ぎました。
シチュエーションは子供の頃と似ておりましたが、夢の中の私は、子供の頃の私ではなく、現在の大人になった私だったようです。

「私は構ってほしいのではないと思います」と
先生に、言いに行きました。

先生の怒りが少しだけ感じ取れましたが、怒りの言葉が飛んでくることはなく、先生の姿はそのまま消えてしまいました。

子どもの頃、言えなかったことを言えたような気がして、こんなところで、慢性の心のしこりが少し解けたように感じる経験ができるとは思いませんでした。

個人的には一つの関門を超えたような気分でしたが、余韻に浸る間もなく、直後、狭い空間に押し込められることとなりました。
箱のような狭さでしたが、どうやらエレベーターのようで、上に向かっている様子なのですが、扉が開くと、そこにはなんとなく見覚えのあるような人が立っていました。

どこかで見たことがあるかもと思ったのですが、テレビか、YouTubeか、おそらくそのような場所で見た面識はない人でございました。
男性とも女性とも言えない、中性的な姿でございましたが、人であるかどうかも分からない雰囲気がございました。
チャイナ服を着ているように見えたあの方は、どうやらマッサージ師さんのようです。

ここはお店で、マッサージ店だということが分かりました。

私は何年もマッサージの仕事をしていたので、突然マッサージ店が夢に出てきても特におかしいとは思わず、普通にマッサージをしてもらいました。

中国の方というわけではなさそうな、西洋風のお顔をされていたようにも見えましたが、つい最近見た方のような気も致しました。

その方に、お礼を申し上げ、その建物から私は外に出ました。

外の世界は、たくさんのビルが立ち並び、最初は見たことがない街だと思いましたが、街の空気というか雰囲気はどこか来たことがあるような、知っている街のような気が致しました。

私が以前たまに買い物に行っていた、吉祥寺の街に雰囲気は似ておりましたが、あのビル群は吉祥寺の街に突如出現したもののようにも見えました。

少し近未来的でもあり、吉祥寺の街の未来の姿はこんな感じなのだろうかと、思ったりしましたが、その不思議な街を歩きながら、だんだんと視界が狭くなり、程なくして目が覚めました。

大人になり、少しは成長した自分で、小学生時代に戻ってみたいと思う人も、いるかもしれませんが、私は、今の自分で昔に戻ったとしても、昔の自分と同じ経験をしてしまうのではないかと、危惧の気持ちがございましたが、今回の夢で、ちゃんと今の頭で考えて、当時とは違う行動を取ることが出来るような気がしてきました。

過去のことは、いずれ思い出さなくなり、記憶は現在の体験で日々塗りつぶされていくように感じますが、脳の中にはすべての記憶が残っていて、嫌な記憶もしまわれている間に、いつしか嫌なものではなくなっていくものなのかもしれません。
大人になるということも加味しておりますが、時間が解決してくれるものは大きいと感じます。

最後に見たものが近未来的に見えたのは、時が経ったことを私が感じているということが形になったのかもしれません。
あのビル群は、切るのがとても楽しく、上手に出来たので、密かに満足しております。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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