見出し画像

夢切り絵【おもちゃを買ってくれるお姉さん】

見た夢を切り絵にしました、8枚目でございます。

私が通所しているB型作業所では、利用者の方は、とても静かに黙々と作業を行いますが、基本的にずっと机の上での作業なので、あまり動きがないためか、作業をしながらウトウトしてしまう人も、中にはおられるそうでございます。

職員の方が、優しく「顔洗ってこようか?」と促しているのを、私は横目で見ておりましたが、静かな空間で同じ作業をずっと繰り返している行為は、人によっては、退屈を超え、眠気との戦いといえるのかもしれません。

未完成の菓子箱が机の上に山積みにされ、それを一枚一枚組み立てていき、箱を完成させていくのですが、完成させていくことよりも、未完成の箱の山積みがだんだん少なくなっていき、やっと終わったと思いきや、全部終わるとまた未完成の箱が山積みにされていく、この無限ループが私は大好きなのです。

退屈だと感じる人の気持ちも分かるのですが、作業所でも、家でも、ずっと机の上で細かい作業を好んでしている私にとっては、お仕事とはいえ、ずっと趣味をやっているような感覚で、毎日つい時間を忘れてしまうほどでございます。

実は飽きることがほとんどないという性格を、信じてはくれない人も、不思議に思う人も、いることを知っております。
仕事に赴き、もっともっとやりたいという気持ちをコントロールすることが私の課題でもございます。

ふと気が付くと、不休になってしまっている傾向を自分で戒め、メリハリのある規則的な時間で行動する、意識的に休憩をとるという目標を掲げているのですが、まだまだ不十分でございます。

ここ最近、いつもより疲れが溜まっていることに気づき、昨日から、大急ぎで、休憩日を設けているのですが、疲れが溜まる前にこまめな休憩をとることが望ましいので、気をつけているという油断との戦いでございます。

若い頃と違い、1日休んだとて回復するわけではないので、今日も明日もたっぷり眠ろうと思っております。

皆さんにはどんなお話に見えるでしょうか。
題名は「おもちゃを買ってくれるお姉さん」です。

目の前に綺麗なお姉さんが立っておりました。
綺麗なお姉さんと一緒にいたのは、私の高校時代の友達だったように思います。
以前も、高校時代に仲の良かった体の大きな友達が夢切り絵に登場しましたが、その子と私と今回登場した子の3人で、よく一緒におしゃべりしたりしていたことが、今となっては、懐かしい限りでございます。
体の小さな私と、一般的にぽっちゃりと言われるくらいの少し体の大きい女の子と、規格外の高校生といえるほど巨体であった女の子の3人組は、周りからすると少し稀有に映っていたようにも見えました。

懐かしい顔が見れましたが、傍にいた綺麗なお姉さんには見覚えがございませんでした。
北川景子さんに似た、非常に美しい凛とした女性でございました。

その女性は、私に
「よしよし、おもちゃを買ってくるから、ここでいい子にしていてね」
と言いました。
私は子供ではないので、おもちゃを買ってもらわなくとも大丈夫なのですが、私を小さい子供のように接して下さる優しいお姉さんに頭をなでなでされました。

そして、私の友達と一緒に、本当におもちゃ屋さんへ行き、おもちゃを見繕ってきてくれました。
保母さんや幼稚園の先生にも見えましたが、この女性に面識がないことを残念に思い、こうなれば私も子供の心でこの体験をしたかったなと、大人としての自分を少々憂いました。

私の友達は、なぜそのお姉さんと一緒に行動していたのでしょうか。
私の友達の、現在の親しい友達が、私の夢に引っ張られてきたのでしょうか。

そして、お姉さんと友達がたくさんのおもちゃを持って、私の実家にやってきました。
ラッピングされたおもちゃが、リビングのテーブルに次々に置かれ、「このおもちゃをすべて差し上げます」とお姉さんが言いました。
妹がその光景を羨ましそうに見ている様子が、可愛かったのですが、母は恐縮し、結局「見ず知らずの方から、こんなにたくさんのおもちゃは受け取れません」と、突き返すこととなってしまいました。

お姉さんは、不満そうな顔をしておりましたが、いかにも母らしい対応でしたので、順当な結果だったと思っております。
私たちの母は、礼儀に厳しい人でございました。
相手から贈り物をもらったなら、必ず相応のものをお返しする、謂れのない施しは受けない、借りを作らないなど、徹底したルールを持っている人だと私は感じていて、人付き合いにルーズさがないために、知り合いが安易に増えることもなく、広がることもないとも言えるけど、数少ない親しい人たちとの関係は、非常に密接で、手堅い付き合いをする人なのだと思います。

私はどちらかというと、フリーペーパーのような感覚で相手に必要なものを安易に与えてしまうこともあれば、受けた恩を忘れたままそのままになっていたりすることもあったりすると思うので、ほとんど関わりのない人も含めた人付き合いが割と広がりやすい傾向にあると同時に、対応できない人に振り回されたり、トラブルに巻き込まれてしまうことも多くあるように思います。

人間関係も家の埃も、どちらも片付け上手な母は健在で、汚いことをとても嫌がります。
片付ける必要のないほどに、今も昔も、いつも我が家はピカピカな状態でございます。
広がりすぎたもの、増えすぎたものを、定期的に断捨離する必要が、私のようなルーズな性格の人にはあると思いますが、整理整頓してはぐちゃぐちゃになって、また整理整頓してという、掃除はするけど、してもしてもすぐ散らかるというのが、私の現状でございます。
片付け上手な母の影響を受けてなお、こうであるのは、私の特性という部分なのかもしれません。

お姉さんと友達が実家を去ったのち、母と妹と私の3人で買い物に行こうということになりました。
3人用の自転車に乗り、緩やかな坂道を登っておりますと、前方に、おまるに乗った赤ちゃんが見えました。
まるで3人乗りの私たちに対抗するかのように、元気良くおまるに乗っている赤ちゃんは、道を塞いでおり、私たちが坂道をバックしようとしていたそのとき、目が覚めてしまいました。

3人乗りの自転車という珍しいものが出てきて、描き方がよくわからず、自転車をとりあえず繋げたものを描いておきました。
どのような仕組みかが分からないと、なかなか正確な絵は描けないものだと、改めて思いました。

あの赤ちゃんはなぜ、前方に立ち塞がっていたのでしょうか。
そしておまるに乗っている赤ちゃんはなぜあんなに可愛らしいのでしょうか。

赤ちゃんと一緒にレースごっこをしてあげたかったのですが、自転車に乗せるのは危ないので、そうなるとやはり、おまるは身近にあるものの中では最適解かもしれません。
公園の遊具にも跨るものはありますが、私はよく落っこちたり、躓いたりしていたので、遊具をちゃんと安全に遊べる子供ではありませんでした。
何かに跨るだけでも、爽快感を感じることができた時代のことを、思い出すきっかけは、赤ちゃんや今を謳歌している子供たちに内包されているように思います。
誰もが通ってきた道は、いつしか忘れ去られ、次の世代の子供たちにまた思い出させてもらうという経験もまた、誰もが通ってきている道とするならば、人生は繰り返しなのだと思いますが、みんな同じ繰り返しをしている、みんなと同じであるという感覚が、安心感を生むことに繋がっているようにも思います。

本来は、自分に子供が出来たときに、そんなことを実感するのかもしれませんが、そんな予定は当分なく、今回は夢の中の、見知らぬ赤ちゃんとの微笑ましい出会いとなりました。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?