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切り絵【ピラミッド?】

今では考えられないことだとも思うのですが、小学生の頃は体育の時間があって、当たり前のように運動会にも参加しました。
走るのが遅くて、クラスのみんなとも馴染めておらず、どの種目も苦手でしたが、私は、体を動かすのが昔から好きでございました。

いつもはどんくさいと言われていた私でも、運動会では、緊張もありながら、クラスのみんなや運動の出来る目立つ子たちと一緒に遊べるのが楽しいと、密かに思っておりました。
運動音痴だった私は、ラジオ体操のやり方が変だとか、走り方が変だとか、クスクス笑われたり、からかわれたりしていたこともよく覚えておりますが、そんなこと以上にリレーの選手を応援したり、自分が完走できたり、みんなとたくさん運動して熱狂することがとても楽しかったと、今でも感じております。
今の子供たちはもう組体操やピラミッドはやらないのかもしれませんが、あまり話したことのないクラスの子たちみんなと作るピラミッドは、私もクラスの一員になれたような気持ちにさせてくれて、当時の私に少しだけ勇気をくれました。
我ながら単純だなとも思います。

最近、ハーフマラソンを走っている人の動画を見る機会がございまして、ご自身でカメラを構えて、自撮りしながら走って、周囲の建物などを実況しながら、笑顔で完走されている様子を拝見しました。

普段全く走ることが無い私から見れば、走るだけでも感嘆なのに、走り続けながら撮って、実況までするなんて、その方のことはよく存じ上げないのですが、よほどマラソンの熟練者なのだろうと思いました。
走っている最中でも、ずっと笑顔で話しながら「少し息が上がってきたのでペースを下げます」とか「余裕が出てきたのでペースを上げます」とか、一度も歩くことなく、ペースを自在に調整して体力をコントロールしておられるようでした。
ゴール手前で、全力疾走できるほどで、終始余裕の走りをしておられるように見えたのですが、私も日々の生活をこのように送りたいと思いました。

躁転に悩まされてきた私は、どうしても急ブレーキと急アクセルを繰り返す形になってしまい、オーバーヒートすると、途中で足を止め、歩くもしくは、立ち止まりリタイアすることになってしまい、目標の完走というのは理想でございました。

体調のコントロールが出来ず、途中で予定が頓挫するから、仕事も安定せず、身体を痛めつけることにもなっており、かなり回復してきた今だからこそ、同じ失敗を繰り返さぬよう、緩やかにペースを落としたり、緩やかに加速したりすることが、出来るようになりたいと思っております。
最終的には足を止めずに、目標を完走をしてみたいと思っているので、走りの熟練者になろうと日々走り込んでおられる方々と、今の私は、少し似ているところがあるのかもしれません。

毎日コツコツ取り組んで、少しずつ距離を伸ばしていこうと、気を良くして、思い立ったらすぐ意識して行動に移したところまでは良いと思うのですが、せっかちすぎて結果が出るには時間が掛かるということの理解が足りないこともよくございます。

急ブレーキと急アクセルを卒業し、マラソン熟練者のようにというイメージを持っていることを、先日訪問看護師さんにお話をしましたら「歩かないこと」を目標にしなくても、「疲れているときは急ブレーキをかけてでも、止まってね」というお話をして下さいました。

「ゆっくりペースを落として、ゆっくりペースを上げていくということは競技を行う上では大事なことだけど、目標の完走を目指して、ストイックに自分を鍛え上げなくても、人生はマラソンのように走り続けなくても大丈夫よ」と、アドバイスを頂きました。
自分のことはあまり自覚していない部分も多くあるように思いますが、私には性格上、目標を設定し、それに向かって努力したいという硬派で真面目な一面もあるようでございます。

ここ数年、病気になってから、お医者さんや周囲の人にあれだけ、休みなさいと言われてきたのに、だいぶ良くなってきたとはいえ、この期に及んでマラソンを参考に生きていこうとしているというのは、我ながら少し笑ってしまいました。
私が、長距離を完走する意気込みで生きていこうとしているという様子を見た訪問看護師さんは「本当に努力するのが好きなのね」「あなたのような人こそ、これからの人生だらだらして生きていってほしいわ」と、微笑みながら仰っていました。
何があっても休む気のない人が、もし病気になってしまったら、周りが何を言おうが、どうしても休まないから治るものも治らず、本人も周囲の人も、ほんとうに苦労するのかもしれません。

B型作業所の通所時間をもう少し増やしてみようかなと思っていた矢先だったのですが、私はまたやりすぎを招く入り口付近に来ていたようなので、時間を増やすのはもうしばらく保留にしようと思います。
頭を冷やしてから、きちんと計画を立てて、少しずつ活動していこうと思います。
とはいっても、マラソン熟練者のお話には感銘を受けたので、やはり少しずつ負荷をかけていく生き方は、あきらめずに頭の片隅に置いておくことにはなると思います。
なぜこんなにも、辛いことを課したくなってしまうでしょうか、なぜこんなにも働きたいと思ってしまうのでしょうか、性格というのは、やはり変えられないものなのかもしれないと思いつつも、手段や行動は意識をすれば、すぐに変えることが出来て、その積み重ねで、願い年月をかけて、いずれ性格も少しずつ変えることができると思ってしまう側面もございます。

人生はマラソンではないという言葉もごもっともでございますが、私はずっとマラソンのように感じていて、それが人生の醍醐味だとすら思っているのかもしれません。
マラソンと考える人も、マラソンではないと考える人も、どちらの生き方も良いと思うのですが、私はマラソンではないと考える人の意見も、よく聞きながら進んで参りたいと思います。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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