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切り絵【カメと母】

私の母方の祖母は「カメ」という名前でございました。
祖母を慕う母は、祖母が亡くなった今でも、カメのキーホルダーを店頭で見つけると、つい買ってしまったり、いつだって、カバンにはいくつかのカメのキーホルダーをつけています。

針仕事が得意で、いつも忙しなく家事をしていて、物静かな人でありながら、時折見せる鶴の一声で、家の中をまとめていたしっかり者の祖母だったそうです。
私も生前の姿を少し知っておりますが、おしゃべり好きな祖父とは対照的に、皆が集まる賑やかな居間に顔を見せることはあまりなく、一人台所で黙々と料理や作業をしていたことをよく覚えております。

積極的にみんなの中に入っていく人ではありませんでしたが、居間で祖父のおしゃべりに付き合いきれなくなった親戚の人たちが、しばらくすると、少しずつ台所に集まってきて、祖母に癒されている様子を何度も目にしました。
会話をしている姿をあまり見たことはございませんが、その場にいるだけで空気が柔らぎ、周囲の人が癒される雰囲気を持っている人でした。

祖母は今でも、母にとって憧れの「お母さん」なのだと思います。
母は、祖母のような母親になろうと頑張っていたように私には見えたのですが、女性は皆、少なからず自身の母親を参考にして母親になろうとするものなのでしょうか。

尊敬する親であればあるほど、自分が親になるときのプレッシャーは大きいものになる場合もあれば、そもそも親との関係が悪かったり、親に良い印象を持っていない場合は、参考にできるものが無く、子供って何なのか、親って何なのか、何も分からなくなってしまうこともあるのだと思います。

私は高校生のとき、進路に迷い、今後の人生どうやって生きていこうかと、考えあぐねていた頃、気分転換に、1週間ほど母方の実家に居候したことがございました。
今まであまり話したことのない祖父と祖母と一緒に暮らし、少しばかり二人と話すことができた唯一の機会でした。

いつも親戚の集まりでしか行くことのない母方の実家は、祖父と祖母だけしかいないと、かなり寂しく感じました。
いつもは居間に親戚が集まって、中心に座っている祖父が楽しそうに自慢話や世間話をしていて、みんな多少の気を遣いながらも、明るく和やかな時間だったように思います。
お客さんの相手をするのはいつも祖父で、祖母は台所で料理をしていて、料理が運ばれてきても、祖母は顔を見せず、みんなが食べ終わったあとに、台所で一人食事をしているのが祖母でございました。
祖父と祖母が話している姿をあまり見かけたことがなかったのですが、二人と一緒に暮らして、あの二人がとても仲が良いことを知りました。

他に人がいると、祖父ばかりがおしゃべりを始めるのですが、祖父と祖母が二人のときは、祖母の声がよく聞こえておりました。
急な階段を登らなければならない二階へは、高齢の祖父と祖母は滅多に行くことがないようだったのですが、その二階を片付けて私が居候する部屋を二人は作ってくれました。
私が部屋にいるときは、二人が入ってくることは一度もなかったのですが、一階の階段の前で、二人が大声を出して言い争いをしている光景を何度か見かけました。
私の部屋に「お菓子を持っていきたい」という祖父と、「もう年なのだから階段に昇るのはやめなさい」と祖父を制している祖母の声でございました。
二人して真剣に階段の手前で、あーだこーだと言い合いをしている様子は、非常に微笑ましいの極みでございました。

私も二人と一緒に一階に住んだ方が良いのかもと思ったのですが、せっかく二階の広い部屋を片付けてくれたみたいなので、私は祖父が階段を登ろうとしないように、寝るとき以外は、出来るだけ一階に降りてきて、二人と一緒に過ごしました。

祖父は私がいるからと、奮発して夜ご飯に、お寿司だとか、うな重だとか、美味しい店の注文をしてくれましたが、そんな祖父に「見栄を張るのはおよし」「かえって○○ちゃんが気を遣うじゃないか」とツッコミを入れていたのは、祖母でございました。
どうしてもおもてなしをしたい祖父と、そんなに気を遣ったら○○ちゃんがゆっくりできないだろと、やりすぎな祖父を制しながら私を気遣ってくれる祖母がいて、平和を絵に描いたような世界がこんな身近にあったことを幸せに感じました。

あの二人が仲睦まじくしている様子を誰も見たことがなかったから、実は夫婦仲がとても良かったということを、皆知る由がありませんでした。
祖母が亡くなってから、祖父はあまりに悲しみ、寂しく心細くなってしまい、だんだん弱っていきました。
数年後、祖母の後を追うように亡くなったようにも見えるくらいだったのですが、祖父母が亡くなって、私の母は、「親孝行できなかった」「祖母は幸せだったのかな」とつぶやくことが多くなりました。

たった1週間でしたが、あの家に居候して私が見た二人の様子を母に話したら、あの夫婦がそこまで仲睦まじいとは思わなかったと、意外そうに言っていました。
子供との関係が構築されるよりもずっと前から、夫婦は長い時間関係を深め合っていて、他人同時から始まったその関係が、子供という血のつながりよりも濃いものになり得るというところが人間が奥深くなる一因な気も致します。

「おばあちゃんは幸せだったと思う」と母に伝えると、「幸せなんだったらその秘訣を聞きたかった」ということも言っていました。
実際に幸せだったかどうかは、その人にしか分かりませんが、晩年、子供たちが巣立ち、高齢になって夫婦だけで住み、あれだけ毎日たくさん会話をしてお互いに笑い合っていたなら、幸せだったのではないかと私は思いました。
でも、素の二人を知らない周囲の人にはあの夫婦が幸せだったようには見えなかったのかもしれません。

確かに二人は幸せの秘訣を知っていたのかもしれないのですが、いわゆる幸せなオーラ全開な感じでもなかったので、あのような幸せを見せつけない人たちこそが、本当の幸せを知っているものなのだろうと、なんとなく腑に落ちました。

SNSを見れば、いつでもたくさんの人と交流ができますが、逆に何でも公表してしまうと、大切な人と二人だけの世界を作ることは難しくなってくるのかもしれません。
夫が公的、妻が私的な部分を任されていた時代であれば、分担しているので、一方のことだけ考えていればよかったのかもしれませんが、多様な時代では、結婚してもお互いがそれぞれ公私を考える必要があり、伏せる部分と、公表する部分を明確に分けて、バランス良く公私を守っていける人が多様な世界では、幸せになれるような気も致します。

祖父母の姿をもう見ることができないというのは、今でもとても寂しいと思っておりますが、あの時のあの仲睦まじい二人の姿を見ることが出来たというのは、とても良い人生勉強をさせてもらえたと感じております。
私もあのような年の取り方をしたいと思います。

いつしか私もカメが好きになりました。
カメの絵を描くのは何度目のことになるでしょうか。
母はやっぱりカメと一緒にいるのが一番幸せそうにも見えます。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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