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切り絵【心を開いて】

先日、通所しているB型作業所で、障害者アートコンテストのチラシを頂き、「よかったら応募してみたら?」と言われました。

絵を描くことが好きだと前に伝えたことを覚えて下さっていて、興味があればと、せっかく声をかけて頂いたので、応募することにしました。
コンテストにあまり興味を持ったことはないのですが、チラシにはテーマが書かれていて、お題に沿った絵を描くというきっかけが作れたので、受賞できるかどうかはあまり気にせず、楽しみながら絵を描きました。

チラシをもらった時点で、締め切りまであまり時間がなかったので、急いで描き、毎日少しずつやりながら、5日くらいかけて切り絵が出来ました。
締め切りギリギリでしたが、なんとか応募できたことを、職員さんに伝え、一旦喜ばれましたが、「選ばれてほしいね」「受賞できたらいいね」という言葉には、おそらく期待に応えられないであろう申し訳ない思いもございました。
コンテストに応募するような作品がどのようなものなのか全く知らないので、もしかしたら趣旨と違うものを作ってしまったかもという思いもあり、自信作といえるものかどうかはわかりませんが、テーマに沿った絵を描くことがとても楽しく、自己満足の時間は満喫できました。

「ひろがる世界」というテーマだったのですが、「世界」の絵を描こうと思っても、今の私には正直広すぎてピンときてない部分がございました。
世界各国のことも、地球のことも、宇宙のことも、全部が世界なのかもしれませんが、そんな規模の大きなお話やこれからにとって大事なお話は、頭の良い偉い人たちが、考えてくれていて、私が世界のためにしていることは、何かあっただろうかと、改めて思いました。

私には、難しいテーマのようにも思いましたが、あまり大きく考えず、身近な出来事を描くことにしました。
思い返すと、個人的に「世界、広がった!」と感じた経験は、私にもございました。

子供の頃、「言われたことをやる」のが、私は苦手でございました。
自主的に、先生のお手伝いをしたり、母の手伝いをしたり、人が今これをやってほしそうにしているという空気を、敏感に受け取り、積極的に「手伝う」ということを、ほぼ無意識的にやっておりました。

積極的に自分から行動しているうちは、喜んでもらえると嬉しいという気持ちや達成感もあり、ある程度気持ち良く出来ているつもりでも、「明日までにやってきてね」と言われた宿題や、母が「帰ってくるまでにこれをやっておいてね」と言われたときなど、相手に直接何かを求められたときは、何も出来なくなってしまう人間でもありました。

宿題や課題を出されたとき、創作であれば「先生はどんなものを求めているのか」を考えすぎて、結局分からず、何も作れなかったり、問題を解くようなものであれば、全問正解でなければならない、間違えてはいけないということを求められているというプレッシャーに追い込まれ、提出するのが怖くなってしまったり、実際提出して、「もう少し頑張ろう」と言われてしまったことをずっと引きずるようなこともございました。

母が帰ってくるまでに、残っている家事を全部やっておいたら、母はきっと喜んでくれるはずと思い、実際にすごく驚かれて、とても喜んでもらえたこともあれば、母から「これをやっておいてね」と頼まれたとき、要求と少し違ったのか「もっとこうしてほしかった」と言われる度に、次こそは要求通り完璧にやってやると、何度も何度も修正してトライすることもありましたが、結局相手から何かを要求されたときは、完璧に応えることなんてできないということを学んだ子供時代でございました。

大人になった今では、頼む側が、相手に100%の成果を望むことはおかしいことでもあり、仕事でも双方にある程度の妥協点があり、完璧に期待に応えるなんて無理だということが当たり前だと分かりますが、子供の頃の私は、その事実に落ち込んでおりました。

完璧に期待に応える必要なんてないはずでしたが、完璧でない私はもっと努力しなければと、自分を酷使させ、疲弊しました。
持ち前であったはずの、積極的な行動は影を潜め、相手の要求に完璧に応えるということだけを考える人間へと変わっていきました。
そして小学校4年生のとき、不登校になりました。
完璧な宿題、完璧な家事、そんなありもしない空想を求めていたのだと、気付くのはもう少し大人になってからでした。

すべてに疲れ切って、何もやらなくなってしまった私は、中学校3年生から学校に復帰することになります。
保健室登校した日、たまたま奇跡的にお友達が一人できたからです。

最初は、何にも興味がなく、無反応だった私でしたが、その子に言われるがまま、連れられるがまま「おはよう」と言われれば「おはよう」と返し、授業中に会話したり、鉛筆を貸してあげたり、昨日見たテレビの話をただ聞いたり、そんな今まで経験したことがなかった、まったりとした時間が、心を開くきっかけだったように思います。
相手からの要求に応えるのではなく、ただそこにいて、無理なく自然に馴染んで、なんてことない会話をしたりすることが、初めての経験で、ずっと感じていた「こんな風に何もしなくていいのかな」「何もしない自分はここに居てもいいのかな」「もっと頑張らなくていいのかな」という不安が、消えかかっていることに気づきました。

相手は私に何か特別なことをしてほしいわけではなく、そもそも相手は、自分にそこまで大きなことを望んでいないのかもしれないという現実が、嬉しくて、何もしなくてもただそこに居て良いと、感じることができた人生最初の転機となり、自意識過剰から解放された瞬間でもございました。

高校生になった私は、自分から友達を作ろうと思いましたが、昔のように相手の要求を考えるのではなく、集団に馴染むことを考えました。
「おはよう」と言われたら「おはよう」と返して、みんなの中で流行っていることに関心を持ち、同じように制服を着崩し、同じ趣味をやってみたり、みんなの真似をするところから始めました。

言われたことを完璧にやって認めてもらおうとするのではなく、何をするでもない、ごく自然に、力を抜いて、気軽に声をかけ、自然な気持ちを率直に言葉にして、相手の趣味嗜好や文化を尊重することが、いつの間にか出来るようになっていました。
これが「心を開く」ということなのだと、その時に知りました。
そして、心を開いたときに「世界が広がった」と感じることができました。

他人は自分に期待しているという自意識過剰に追いつめられ、結果を出せない自分はここにいてはいけないという固定概念が、自分の心の中に自分を引き籠らせ、そんな抜けられなくなっていたループを終わらせたのは、集団に馴染めている自分でございました。

集団に馴染めているから、人は一人でも大丈夫と言えるのではないかと私は感じます。
一人が好きだという人はたくさんいると思いますが、その人たちは、帰る集団もなく、どこの集団からも受け入れてもらえていないという人ではないような気が致します。
私は大人になった今、一人でいるのが好きだと思うこともございますが、昔のように自分の心の中に閉じ込められて、視界から他人が見えなくなり、この世界に一人ぼっちになったような気分でいたとき、一人が好きとは、とても思えませんでした。

「集団に馴染むのが苦手」という言葉は、よく耳にするものでございますが、本人にとっては深刻な問題なのだろうと、私は思います。

自分も、自分の目の前にいる人も、所属している集団のルールの影響を受けて生きていて、相手に馴染みたいと思ったら、その人の文化を経験するということが大切でもあり、自分に馴染んでほしいと思うなら、自分の文化に引き込むことも大切だったりするのだと思います。
まず馴染めて、それから初めて、個人の主張は届くようになるような気もしているのですが、多様性の言葉が飛び交う昨今、文化の違う相手の強い主張に呑まれないよう、こちらもはっきりと主張を強くする必要性も、時にはあると思います。
強い主張がきっかけで、違う文化の存在を認識し、多少荒療治的な出会いではあっても、そこから雪解けしていくように、ゆっくりと文化の統合や共存、結果的に馴染んでいくことにも繋がっていくように思います。

順序は、時代によっても、人によっても、それぞれだと思いますが、私は、集団に馴染むということが出来た日から、自分の世界の広がりを感じたという経験を今回は絵にしました。

なんとなく鹿が思い浮かんで、鹿の群れを描いたのですが、鹿でなくとも、ロボットや木など、自分と違う文化なら何でもよかったように思います。
自分が行く当てもなく、道に迷っていたとき、目の前に鹿の群れが現れた、同じ格好をして付いていったら、もしかしたら仲間に入れてくれるかもしれないし、道を教えてくれるかもしれないから、とりあえず馴染んでるつもりで付いていこう、みたいな絵を描きました。

応募された方々は、それぞれの「広がる世界」を描いたのだと思いますが、私は比較的身近な出来事しか思いつきませんでした。
もっと壮大な素晴らしい作品が出来ればよかったなと、思っていたりもします。
でも、初めての応募が無事できただけで満足でございます。
今年は幸先の良いスタートとなりました。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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