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25卒の材料系博士課程学生がアトラエに辿り着いた話

はじめまして。アトラエ25卒内定者の日下部です。今はゼリーのように柔らかい高分子材料を、医療材料に応用するための研究をしており、気づけば博士課程の3年目になってしまいました。

近頃ホットな情報系でもなく、大したプログラミング経験もない。そんな材料系の博士課程学生が、なぜアカデミアを離れることを決意し、どうやって全くの異分野であるアトラエに辿り着いたのか。本noteにはそんな話を綴っています。

(アトラエのHPはこちら↓)

将来進む道に不安や悩みを持つ博士課程の方に、こんな人もいると感じていただけたら嬉しいです。

今の研究室に至るまで

医師として働く父を見て育ったこともあり、小さい頃から「健康」に興味を持っていました。医師は、人の命を救えるカッコいい仕事です。一方で、目の前に現れている症状を治す、対症療法的なアプローチになりがちな面もあります。例えば、そもそも治療法のない難病の患者さんが来たら、医師にできることは非常に限られてしまいます。

自分は、医師では手が届かないところを支える形で、人の健康に貢献したい。そんな思いで大学に進んだ私は、工学技術を通して革新的な医療技術を生む「医療工学」という分野に出会いました。身近な例で言うと、CTやMRIは、医学に画期的な革命をもたらした工学技術です。CTやMRIの開発により、私たちは体を切り開くことなく、体の内部を診断することができるようになったのです。技術発展を通して、今までは治せなかった病気を治したり、もっと効率的に治療ができるようになるのではないか。そんな医療工学の可能性に惹かれ、今の研究室に入りました。


頭部のMRI画像 
(RadNet https://www.radnet.com/our-services/mri より引用)


医療工学研究の現実にぶつかる

研究室に配属された私に与えられた研究テーマは、ゼリー状の柔らかい材料を、生体材料(※)に応用できるようにする、というものでした。しかし実際に研究を始めてみると、うまくいかないことばかりで、想像以上に泥臭い世界でした。こんな苦労をしなければいけないほど、自分の研究に価値があるのだろうか。そんなことを自問自答しているうちに、医療工学という研究分野そのものに対して、限界を感じるようになりました。
(※生体材料...コンタクトレンズや人工臓器など、人体と接して使用される材料のこと)

少し脱線しますが、そのころの私は「どうすれば人生最期の瞬間を幸せに迎えられるのだろう」ということを考えていました。私にとって「健康」=「幸せ」であり、人生の一番最後の瞬間が幸せでなければ、良い人生だとは思えなかったからです。ですが私には、死ぬとはどういうことかも、幸せとは何なのかも分かりませんでした。どういうわけか「死ぬ瞬間と眠りに落ちる瞬間って、似ているのでは?」と思った私は、眠る時に「これが人生最後の呼吸だ」と想像しながら、深呼吸をすることを夜な夜な繰り返すようになりました。今思うと変なことをしていたなあ、と思うのですが、その当時は大真面目に深呼吸をしていました。死ぬ瞬間、最期に息を吸う瞬間、何も持たずに生まれた私たちが何も持たずに去っていく瞬間、その瞬間に「幸せだった」と思えるには、何が必要なんだろう?何も持っていくことができない中で、幸せだと思える状態って何だろう?うんうんと考えた末に出した結論は「二元相対を越えなければいけない」というものでした。

ここでいう「二元相対」とは、「善と悪」「好きと嫌い」「私とあなた」「精神と身体」のように、相反する二つの要素に分けて、物事を捉えることを指します。平たく言えば、長い目で物事を見た時に「ピンチはチャンス」かもしれないし、「チャンスはトラップ」かもしれません。それなのに、短期的に目に見える「ピンチ」や「チャンス」にいちいち囚われて、必要以上に一喜一憂している限り、自分ではコントロールしようがないことに振り回され続けるだろう。日頃からそんな様では、死ぬ瞬間という、一番体が苦しい瞬間に、幸せを感じることはできないだろう、と思いました。

話を戻して、今の医療工学では「臓器などのパーツが、体という機械を構成する」かのように考えます。体と心は切り離され、病気の状態を「悪」、健康な状態を「善」と捉える、まさに二元相対の枠組みの中にあります。というか、近代科学そのものが二元相対に基づいています。近代科学は、人間と自然を切り離して、自然を観察・操作できる対象として客観視します。この考え方によって、近代科学は目覚ましく進歩し、社会を大きく発展させてきました。ですが、この二元相対の中にいる限り、どんなに頑張っても、死ぬ瞬間に幸せだと思える保証はない。これが医療工学、ひいては近代科学に限界を感じた理由でした。

近代科学は観察者である「私」と観察される対象である「私以外」を分け、
観察される対象にフォーカスを当てることで発展してきた

じゃあ、二元相対ってどうすれば超えられるんだろう?と思った私は、色々と探し回りました。最終的には、インドに5000年に渡って伝わるヨガ哲学のことを知り、ヨガ哲学について教えてくださるインド人の師匠に行き着きました。ヨガ哲学を集中して学ぶことも考えましたが、研究の方も修士の二年目を迎え、次第に慣れて、ようやく進捗が出てきた時期でもありました。学生ならスケジュールにも融通が効き、ヨガ哲学の学びも深められるだろうと思い、ヨガ哲学を趣味として学ぶ傍ら、博士課程で研究を続けることにしました。

改めて進路を考える

博士課程で研究を進めていき、研究の進捗にも区切りが見えてくると、修了後の進路に悩み始めました。

医療工学が、肉体の健康向上に貢献できることには異論ありません。ですが、健康とは「肉体・心・魂」これら全てが健やかな状態で初めて成り立つものです。ヨガの学びを深める中で、体と心を切り離して、人を「モノ」のように捉えている限り、真に健康を追求するのはやはり難しいと思いました。何十年と医療工学分野を追求していけば、心や魂といった「目に見えないもの」も、やがては融合されていくかもしれません。しかし、博士を修了した先にまず待ち受けているのは、アカデミアでポジションを得るための命懸けのサバイバルであり、なんとか業績を残さなければ先はない、いわば陽の当たらない芸能界のようなものです。目に見える部分と見えない部分の両輪で回す健康の追求という、本当に興味のあることに取り組めるのは、当分先送りになってしまうと思いました。もしもチャンスがもらえるのなら、目に見えない領域を幸せにする術を学び、人の心身の健康に貢献しよう。そう考えた私は、博士課程二年目の前半、「博士課程が終わったら、今の研究分野を一度離れよう」と決心しました。

体と心の健康を切り離すことはできない

原点回帰:そもそも何がしたいんだっけ?

そもそも、私は「どんな人も心身ともに健康(=幸せ)でいられる社会」を実現したいという思いをずっと持っていました。これまでの人生で岐路に立った時の判断基準は「そんな社会を実現するためには、どの選択肢が一番有効か」というものでした。博士修了後の進路を考えるにあたって、もう一度その原点に立ちかえることにしました。

進路の選択肢としては、大きく三つありました。
一つ目は、アカデミアで研究分野を変えることです。ただ、博士課程まで研究を続けて感じたのは、アカデミアでは学術的正しさが必須であり、スピード感は民間に比べて劣ってしまうということでした。
二つ目は、行政関係に進み、枠組みの方からアプローチすることです。しかし、行政はどうしてもトップダウンなアプローチとなりやすく、身近な声を汲み取って素早く価値提供することが難しいと思いました。
三つ目は、民間企業への就職です。民間企業の場合、社会へ価値提供できれば、学術的な正しさを徹底することは必須ではありません。アカデミアの端くれとして、社会への貢献を重視して、人やお金が動いていく身軽さは魅力的でした。

そんなわけで、民間企業を中心に、いわゆる就活を始めることにしました。

いざ、就活戦線へ

肉体という目に見える部分だけではなく、心や魂といった目に見えない部分も追求し、どんな人でも心身ともに健康に生きられる社会の実現に貢献したい。そんな想いで就職活動を始めた私は、どんな業界や職種から探したら良いかも分かりませんでした。ひとまず、学生向けの逆求人サイトに登録し、自分と同じベクトルを向いた企業にスカウトを頂けるよう、プロフィールを埋めました。

いくつかの企業の説明会やカジュアル面談を経て感じたのは、「みんなが心身ともに健康に生きられる社会」を目指す会社なんて山ほどある、ということでした。そんな中で、資本主義というマネーゲームに呑まれ「周りが幸せになる」のではなく「自分達が勝てる」ような社会の実現に行動がすり替わっていることが往々にしてあるのでは?とも思いました。「他人を蹴落としてでも自分が得をしたい」というメンタリティは、人間の根深い性ではありますが、人間関係から国家間の戦争に至るまで、あらゆる問題の種になってしまいます。だから、どんなに難しいように見えても、利己ではなく利他を真摯に追求しようとする人たちと働きたいと思いました。

これを就活のいわゆる「企業選びの軸」というものに落とし込むと
「企業理念、ビジョンに共感できる」
「その理念やビジョンが組織と社員に浸透している」

になりました。

就活を進める中で、アトラエの採用担当者である加賀さんからスカウトメッセージを受け取りました。アトラエのHPやnote記事を読んでみると、どうやら「世界中の人々を幸せにすること」に本気で取り組んでいるらしい、ということが分かりました。HPや記事に書かれていることが嘘でないのなら、そんな人たちに囲まれて働きたい。そう思って、アトラエのサマーインターンの面接を受けることにしました。アトラエでは、面接でお話しした方も、インターンでお話しした方も、皆が高い当事者意識を持って真摯に仕事に取り組んでいると感じました。特に、インターンの最終面接でお話ししたアトラエのCTOである岡さんの存在は、アトラエに入りたいと思う決定打になりました。新卒から、だいぶ長い年月が経っているにも関わらず、理想の会社は創れると本気で信じており、子供のような軽やかさとひたむきさに強く惹かれました。

この人たちと一緒なら、弱肉強食の社会の枠組みに呑まれるのではなく、うまく乗りこなして、目的に向かって進んでいけるのではないか。そんな風に思いました。

荒波でも、きっと楽しい

社長との最終面接では、地に足つけて動けるのか、他の会社でなくて本当に大丈夫なのか、と大いに心配されながらも、なんとか内定を頂きました。(正直「これはダメかなあ...やっぱり研究職に就いて、だんだんやりたい方向に向かってキャリア形成するしかないのかな...」と、これからの身の振り方を考えながら、社長の話を聞いていました。)

社長に心配されたのはもっともなことで、自分も逆の立場だったら同じことを考えたと思います。色々苦労するだろうなとは思いますが、せっかく頂いた貴重なチャンスなので、殻を破れるよう、精一杯努めたいと思っています。

さいごに:キャリアに悩む博士課程のあなたへ

博士課程から、全く異分野へ進むとなると、それなりに大変なこともあると思います。実際私は、よくあるキャリアパス以外を受け、ほとんどうまくいきませんでした。ただ、研究で身につけたトランスファブルスキルをうまく言語化できれば、伝わる人には伝わるとも感じました。就活に対する自分の考えを話したところ、自分の企業とはマッチしていなくても、親身にアドバイスを下さる人事の方もいらっしゃいました。結局のところ、相手が何を求めていて、そこに自分はどうマッチしうるのかをしっかり考えて準備することが大事なのではないかと思います。

博士課程まで行ったのなら、ロジックの穴を追及される研究発表、レビュアーに無理難題を吹っ掛けられる論文投稿、大体うまくいかない実験、締切に追われながら仕上げる申請書や報告書、、、色々な修羅場を通っているはずです。数多の困難を乗り切ってきた自分を信じて、どうか行きたい道に進めますように!


最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでもアトラエに興味を持っていただけた方は、是非是非お声がけください!



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