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水色の情景~オレンジ~

序章

半分並んでいる2台の自転車

雨上がりの道をいつもの通り、半分並んで自転車で走る。まだ完全には乾ききっていないからか少しだけ足抜きが悪くて、僕は顔をしかめた。

「ほ~ら、ご機嫌ななめな顔しない。イケメンが台無し・・・なぁんてね。」
声をかけてきたのは幼なじみの宇治皐月。小学4年生の時にマーチングバンド部の仮部で出会い、中学でもまた吹奏楽部で一緒の仲間だ。

同じドラムメジャーで皐月は副部長・僕は部長という立場から、朝練から放課後の練習に至るまでほぼ一緒の時間を過ごすことが多い。

「今日は街の中通ってみようよ。」
皐月に提案する。乾いた道ならサーキットコースにもなっている河川敷の土手で風を感じるのもいいけれど、今日はお互い別の気分になりたかった。
「OK。」
皐月が笑う。

街の中とはいってもシャッター商店街であちこちの店が閉まったままだ。それでもいくつかのショーウィンドー越しに店の人たちが朝の準備をしているのが見える。ショーウィンドーのガラスには雨のしずくに太陽の光が透け、水色の中に鮮やかなオレンジ色となって輝いた。

「ほら涼、見とれすぎると危ないよ。」
皐月が優しく声をかけてくれる。ちょうどバスも通りがかり、僕はちょっと首をすくめた。皐月が笑う。

角を曲がって校門がすぐそこ、という所で皐月が話しかけてきた。
「ねぇ今日、少し話があるんだけど、終わったら・・・いい?」
「うん。」拒否する理由はなかった。

皐月と僕は部活で何か話しておかなければならないことがあればまず必ず2人きりで河川敷の土手に寝転んで話し合うことにしている。そこでいくつの物事を決めてきたのかはもう数えきれない。

部活内でもそのことは知れ渡っていて、つきあっていると噂されたこともあった。でも2人が真剣に部活のために出した答えがその噂をいつしか遠ざけていた。

第1章


トランペットへの息の吹き込み

校門をくぐり、自転車を止めると2人は音楽準備室へと一直線に向かった。1か月後へとせまったマーチングフェスティバルの地区大会に向けた練習のため、ドラムメジャーバトンを取り出す。

今回はカラーガーズと一緒にかなり本格的なダンスをするので、朝練では屋上で振付を何度も練習している。今日もジャージに素早く着替えて外に出ると、既に楽器チームが準備をして、息の吹込みをしていた。

「おはよう皐月!」
「おはよう涼!」
「おはよ~!」
「おはよう」

うちの吹奏楽部はマーチングバンドの全国大会にほぼ毎年出場していて、優勝経験もある強豪校だ。3年生は入学してからこの全国レベルの厳しい練習に耐えて苦楽を共にしたという想いがあるので、基本的にみんな仲が良かった。

楽器チームがロングトーンを始めた。うちの中学校では屋上で出した音が河川敷の土手を超えて向こう岸まで聞こえるようになったら一人前という伝統がある。1年生で入部した当初は先輩方の音の響きの良さに驚いたが、今は自分たちが欠かさず行ってきたこの基礎練習のおかげで同じことができるようになっている。

ダブルリードの木管楽器とコントラバスが本来のパートであるカラーガーズと俺たちは柔軟体操を終えて、振付をやり始めた。今年のテーマは「THE SOUND OF MUSIC」で、俺たちが踊るのは「MY FAVORITE THINGS」だ。

6/8拍子なのでリズムが独特で難しい。またリーズル役が皐月、フリードリヒ役が僕といったように役柄も割り当てられているので、それらしく演じる必要があるのもまた難しいところだった。

カラーガーズの隊長、マリア先生役の水上透呼がゆっくりと手拍子しながら練習をリードするが、やはり2年生は拍子が取りにくいらしく、合わない。

透呼が根気良く6/8の数え方から教えると、朝練が終わるころには少し感覚が掴めてきたようだった。タイミング良く予鈴が鳴り、後は放課後、ということになった。2人ともドラムメジャーバトンを素早く片付け、授業へと向かった。

第2章


さまざまなサックスのパート

午前中は何とか気合で授業も乗り切るのだが、給食の後はひたすら眠い。朝練に参加するために吹奏楽部員はほぼ全員が5時台に起床しているため、午後は居眠りしそうになることがしょっちゅうだった。

マーチングの地区大会を突破して、東北大会への出場権さえ握ってしまえば秋にもう一度行われる地区大会で敗者復活戦を戦わなくても良くなり、後が楽になるので毎年4月・5月の練習は熾烈を極めるのだ。そのため、部員の中には朝練・放課後以外にも昼練までしてがんばる者も出るほどだった。

放課後は自分たちの練習もあるが、マネージャーからの報告を皐月と2人で聴く時間も取っていたのでわりと忙しい。マネージャーの2人は今主に1年生の基礎練習を見てくれているのだが、今年の1年生たちはどうやら出身小学校別に派閥ができてしまって、あまりまとまっていないようだ。

担当する楽器が決まってまだ1週間で、必ず第1希望に決まるわけではないためこの時期はいつもぎすぎすしやすいのだが、なるべく対立するようなことは避けたい。

マネージャーには、1年生の中心になっている子たちにあまり派閥の色を強めないよう相談してみたらどうかと提案した。マネージャーは2年生になり立てだがわりとしっかりした子たちなので、皐月と2人で任せてみようと決めたのだ。

マネージャーにいざ伝えると目をぱちくりさせてはいたが、やってみますと頼もしい回答が返ってきたので僕は良かったと思った。報告が終わってカラーガーズの練習場所に顔を出すと、透呼があからさまにへたっている。

2年生が何度練習してもリズムがずれるというのだ。ちょうど3年生と2年生が同じ数なので、1人ずつついて集中的に練習させた。どこができていないのか徹底的にメモを取らせ、覚えてもらう。

2年生とはいってもついこの間までは1年生。気持ちをつぶしてしまわないよう励ましながら練習をすると、みんな少しずつステップが変わってきた。ほっと胸を撫でおろしたところで今日は終了となる。

明日は土曜日だが、近隣の体育館を借りての全体練習だ。僕も皐月もドラムメジャーバトンを抱えた。
「おつかれさま!気を付けてね!」
「おつかれ!」

みんな口々に声をかけあって自転車でそれぞれの帰り道へと別れていく。僕は皐月と例の場所へと向かった。もう星が出ている時刻だったので、皐月も僕も土手で大の字になって寝ころび、空を見る。

「涼、今日もおつかれさま・・・だね。」
「ああ、皐月も。」
「んで話って?」

「うん、透呼のことだけどね、同じカラーガーズで2年生の暁ほむらと折り合いが悪くて困ってるみたい。」
「ああ・・・ほむらね。」

「透呼はずっとマーチング一筋で来てるから、体育会系のやり方であたりまえっていう感覚になりがちなんだけど、ほむらは小学生の時は管弦楽部やピアノ伴奏者、吹奏楽の経験もあるから音楽に対する考え方自体が幅広くてゆったりしているみたい。いろいろ楽しみながらやりたいのもあってなかなか上達しないんだって。」

「ん~難しいところだね。どちらかがいいとか悪いとかいう問題ではないし・・・」

「その通りなんだけど、今は地区大会突破っていう目標があるから、このままだとほむらの失敗が目立って減点対象になってしまうんだよね。」
「ほむらの個性を認めつつ、地区大会っていう目標をどうやって意識させるか、だな~。」

「あとこれは噂だから、本人に確認が必要だけど。」
皐月はここで言いにくそうに言葉を切った。

「ほむらってカラーガーズはともかく、本来のパートのファゴットは結構頑張って練習してるじゃない。けれど、ほむらと同学年の春水くんは、音楽の春水先生の息子さんだから・・・」

春水先生は教育委員会の偉い先生で、市内の学校を巡回しては高度な音楽指導をされている。この市内に住んでいて音楽関係の部活に入っているなら、誰でも一度は指導を受けた経験があるはずだった。

「ほむらはいくら頑張ってもファゴットでファーストにはなれない、カラーガーズも頭打ち、って気が付いてしまったっていうこと?」

皐月は気の毒そうに、切なそうに横を向いた。運動部の選手と控えほどではなくても、吹奏楽部でのファーストとセカンドはソロのあるなしや目立つフレーズを吹けるかどうかでかなりの差が生じる。

年に1回オーディションがあり顧問の高橋先生によってパートは割り振られるのだが、オーディションで実力によって決められるならまだしも、春水先生への忖度で春水くんがファーストになるのが既定路線だとしたら、ほむらだってやりきれないだろう。

「ほむらのお父さんは高校の教員だからそのあたりのことはよくわかっているだろう、って先生が言うのよね・・・。」
「う~ん・・・」

ほむらは普段ニコニコしているので感情の読みにくい子だった。僕もなんともいえず、星空を見つめながらうなってしまった。
「ひとまず透呼がテンパってしまったらカラーガーズ全部だめになっちゃうからさ、しばらく私は透呼にあまりストレス貯めさせないようにするよ。」

「ありがとう皐月。僕はほむらに時間見つけて気持ちを確認してみる。」
「OK。さんきゅ。それでは今日はこれにて!」
いつもの終わりの儀式でハイタッチする。僕らはまた自転車を半分並べて帰途についた。

第3章


ファゴットを置くほむら

次の日体育館に2人で顔を出すとほむらが来ていない。高橋先生には1週間家の事情で部活は休ませてほしいとの連絡があったようなのだが、透呼があからさまに苛立ちを見せていた。

「この時期に1週間も休むなんて、ほむら先輩部活やめるんじゃないのかな。」
「あ~そうかも。」
1年生が根も葉もないことを言い始める。僕も皐月もそれを耳にするたび少し厳しめにたしなめた。

透呼にはひとまず後で話を聴くと伝え、僕らはすぐ高橋先生がいる音楽準備室へと向かった。
「先生おはようございます。」
「おはよう。」

「あのう、暁さんのことでご相談が。」
「うん・・・」
さすがに先生も深刻な顔をしている。

「1週間お休みするって・・・本当ですか?」
「さっき連絡が入った。本当だ。」
「暁先生とも少しお話したが、もう暁さんは燃え尽き症候群のような感じなのらしい。パート編成のことは暁先生からもよく本人に伝えてくれたと聞いていたので念押しするようなことは避けたのだが・・・裏目に出てしまったようだ。」

「そんな・・・」
皐月が口を手のひらで覆う。
「もう楽器にもガードにもしばらく触りたくない、と本人は言っているとのことだった。」

僕はほむらが痛々しかった。3年生まで頑張っても、認められることはないとわかった時の絶望感はどれほどのものだっただろう。そしてその気持ちを汲み取ってやれなかった僕ら2人の肩には、責任という二文字が重くのしかかってきていた。

「暁さんについては今日の所はひとまず置いておく。マネージャーを呼んで、至急1年生の中からドラムメジャーかカラーガーズの経験者をピックアップしてほしい。今日中にオーディションをして、暁さんが地区大会に出られなかった場合の補欠にする。」

「はい、私がその旨水上さんに伝えます。」
「僕はマネージャーに話します。」
「頼んだ。オーディションの間、朝練の内容をやっておくように、と指示を出してほしい。」

「はい。」
「はい。」

地区大会まではすでに1か月を切っている。後手に回ったと後悔している時間はない。先生も皐月もマネージャーも透呼も、自分の持ち場を精一杯動きまわっていた。

オーディションにピックアップされたのは3名。カラーガーズのパートリーダーだった子が2人、ドラムメジャーでカラーガーズの経験もある子が1人だった。

オーディションの内容は透呼が即興でやった振付をどこまで再現できるか、というものだった。上手さで言えばカラーガーズのパートリーダーだった子たちなのかもしれないが、ドラムメジャーを経験した子にはその中で身に着けてきた華のようなものが感じられる。予想通り選ばれたのは元ドラムメジャーで1年生の青木せいらだった。

「青木さん、もう地区大会まで1か月を切っていますが、今日からの特訓、覚悟してください。よろしくお願いします。」
高橋先生が真剣な口調で伝える。
「はい。」
せいらも深くうなずいた。

透呼は振付をせいらに教えるためマンツーマンで指導することになり、その間カラーガーズの他のメンバーは僕と皐月で教えることになった。午前中のパート練習、午後の全体練習でも1人が抜けてしまったことによる緊張感が強く、足が震えてしまうメンバーがいるのが痛々しい。

僕も皐月もなるべく冗談を言って笑わせ、カラーガーズメンバーの動揺を最大限静めるように努力した。

練習が終わると、透呼が急に皐月に抱き着いて泣き始める。僕らは驚いたが後輩たちに見せてはまずいと、透呼を音楽準備室へ連れていって話を聴いた。

「私・・・暁さんとは折り合いが確かに悪かったけど、できるようになってほしい気持ちは他の後輩と変わらなかった。」
「確かに・・・透呼一生懸命教えてたもんね。」

「私も人間だから、教え方が時にはキツくなっていたかもしれない。でも1年生の子たちがこっそり、私がいじめて暁さんを追い出したみたいに噂している。そんなこと・・・いくら何でもするはずがないのに。」
透呼は大粒の涙をこぼしている。

僕も皐月も1年生をたしなめてはいたのだが、一番良くない形で透呼に伝わってしまったのだと思うとなぐさめようがなく、黙って肩を落とした。

「暁さんがどう考えているのか、やっぱり聞いてみた方がいい気がする。」
「そうだね・・・このままじゃどんな結果になっても後味が悪すぎるもの。」
「・・・。」

透呼は泣きながらもカラーガーズの隊長としてどこか冷静で、僕たちの意見に反対はしない。このままでは微妙な空気が流れたままの地区大会になってしまうが、それを避けるためにもできるだけのことはしたいという気持ちは一緒だからだ。

僕と皐月は頷き合った。早い方がいい。先生にほむらの家の場所を聴き二人で向かう。暁家は閑静な住宅街にあった。僕がインターホンを押す。ほむらのお母さんが応対してくれた。

「吹奏楽部の部長の夏川涼です。ほむらさん・・・いらっしゃいますか。」
ほむらは出るのを渋った様子だったが、お母さんに促されてトボトボと出てきた。

皐月が優しく声をかける。
「暁さん、話聴いたよ。どうしたの?急に休むって・・・」
「急、じゃないです。」
ほむらが悲しそうに視線をそらす。

「4月のオーディションの結果が出て、家でもさんざん父と話し合いました。でも元々父は関係がないので落としどころはないし、部活に行ってもカラーガーズでみんなの足を引っ張るだけです。もう私の居場所は吹奏楽部にはないなって感じました。」

「オーディションのことは私たちでは何ともならないけれど、カラーガーズで足を引っ張るなんてことはないよ。もし少し上達が遅かったとしても、透呼はちゃんと暁さんができるようになるまで教えるつもりだったって、はっきり言ってた。」

「水上先輩のお気持ちはありがたいです。十分・・・良くしていただいて、感謝の気持ちだけです。でももう、私は楽器にもガードにも触りたくありません。」
「暁さん!どうして?一緒に地区大会、目指してるじゃない。」

「もう吹奏楽部で私の力が発揮できる所はありません。夏川部長、宇治副部長、こんな大切な時期にお騒がせし、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。」

傷ついているのに深々と頭を下げるほむらが痛々しかったが、もう僕たちは彼女を説得する言葉を失っていた。
「月曜日に退部届を提出します。できればお休みの間の一週間は退部のことを伏せていただけるとうれしいです。」
ほむらはそれだけ言うと悲しそうに微笑んだ。

もう僕たちにできることは本当にないのだろうか。わからないまま、皐月も僕もガックリと肩を落として帰路につく。皐月が静まり返った道で、感情をあらわにした。

「大人たちの勝手な都合でこんなことになって!」
「皐月・・・」
「暁さんも、透呼も・・・あんなに傷ついてるっていうのに!!」

二人とも声を張り上げて泣き出したい気分だったが、それは許されない。半分並んだ自転車は、なぜか自然と河川敷へと向かっていた。

「バカヤロ~~~~~~!!」
皐月の声が響き渡る。
「バカヤロ~~~~~~~~!!」
僕の声も後に続く。星空は美しいのに空気はどんよりと重く、灰色の風景は何もできなかった僕達をただ包み込んでいた。

第4章


退部届

どうすることもできないまま、月曜日にほむらの退部届はあっさりと受理されてしまった。高橋先生は去る者は追わずという方針なのかもしれないが、僕も皐月もそれはあまりにもほむらに冷たい気がした。

しかし今ここで部活の顧問への信頼関係まで失っては地区大会どころではない。僕達はマネージャーとも話し合いをして、せいらにだけはほむらの退部のことを伝え、本番に向けて練習するように仕向けた。

後はうちの吹奏楽部ではめずらしい退部者を出したということで、部内の動揺をどれだけ早く静められるかが腕の見せ所だと感じた。昼休み、校内放送で僕と皐月は急に2学年の学年主任を務める中村先生に呼び出された。彼は高橋先生を教え子に持つベテランの先生で、ほむらの担任の先生でもある。

「中村先生、来ました。」
皐月も後に続く。中村先生は応接室で話をしようと、職員室から僕達が出るように促した。ソファに腰かける。

「早速だけど、うちのほむらのことで迷惑かけてるね。申し訳ない。」
「あ・・・いいえ。」
「高橋先生は淡々としているからあっさり退部届受理したけど、本当は後始末する方が大変なんだもんな。」

「は・・・はい。」
中村先生は高橋先生をとてもかわいがっていて何かとサポートしているという評判だったが、それはこのことか、と2人とも思い当たった。

「ほむらの言う通り退部のことは1週間伏せてほしいけど、部員たちへの説明が大変だろうから、退部理由はほむらが別にやりたいことができたからって言ってしまって構わないよ。」
「え!」

「ほむらとはもう話してある。ほむらのご両親、俺には退部すると内申点が悪くなるだの、教育委員会への体面が悪いだのとずいぶんごねたけど、吹奏楽部にいるよりも内申点上げる道があるって伝えた。ほむらもその道に行きたがっているから全部解決済み。」
 
この短期間でどうやってそこまで根回ししたのだろう。僕達はただその豪腕さに舌を巻いた。
「この短い間に・・・って思ってる?ほむらはもう4月頭、オーディション前から退部したがってたからここで決意できて良かったと思うよ。地区大会行ってからの方が退部しにくくなるでしょ。」

中村先生が末恐ろしくなってくる。僕は誰かが中村先生は学校一の情報通、と言っていたのをちらりと思い出して、この人だけは敵に回したくないと思った。

「はい・・・そうですね。」
「というわけで大変だと思うけど、理由はネガティブなものではないから言いやすくはなったでしょ。地区大会突破、応援してるからがんばって!」

「はい。」
「はい。ありがとうございました。」
思わぬところから助け船が出たと思い、僕も皐月も自然と笑みがこぼれた。

1週間後の放課後正式にミーティングでほむらの退部を全員に伝えたが、理由が理由なので誰も深追いしようとはせず、部活の雰囲気もそれほど変わらなかった。何より嬉しかったのは透呼の濡れ衣を晴らせたことだった。

僕達はもう地区大会に向けて迷いはない。雨降って地固まる、というのか、以前より部員同士の絆が深まったように感じた。

第5章


マーチングで金賞を受賞

地区大会は予想通り、といえばそうなるが金賞で無事東北大会出場を決めた。僕も皐月もせいらの影の努力に頭が下がった。

せいらはドラムメジャー経験者というのもあってか全体を見渡せる目を持っているので、今回は決めねばならない、と思っていたのであろう。今回はそれが功を奏し、全体の雰囲気の底上げにもつながった。このまま合宿、吹奏楽コンクールと持っていきたかったが、現実はそう甘くはない。

吹奏楽コンクールが行われる7月末まで、1年生は楽器の実力の底上げをはかるため複数の楽曲に取り掛かり、1曲を仕上げるのが通例だ。課題曲は「アフリカンシンフォニー」となった。しかし、マネージャーに調整を依頼していた派閥問題がここに来て顔を出し始めていた。

元々うちの吹奏楽部は市内2校の小学校のマーチングバンド経験者が大多数を占める。そのうちの1校のドラムメジャーが青木せいらで、もう1校のドラムメジャーがビューグルを担当する澤田夕なのだが、1年生は青木派と澤田派に分かれてしまっていた。今回せいらが地区大会で先にいわゆる「デビュー」をしてしまったため澤田派の機嫌を損ねてしまったらしい。

澤田にカラーガーズの経験がないのでこれは仕方がないのだが、大会以来練習の仕方や先輩へのあいさつの仕方1つとってもそれぞれの小学校時代のやり方を事あるごとに双方が押し通そうとするらしい。青木派の方はあまり対立しても良くないと感じているようだが、澤田派はかたくなな対応を崩さないとのことだった。

指導を担当するマネージャーが白旗を上げてきたので、僕達はまた帰り道、土手で大の字になった。
「毎年のあるあるなんだけど、今年はもたついてるね・・・」
「うん。どの学年でも多少はあったんだけど、1年生の代は二校ともマーチングバンドで全国大会に出場してるからライバル心が強いんだと思う。」

「まぁ気持ちはわからなくないけどね。昨日までライバル視してた相手校の人たちといきなり混じって仲良くやらないといけない環境に置かれるんだからね・・・」

「せいらと澤田の仲はどうなの?」
「せいらはこのままだとまずい、と感じてるようだけど澤田はあからさまにせいらを無視してるって。」

「あちゃー。結構まずくなってきてるね、それ。」
「同じパート内でも青木派と澤田派だと話さないから、先輩たちが逆に気を遣うって話もあるくらいでね・・・」

「うううめんどくさいね・・・」
「一難去ってまた一難、だよね。」
「ただ今月合宿あるでしょ」
「そうだ!」
思わず2人とも飛び起きる。

「1回泊まってみれば何か変わるんじゃないかな?」
「同じ釜の飯を食う、ってか。」
「何かここで手を打って、雰囲気悪くなって合宿、っていうよりは合宿に賭けてみてもいいんじゃないかと思ってね。」

「それは一理あるね。時間がかかることだし、一度合宿で様子見しようか。」
「OK!決まりじゃ!本日はこれまで!」
ハイタッチで今日も締める。僕たちは2人いるからこうして楽観的でいられるんだなと思った。

第6章


合宿所の風景

合宿は毎年最大限音を出しても大丈夫な山奥にある少年自然の家で行われる。空気がきれいで気持ちがいい。僕達はテキパキと楽器を搬入して、それぞれの部屋で荷ほどきを終えると、その日は軽く音出しをして眠りについた。

次の日は朝ごはん前に2、3年生は朝練、1年生は軽く裏山で走り込みとなった。1年生たちが元気に山へと駆け上っていく。マネージャーはその間書類整理などをしていた。1時間ほどして朝食の時刻となったが、1年生が帰ってこない。さすがに心配になり高橋先生に報告する。

「誰かスマホは持っていかなかった?」
「いや、30分程度軽くジョギング・・・としか指示してないのでおそらく誰も。」

「う~ん、マネージャー、部長、副部長、スマホ持って少し近所だけでも探してくれる?」
「はい。」
「承知しました。」

手分けして探すと、獣道のように見える道の方に足跡が続いている。もしかしたら迷い込んでしまったのかもしれない。先生にスマホで報告する。
「えっ獣道かもしれない道の方に足跡があるの?・・・そこのところで待機してて。俺も行く。」
先生がすぐに来てくれた。

「ああ、これは確実に獣道だ。登山道と間違いやすいから、入っていってしまったのかもしれない。参ったな。」
先生が肩を落とすと、不意に俺のスマホが鳴った。皐月からだった。
「もしもし・・・え!見つかった!?」

どうやら1年生たちは自力で下山してきたらしい。玄関に全員集合しているというので向かうと、みんな靴を泥だらけにしてぐったりと座り込んでおり、安心からか泣いているものもいる。せいらと澤田が二人連れだって僕と皐月に話しかけてきた。

「部長、副部長、ご心配かけて・・・すみませんでした。」
せいらが切り出す。
「私たち、どうやら最初から登山道ではなく、獣道に迷い込んでいたようです。きちんと確認もせず・・・申し訳ありませんでした。」

澤田が深々と頭を下げた。「いや僕達はいいんだけど、全員無事なの?怪我はない?」
「はい、確認しました。大丈夫です。」

「途中で道がわからなくなり、何の持ち物もないことに気が付いて絶望しかけました。けれど澤田さんが全員に希望を捨てちゃだめ、諦めないでみんなで戻ろう、と呼びかけてくれて・・・。」
せいらが泣き出す。

「いえ、私は・・・実際は私がみんなを休ませている間、青木さんが抜け道を探してきてくれたんです・・・その道が最初の登山道に運よくつながっていたので帰れたんです。」
澤田も涙ぐんでいた。

「青木さん、ありがとうございました。」
「私のほうこそ、ありがとうございました。」
2人がお互いに頭を下げあい抱き合って安心したように泣き出すと、1年生たちも2人を見て思わずもらい泣きする。僕達もほっと胸をなでおろし、これで何かが変わる気がしていた。

1年生は少し休憩した後パート練習に取り掛かったのだが、今までとは見違えるように全員が協力して取り組んでいた。マネージャーも各パートを巡回しながらこれならと手ごたえを感じたらしい。小さくガッツボーズをしている。僕達も音を聴いてみたくなったので、11時からの1年生の合奏に顔を出した。

マネージャーの指揮で、ゆっくりとアフリカンシンフォニーが始まる。導入部のメロディーから、裏でホルンが吠えた。とても1年生の演奏とは思えない。さすが小学生にして全国大会に出場経験があるメンバーが要になっている、と思わせるテクニックに裏付けられた豊かな響きの連続だった。

演奏が終わると誰からともなく立って拍手が沸き起こる。1年生たちの心が一つに結ばれた瞬間だった。僕達は合宿で得た最大の物が、1年生たちの団結だと感じていた。

第7章


ホルン、トランペットと吹奏楽の譜面

それから7月末の吹奏楽コンクール地区大会、そして東北大会はあっという間だった。課題曲の「行進曲 春」には少々手こずらされたが、自由曲の「吹奏楽のための民話」の評価が高く、10月の全国大会への切符を手にすることができた。

後は11月のマーチング東北大会、そして12月のマーチング全国大会まで走り抜けるだけになる。

そんなころ、退部したほむらが夏休みの自由研究からの選抜で県の理科研究発表会に出場し、その後スカウトで科学部に入部したという話を聴いて皐月とともに胸を撫でおろした。秋口になると運動部のメンバーは一足早く部活を引退し、進路相談なども活発になってきていたころの出来事だった。

ある日僕はたまたまチケットが手に入ったからと、父に誘われてプロのオーケストラのコンサートを見に行くことになる。あまり気が進まなかったが、前の方のそれなりにいい席ということもあり大人しく父に従った。

1曲目は「軽騎兵序曲」で、最初のトランペットが印象的に響き渡る。僕は次の瞬間耳を疑った。コントラバスがとても良く聞こえるのだ。吹奏楽部ではどうしてもチューバの音にコントラバスがかき消されてしまうことが多く、僕の音も例外ではない。

先生には弦楽器の響きも必要だから、と言われていたのだが自分でも存在価値があるのかわからないと思うこともしばしばあった。しかし、オーケストラでのコントラバスの音はくっきりと聞こえ、存在感のある音として際立っていた。

僕は思わず立ち上がりそうになっていた。こんなオーケストラで演奏してみたい。興奮したままの二曲目は「白鳥の湖」だった。コントラバスとチェロのピチカートの美しさにまた心を奪われる。僕は今まで心の奥底に溜まっていた澱みのようなものが少しずつ溶けていく気がしていた。

会場は「フックト・オン・クラシックス」で最高の盛り上がりを見せる。僕も父も立ち上がって精一杯手拍子をした。アンコールの拍手が鳴りやまず、興奮がおさまらないまま歩き始めた帰り道、父に思わず話しかけた。
「今日は・・・誘ってくれてありがとう。」

「なんだあらためて。どうかしたのか?」
「うん、僕はやりたいことがはっきりした気がするよ。」
「えっ?ほんとに?このコンサートで?そ・・・そうか、これはまた唐突だなぁ、びっくりしちゃったよ。また後で話、聴かせてね。」
父はなんだかうれしそうに見えた。

コンサート中は雨が降っていたようだが少しずつ星空へと変わっていく。僕はそれを眺めながら、新しい道に夢をふくらませていた。

それから僕のコントラバスへの取り組みはガラリと変わった。今演奏をしている場所は吹奏楽部でも、できるだけいい音を出したい。朝練でボーイングからピチカートまで、基礎から見直す日々が続いた。

そんなことを続けていたら音も前よりは響きが良くなった気がする。今までどこかドラムメジャー、部長としての自分の方に力を注いできた気がするがせっかく吹奏楽で全国大会に出られるのだ。悔いなく演奏したい。

僕のちょっとした変化に皐月だけは気が付いたようで、いつもの土手で突っ込んでくることもあったが、うまく濁していた。なんとなく今は言うタイミングではない、と思ってのことだ。

そして迎えた全国大会。本気で人生で一番の状態に仕上げたと言い切れる。それは皐月や透呼を始めとした3年生、また選抜されて出場する2年生も同じ気持ちだったと思う。

東北大会では仕上がりきらなかった課題曲の「行進曲 春」は、見違えるほど美しい響きで聴かせる一曲となっていた。本番、高橋先生の指揮にも熱がこもる。あっという間に課題曲が終わり、そのままの勢いで「吹奏楽のための民話」へと入った。

いつも以上にノリがいい。決してテクニック的に難しい曲ではないが聴かせどころは多い。そんな華やかさを添える部分も各パートがきっちり決めてくれた。

曲が終わるとコンクールとは思えないほどの拍手が沸き起こる。僕はそれを見つめながらお客様との一体感を初めて感じ、そしてそれに感動していた。

結果はもちろん金賞。泣き出す部員たちがみんな愛おしく感じる。春からいろんなことを乗り越えてきた中でつかんだ栄光だった。でも僕はそれよりも音楽をやる上で一番大切なものを今日、掴んだ気がしていた。

学校に戻り、お互いの健闘をたたえ合ういつもより少し長めのミーティングをしてから帰途につく。僕と皐月は特に何も打ち合わせをしていなかったが、やっぱりいつもの土手で横になった。

「おつかれ。」
「おつかれさま。」
「これでもう、あと一つ・・・だね。何だか夢の中みたいな気持ちだよ。」

「いろいろ・・・あったからね。春から。」
「うん・・・そうだね。」
「これで僕達もすこーし、大人になりましたよ、っと。」
皐月が笑う。

「受験に不利になるとかよく言われるけど、本当に吹奏楽部、やっててよかった。」
「僕もそう思うよ。今しか・・・できないことだってあるもの。」
「きっと・・・そうだよね。」
「明日からはマーチングバトンとガーズ一直線!迷いはないね。」

「う・・・うん。」
僕は本音では少しでもコントラバスを弾いていたかったのだが、皐月の手前その言葉は飲み込んでしまった。
「じゃあ今日はこれにて!」
「OK!」
ハイタッチの音が今日は一層高らかに聴こえた。

第8章


クラリネットと楽譜

寒い12月、楽器チームの朝は吹き込みから始まる。もうすぐ雪が降る寒さのこの地域では必ず時間をかけてこうして楽器を温めないと、いい音は鳴ってくれない。冬になるたびに行うこの風物詩もあと少ししか見られないと思うと、なんだか寂しかった。

マーチングバトンを取り出し、「MY FAVORITE THINGS」の6/8の拍子を体で感じる。何度やったかわからないこの曲を、透呼、皐月、そして僕が踊り出すとみんな何だか乗ってくる。

最後の舞台はさいたまスーパーアリーナ。去年も踏み入れたあの大きな会場を今年も湧かせてみせる、そんな強い決意を感じた。僕もさすがに昨日の気持ちは一旦保留して、全力でマーチングに取り組もうと思った。

束の間の練習時間はあっという間に過ぎて、大型バスで乗り込んだ最終舞台。なんだか去年よりもバカでかく感じて、僕は少し武者震いしていた。ドラムメジャーの衣装に着替える。皐月が緊張していないか心配したが、いつもと全く変わらなかった。

控室で本番前のミーティングをすると、本番はもう目の前だった。今日もまた、光の舞台へ。最終戦の幕が開く―――――――。

ノーミスでクリアしたはずだった。今までの中でも最高の演奏をしたと自信を持って言える。しかし震える手で受け取った盾の色は、銀。控室でも誰も一言も発するものはない。全員信じられないという表情で固まってしまった。やがて高橋先生が講評を伝えに来る。みんなよろよろとした足取りでミーティングへと向かった。

「皆さん、全国大会おつかれさまでした。銀賞という結果でしたが、夏川部長、宇治副部長を中心に3年生が中心となって良く引っ張っていってくれました。講評が届きましたのでお伝えします。」
みんなが息を飲む。

「今回金賞を1バンドのみとしたのは、銀賞のバンドとほとんど差がなかったからです。しかし、金賞のバンドは中学生のマーチングバンドとしては画期的な曲目とダンスに取組み、新しいマーチングバンドの表現の道を示してくれました。技術、演奏方法などは銀賞のバンドも金賞のバンドも等しく素晴らしかったです。また来年もここさいたまスーパーアリーナでお会いできるのを楽しみにしております。」

先生が読み終わると同時に、皐月が堰を切ったように泣き出す。透呼も、せいらもそれは同じだった。誰もが吹奏楽コンクールでの金賞受賞をきっかけに、マーチングでも金賞を取って有終の美を飾れるはずだと信じて練習してきたためである。

3年生になって初めての「敗北」がこんな形で訪れるとは思わず、やり切ったはずなのにというやり場のない思いがその場を包んでいた。

「3年生はこれで部活は卒業、となりますが、1年間ほんとうに輝かしい成績を修めてくれました。素晴らしい1年間を、どうもありがとう。」
高橋先生の締めの言葉を聞いてから楽器の撤収をする。

その後乗り込んだ帰りのバスの中でもまだ泣いている部員の方が多かったが、地元に帰ると父兄や街の人たちが「銀賞おめでとう!」の旗や垂れ幕をたくさん作ってお祝いに駆け付けてくれていた。さすがにその場で泣くわけにもいかず、僕と皐月は自分の気持ちを奮い立たせながら出迎えてくれた皆さんにお礼と挨拶をした。

全てが終わった帰り道、また約束もなく僕たちは土手へと向かい、今日ばかりはと大の字になって寝ころぶ。重苦しい空気の中、先に口を開いたのは皐月だった。
「終わっ・・・ちゃったね。」
「うん。」

「私・・・決めた。京都の梓高校・・・受験する。」
「え!?」
梓高校はマーチングバンドの名門で、全国から選りすぐりの生徒が集まる吹奏楽部としてその名が轟いていた。しかし場所が場所なので、ここ東北からすると何て遠い場所へ・・・と感じるような無茶な受験だった。

「涼も・・・行くよね?」
当然のように皐月が聴いてきた。確かに僕と皐月は小学4年生の時から一度も離れたことはない。しかし、その問いかけに僕はうなずくことはできなかった。
「涼、どうして黙ってるの。涼も受験、するでしょう?」

「いや。僕は、行かない。」
「えっ!」
皐月が大きく目を見開く。

「こんな想いをしたのに、口惜しくないの?」
「いいや、それは口惜しいよ。でも、僕はこれから・・・マーチングや吹奏楽ではなく、オーケストラでコントラバスを弾きたいんだ。」

「な・・・何よそれ?いつから決めてたの?」
「吹奏楽の全国大会前、父に連れられて、オーケストラの演奏を初めて聴いた。コントラバスがびっくりするほど鳴っていて、僕は高校ではオーケストラでコントラバスを弾きたい、って思ったんだ。」

「そんな前から!どうして言ってくれなかったの?」
「それは!まだマーチングの全国大会もあるし、全部終わってからでいいと思ってた。」
「こんなに毎日、一緒にいたのに?」

皐月が涙ぐむ。その顔を見た時、僕は取り返しのつかないほど、皐月の心を傷つけてしまったと思った。

「ごめん、皐月。と言っても、もう伝わらないかもしれないけど、僕は皐月に感謝してるよ。ここまでこれたのだってみんな皐月が支えて、」
次の言葉は皐月の大きな声でさえぎられる。
「私だって同じだよ!」
皐月が泣き出す。僕はもう、いたたまれなかった。

「ごめん皐月・・・今日はこのへんで、帰ろう。お互いに冷静になれない・・・みたいだし。」
「今日は、ってもう次はない・・・じゃない。」
「・・・」

僕は黙るしかない。星空の下、先に自転車に乗ったのは僕だった。皐月の悲しい視線を背中に感じながらいつもの土手を離れていく。いつものハイタッチもせず、最後にこんな別れ方をするなんて。僕は振り返ろうかとも思ったが結局できないまま、帰路についた。

第9章


コントラバスの演奏

気まずい別れを引きずりながらも、僕はオーケストラでコントラバスを演奏するという夢に向かって少しずつ行動し始める。

どうせ進学するならしっかり音楽に取り組める環境が良いと思ったため調べてみると、東京にある葵音楽大学付属高校の推薦入試はピアノなしでも受験できるコースがあるとわかった。願書受付が1月半ばに迫っているのは驚いたが、先生と親に頼み込んでダメ元で受験してみることにした。

もしこの付属高校に合格でき、副科のピアノをがんばって3年間で追いつければ葵音楽大学への道も見えてくる。僕の成績は悪い方ではなかったので、高橋先生に急にお願いして葵音楽大学卒のコントラバスの先生を紹介していただき、1か月間みっちりとついて練習した。

この1か月間については正直吹奏楽部での1年間より練習がキツかったのであまり記憶にない。しかし念ずれば叶う、である。僕は見事推薦入試で葵音楽大学付属高校への合格を勝ち取り、4月からは東京で高校生活を送ることになった。

そんな折、皐月も梓高校へクラブ推薦で入学が決まったと耳にした。保護者のもとから通うと言うのが受験条件なので、母親が皐月と一緒に引っ越すらしい。僕は卒業式の間までに何とか皐月と話がしたかったが、ついにチャンスは訪れなかった。

卒業式当日、この地方にしては珍しく天気が良い。せいらを始め、吹奏楽部の後輩たちが花束や色紙をたくさん抱えてきて僕の卒業を祝ってくれた。

僕は中学校を後にする前、最後にどうしてもあのマーチングバンド全国大会でもらった銀賞の盾を目に焼き付けておきたくなり、展示棚へと向かった。それはどこかで皐月が来てほしいと願っていたからかもしれない。しかしそこに皐月はいなかった。せいらがたまたまいて、声をかけてくる。

「夏川部長、本当に一年間お世話になりました。さっき宇治副部長もいらしてましたよ。」
「皐月が・・・?」
僕はいてもたってもいられず、せいらへの挨拶もそこそこに駆け出して皐月を探した。玄関を出て、校門へと向かう。辺りを見回す。
――――――いた!

僕は駆け寄ろうとしたが、皐月は既にお母さんの車に乗り込もうとしているところだった。声をかけたいが、言葉にならない。ふと視線が合う。一瞬のことだったが、お互い何とも言えない想いで見つめ合った。

皐月はお母さんに促され、最後まで僕とは何も話すことのないまま、車に乗り込む。僕もいつの間にかきていた父親に促され、何度も振り返りながら車に乗り込んだ。

窓に陽の光が差し込み、水滴がキラキラとオレンジ色に輝いている。僕はどこかで見た色だ、と思ったがそれがどこか思い出せなかった。もう半分自転車を並べることも、あの土手で寝転がることもないけれど、ここで一緒に過ごした日々だけは忘れることはないだろう。僕は切ない想いを振り切るように、花束と色紙を抱きしめていた。

終章


雨上がりのオレンジ

それから3年後、僕は葵音楽大学への推薦入学を11月に勝ち取って、久しぶりに正月は実家へと帰省した。中学校以上に音楽漬けだった3年間だったが、やはり父と初めて聞いたオーケストラへの想いが僕を支えてくれたように思う。

ほんの少しゆっくりできると思うと、雪景色も心地良かった。リビングでゆったりしていると、父親が新聞を差し出し、この部分を読んで、という。それは、梓高校がマーチング全国大会で金賞を受賞したというニュースと、ドラムメジャー宇治皐月へのロングインタビューだった。

思わず背を起こす。皐月の声が耳元で聞こえてくるような気がした。
(金賞受賞、おめでとうございます。)
(ありがとうございます。部員全員の夢をかなえることができて本当にうれしいです。)

(宇治さんは高校受験で転居までして梓高校に入学されたそうですね)
(はい、中学校では3年生の時全国大会で銀賞を受賞したのですが、その結果は私にとって納得のいくものではありませんでした。もう一度ドラムメジャーとして、もっとハイレベルな演奏をしたい――――――その一心で梓高校へと来ました。家族は父と弟がおりますが地元で暮らし、私は母とこちらで暮らしております。本当に家族の支えには感謝しています)

(ドラムメジャーというパートに思い入れがあるようですが?)
(はい。私は小学生の時も、中学生の時もドラムメジャーでしたが、同期の方とずっと2人体制だったんです。ドラムメジャーになるのは何か当然、という自惚れのような気持ちがあったのですが、その気持ちは梓高校のマーチングバンドに所属していったんリセットされましたね。)

(自分はずっとドラムメジャーではなく、サブドラムメジャーの役割を果たしていたことも初めて知りました。そして、同期の方がどんなに私を支えてくれていたか、ということも。)

(初めて1人でドラムメジャーというパートを自分で勝ち取りに行かなければならないのだと気付き、そのためには基礎から全部やり直しだと理解した時には、自分が途方もない挑戦をするように感じましたが、どうしても金賞を取りたい!という想いが泥臭く私を頑張らせてくれたと感じます)

ここまで読んで、僕は色あせないあの日々がよみがえってくるのを感じた。外を見ると、ちょうど雨上がりの雲の合間から、日が射してきている。
「ごめん、ちょっと出てくるよ。」
古びた自転車を出す。あの時の身長に合わせたままのサドルを直すと、自然に足はあの土手へと向かっていた。

もう半分自転車を並べることはない。でもちゃんとあの日々は皐月の中にも足跡を残していた。遠い日々に寝ころんだ場所は雪が薄くかかっていてみえない。しかし僕の中にはまるで昨日のようにあの日交わした言葉たちが、雪に写るオレンジ色の光とともに聞こえてくる。

もう届かないのはわかっているが、空に向かって叫ぶ。
「皐月――――――――!!」
なぜだか頬に涙が伝う。しかし、微笑みながら僕は一番届けたかった言葉を叫んだ。
「ありがとう――――――――!!」
 

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