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白の情景~SEVEN YEARS AFTER~

第1章


田舎の電車と駅の風景

どこまでも青いいつか見た空と、わたあめみたいな真っ白い雲。
私は1時間に3本しかないのんびりした電車に乗って、今日の仕事先へと向かっていた。

目的地に近くなるほど、胸が苦しくなる。私はそれをじっと受け止めながら、窓の外へと目を移した。

私は7年ほど前、このあたりに住んでいたことがある。自分の意思ではなく、心をあまりにも病んでしまった私を当時の彼氏が一人暮らしの自分の家へと引き取って療養させてくれたからだった。

当時のことは辛過ぎて自分で封印してしまったらしく今はほとんど記憶に残っていない。しかし、この胸苦しさは確かに、当時の自分がここで生きていたことを感じさせた。

最近カウンセラーの先生の力を借りて、一緒に病気と闘ってくれた周囲の友達と当時の彼氏にあの時何があったのかをようやく聴くことができた。

その中にはポジティブなこともネガティブなこともあったが、当時と比較してずいぶん気持ちをニュートラルに保つことができるようになった私はそれを聴いてもあまり大きくネガティブな方向には揺らがない。

回復が進んだと言えるのだろうが、肝心の封印された記憶の核心はそれでもよみがえらなかった。

(みんな、昔から変わらない優しい気持ちで私を庇ってくれている。そしてそれには感謝している。でも、私は本当の私を知りたい)

そう、友達も彼氏も私が当時どんなだったかある程度までは話をしてくれたのだが、昔からの癖、というのだろうか。決して私が自分を責めてしまうようなことは口に出さない。

病んでいた私が周囲の人を傷つけたり、わがままを言ってしまったりすることなどいくらでもあっただろうに、まるでそんなことなどなかったかのように接してくれているのだ。私はそのことに深く感謝しながらも、やはり自分の人生の時間の流れの中にできた大きな空洞を埋めたい、という気持ちの方が強かった。

(記憶を失うのは自己防衛。だから相当のことが出てくるに違いない。でも、覚悟はできている。)

今日の仕事はたまに引き受けている趣味程度の写真モデルだが、病んでいた当時住んでいたあたりで撮影があると聞いてから、何日かの時間をかけて心を整えた。

カウンセラーの先生に絶対の信頼を置いているからというのもあるが、封印された記憶を取り戻しても自分の心が再び壊れてはしまわないという自信が少しついてきていた。

窓の外から漏れてくる白い光と、変わらない高い空も、私の心を強くしてくれている。電車が止まった。私は光が眩しくて被っていた白い帽子のつばでそれをちょっと遮ると、待ち合わせの駅へと降り立った。

第2章


クリームあんパンとアイスコーヒー

時間を見ると丁度お昼時。私は窓際が明るくて気持ちの良いパン屋さんを選んで入り、地元の名産だというクリームあんパンとアイスコーヒーを選んでトレーに乗せる。

(昔は・・・怖くて食べられなかったのに、ね)
私の昔の病名は摂食障がい。パンは過食を誘発する食べ物の1つだったため、今でもつきあい方は難しく感じる。しかし少なくとも前と違って美味しい、と思えるようになったのがうれしい。

広めの席を選んで座り、ゆっくりと味わってからお手洗いで身なりを整えるとクライアントとの待ち合わせ時間だった。白い帽子を被って、仕事モードにスイッチを切り替える。クライアントは駅まで車で迎えにきてくれた。

ご挨拶をしっかりとして、車中ではなるべくコミュニケーションをしっかりと取る。初めて会うクライアントとは信頼関係の土台をしっかり作ろうと心がけているのだが、それは向こうも同じようだった。

現場に到着してみると仕事は20カットほどの撮影だったためすぐに終わり、なんだかあっけないくらいだった。夜に友達のライブを見に行く約束をしてはいるが、それにしては時間が空きすぎてしまっている。

(行って・・・みようか)
仕事現場の最寄り駅から以前住んでいた場所の最寄り駅までは6駅目、住んでいた場所も駅から見えるところにある。心の震えを感じながらも咄嗟に決断した。向かおう。

ここまで足を延ばせる機会はめったにないのだから、自分の心とちゃんと向かい合ってから帰りたい。駅のベンチに座って電車を待つ。のんびりした風景を眺めながら、私は去年1年間のことを思い出していた。

ふとしたきっかけでバンドを結成し、メンバーの1人がカウンセラーの先生で、個人的な関係がある人にカウンセリングを依頼してはいけないと知りながらなぜかカウンセリングをしてもらったこと。それがきっかけで、小さなころから思い描いていたCM出演、ライブ出演、デザイン制作、モデルなどの夢が次々と叶ったこと。そしてそれは過去からずっと愛されてきた自分に気づけたからこそ叶った夢だということ。

抱えきれないほど感謝の想いを持てるようになったのに、胸苦しさは以前住んでいた駅に近づくほどいっそうつのる。それを真正面から受け止めながら、ついに以前住んでいた駅のホームへと降り立った。

第3章


屋根のある駅舎

ホームを見渡すと自分が住んでいたころとは違い、きちんと屋根のある駅舎が完成していた。駅の構内にはコンビニすらできていて、当時とのあまりの違いに少し驚く。しかし改札をくぐり外へと出ると、飲食店の1件も見当たらないのは変わらない。

どこか懐かしさを感じながら見覚えのある道を一歩一歩歩くと、足の進みがなぜかどんどん早くなる。はやる心を抑えられない、とはこのようなことを言うのだろうか。被っている白い帽子のつばを抑えながら坂道を下る。

彼氏とよく通った広い駐車場が印象的だったコンビニは、介護事業所へとその姿を変えていた。車椅子にもたれる利用者さんと介護士さんの心暖まる風景は、私の胸苦しさを少し軽くしてくれるようだった。
(ここまでくれば、あと5分)

不意に当時の彼氏とこの道を歩いた記憶が白くフラッシュバックする。当時の私は摂食障がいから来る幼児退行と対人恐怖がひどく、彼氏と手をつながなければ外に出ることすらもままならなかった。

お気に入りの子供服を身に着けて、彼氏さえ横にいてくれれば雲のようにふわふわと生きていけるような気がしていたあの頃。コンビニで大好きないちごのお菓子を見ても、過食を引き起こしてしまうかもしれないから、「見るだけ」にしていた。あの時の彼氏の手は、私の全てだった。

いつもならこんなフラッシュバックが起きても時間という風の中でさらりと流せるのだが、今日は受け止めようとなぜか唇をかみしめる。昔はあんなに大嫌いだった自分を思い出して、足が思わず止まりそうになったが7年前からの遠い愛情が後押ししてくれるように感じた。

歩きながら目の前に広がる広い駐車場や、小さな飲み屋。その上に広がる高くて青い空も、私を応援してくれているようだった。

第4章


過去へと迷い込む「私」

(確か・・・このあたりだ)
二人で住んでいた部屋は通りに面している部分が少なく、奥まった土地にあった。目の前の角を曲がればあの部屋が見える。

(・・・)
私は一瞬躊躇した。下を向いて、呼吸を整える。ここまできてあきらめたくはない。覚悟を決めて、角を曲がった。

「!」
二階の私の部屋へとつながっている階段が変わらずに私を出迎えた。彼氏の愛車、スカイラインRタイプが置いてあった奥の駐車場も。

(おいで)
ふとあの時の彼氏に手招きされたような気がした。私は胸苦しさと切なさで一杯になりながらも、階段の前まで一歩一歩重い足取りで足を進める。また白くフラッシュバックが来た。

「全然・・・治らないの。こんなに良くしてもらってるのに。」
それは白いネコのぬいぐるみを抱えて背を丸め、大粒の涙をこぼしながら電話している私だった。
「治りたい・・・治りたいよぅ・・・」

私はダイニングに座り込み、過食のために洗い物だらけになってしまったシンクを見つめながら友達に必死で話しかけている。パンパンになるほど膨れたお腹、2つ結びにしてハートのゴムで結わえた枝毛だらけの髪の毛。

フラフラと鏡の前に立つと、前髪の中に白いものを見つけた。それは・・・初めて見つけた白髪。たった1つ残されている若さまでもが失われる。その恐怖に耐えきれず、悲鳴を上げて電話を取り落とした。

「どうした!どうした!」
友達が驚いて電話口から声を荒げている。そのまま気を失い、倒れ込んだ自分を幻のように見た。

・・・過呼吸を起こしそうな衝撃を食らったが、私はこんなもので動揺してはまだまだだと額の汗をぬぐう。するとさらにもう一つのフラッシュバックが白くやってきた。

「迷子の迷子の子猫ちゃん あなたのおうちはどこですか」
私は床にぺたりと座って、白いネコのぬいぐるみの手を取って歌いかけていた。

「にゃんにゃんにゃにゃん にゃんにゃんにゃにゃん
なーいてばかりいる 子猫ちゃん」
ぱたん、と扉が開く音がする。彼氏が帰ってきたのだ。

私はネコのぬいぐるみを抱えると、玄関まで走って出迎えた。
「おかえりなさーい。」
「ただいま。今日はどうしてた。」
彼氏がいつものとおり優しく声をかけてくれたので、私はニコニコとうれしそうに報告した。

「うん、今日はね、初めてこの子としゃべったよ。」
彼氏の頬に少しの動揺が走る。しかしそんなことに全く気付かず、私は言葉を続けた。
「今までね、いっぱいお歌も一緒に歌って、楽しかった!」

「・・・そうか。」
彼氏はベッドに座ると、私をひざの上にのせて後ろからぬいぐるみごと抱きしめた。
「お歌、歌って聴かせて。」
「うん!」
私は無邪気にぬいぐるみの手をとってリズムを取り、歌いだす。

・・・私はその場にしゃがみこんでしまった。過呼吸こそ起こさないが、冷汗がにじみ出てくる。すると、周囲の視界がふとセピア色に変わった。目の前にはいちごの模様がついたハンドタオルが差し出されている。顔を上げると、それは年のころこそ幼いが確かに、私だった。

「おねえさん、これ。」
「あり・・・がとう」
お礼を言ってハンドタオルを受け取ると、小さい私も別のいちごのハンカチを抱えて、大粒の涙をこぼしている。思わず肩に手をかけ、たずねた。

「どうしたの?」
「あのね、お病気全然良くならないの。お薬飲んで、カウンセリングもがんばって、毎日・・・いい子にしているのに。」
小さい私は自分で涙を拭うと、急に叫び出す。

「治りたい!治りたい!治ってアイドルになってお歌歌って、作詞も作曲もするんだ!本も書いて、テレビにも出る!それなのに・・・それなのに・・・治らない!」
彼女は一際大きく身を震わせると、狂ったように叫ぶ。
「治りたいよーーーーー!」
叫び終わると今度は泣き崩れてしまう。

私はあまりの痛々しさに自分もおかしくなりそうだったが、彼女を全身で抱きしめ声をかけた。
「大丈夫!必ず治るよ。みんなあなたのことを大好きだから。」
彼女は一瞬泣き止み、驚いたように一際大きく目を見開くと悲し気に少しだけ微笑み、ふっとその姿を消した。

彼女のぬくもりはまだ腕の中にあったが、もう周囲には色が戻っている。遠く流れている時の輪がここで接したのか、幻だったのかはわからない。私の目からも涙がこぼれていたが、もう大丈夫だと思った。

終章


神社の鳥居

私はその場をゆっくりと離れると、道の突き当たりにある八幡神社の鳥居を吸い込まれるようにくぐった。手水を取ると、夏という今の季節にはそぐわないほど冷たい。
(そうか、きっと井戸水だ)

あの部屋で使っていた水も井戸水だった。朝、その冷たさに触れるたびに清しい気持ちにしてくれたあの水の感覚を、私は懐かしく噛みしめる。私の指から、水が一滴、落ちた。
(そうよ・・・もう、大丈夫。)

その水滴を見つめながら、小さかった私の想いを反芻する。それは病気を治して、自分の夢を叶えたいという強い気持ちだった。
(私は、幸せになりたかったんだ)

その想いに気づけただけでも、今日ここへ来て本当に良かったと思う。二礼二拍手して参拝を終えると、自分の芯が太くなったような気がした。
(本当に、ありがとうございました。)

そう神様と自分自身に伝え、鳥居を再びくぐると日は少し傾いて黄昏時に変わっていく。私はおそらくもう二度とここへは帰ってこない。それでも、ここで暮らした大切な日々を決して忘れることはないだろう。

道すがら、もう一度だけあの階段を見ると夕日に白く染まって輝いて見える。もう後ろを振り向くことはない。私は駅への道をまた1つ強くなった心で、軽やかに駆け上がっていった。



 


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