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"わたしらしさ"とは一体何なのか

昨日書いた、コーチングにおけるゴール設定の中で重要な概念に「want to」というものがあります。

これは「やりたいこと」というくらいのゆるい概念ではなくて、「権威となる人の反発や禁止を受けても、それでもやってしまう行動」のことを指します。

静かにしなさい!と言われても、ついつい騒いで場を盛り上げてしまう。
みんなの意見を大事にしなさい!と言われても、ついつい仕切ってしまう。
危ないところに行くのはやめなさい!と言われても、ついついちょっと危険な場所に遊びに行ってしまう。

などなど・・・私たちは小さい頃から数えきれないくらいに権威者(保護者や先生、先輩などですね)からの禁止や強制を受けますね。でも、100%その権威者の言いなりになっているということはあり得ない。必ずそういう権威者に反発した経験があり、そこに自分が人生を通底して大事にしている価値観が潜んでいるものです。
それをコーチングでは「want to」と呼び、非連続な挑戦・成長に対峙していくときの原動力と考えます。
誰かに止められてでもやりたいことで目標設定したら、それはそれは強い意志のもとに軽やかに行動できます。

ここからはコーチングスクールの師匠の教えではなくわたしの解釈ですが、このwant toこそが、みんなが迷子になっている「わたしらしさ」の正体ではないかと、わたしは思っています。

ちなみにわたしもコーチングを学ぶ過程で自分自身のwant toを抽出し言語化しました。わたしの場合は、「empowerment」みたいな言葉が最上位概念な気がしていて

・いるだけで場を明るくする
・白黒つける
・抱き合って泣くぐらい人と深く繋がる
・姉御気質

こういう言語化です。

黙ってなさいと言われても、つい場を盛り上げたくなる。
清濁併せ呑むあり方を覚えろと言われても、つい白黒はっきりさせにいってしまう。
人には踏み込まれたくない領域があるからと言われても、つい本音を言って踏み込みすぎてしまう。
人の意見を尊重しなさいと言われても、姉さん的につい場を引っ張っていってしまう。

こういうのがいかにもわたしらしい行動であり、わたしのwant toです。

「やりたいこと」だの「自分らしさ」だのというのは実態がなくふわふわと考えづらいもの。でも「やってしまうこと」は過去の行動を分析することで一定確からしい自分の在り方に気づくことができますよ。

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