幸福は、疲れてしまうこともある / 平野啓一郎 『空白を満たしなさい』
気づくと久々の投稿になりました。古本屋で出会い、なんとなく表紙に惹かれ買ってしまったこの本🎨 死とは何か、生きるとは何かについても考えさせられる、印象的な本でした。今回はそんな読書感想文を綴っていきます✏️
この本の主人公は復生者。つまり、一度死んだ人間が生き返ったところから始まります。本人も、周りもその状況に戸惑います。そして1番驚いていたのは復生者の徹生自身、なぜなら自分は自殺したと聞かされたからです。
会社の事業は成功に向かっており、マイホームも買い、大事な妻も1歳になった息子もいたのになぜ。幸せの絶頂だったはずなのに、なぜ自分は自殺したのか。周囲の人間や、他の復生者と関わっていく中で、彼の気持ちが少しずつ明らかになっていきます。
この本を通して生死について考えさせられました。その中で印象的だった部分を紹介します🗓
戦争について
これは徹生が復生者の友人と、死に方について話していた際の友人の言葉です。確かに私は戦争が嫌いです。大勢の人が苦しみ、亡くなってしまうから、とこれまではそう考えていました。しかし違いました。私は「国のために死ぬ」という一種ナショナリズムのような風潮に違和感を覚えていたのです。人生は死に方だけではなく、様々な出来事で色付けされているのに、最後だけでその人を決めていいのか、そう考えさせられました。
分人、という考え方
周りの環境が自分を作る、という言葉とも共通する考え方だな、と思いました。誰といたら楽しいのか、私が辛いのはどの分人が苦しんでいるからなのか、この"分人"という考え方に救われる気がします。本当の自分とは、固定された一つのものではなく、分人がどのように組み合わされているのかなのです。以前授業で、人々は他者に対するあらゆる仮面を持っている。そしてそれを時や相手、場所で使い分けている。ではその中で一つの"本当の自分"は存在するのか、について議論しました。この本を読んで、今その答えが出せたような気がします。
調べてみると、平野さんが分人について述べた本を見つけました。次はこの本を読んでみようと思います📚
出家という選択肢があった時代
伊勢物語が書かれた時代、日本には出家という選択肢がありました。先ほど述べた分人の中でも、特に消してしまいたい分人。その自分を殺すのではなく出家する、という心の誤訳を行いました。それは社会的な分人を消すということです。このことで、自殺をせず済んだ人たちがたくさんいたのかも知れません。
どんなに幸福であっても疲れる
なんだか、すごくこの言葉が沁みました。私自身、大学の勉強や部活、就活に留学準備、卒論研究など日々予定を詰めて動いています。以前その状況で、私がしていて幸せを感じることは何かと考えた際、「友達と会うこと」でした。そこで私は少しでも時間を見つけたら友達と会い、話し、笑い合い、それまでの疲労を取っていたつもりでした。しかし先ほどの話のように疲労のコップは1つしかなかったようです🫗 疲労が溢れ、倒れてしまいました。
忙しいのが好きだ、そう考える私は徹生と似た考えの持ち主なのかもしれません。自分の体が疲れているのをきちんと自覚すること。そして気持ちだけでなく体も休めること。それらの大切さを、小説を通して学びました。
以上でこの本の紹介を終わります。
後から知ったのですが、この本は東日本大震災直後に「もし死んだ人が生き返ったなら」と着想を得て書かれた本でした。知り合いの方が、「その時代に起こったことを、平野くんがどのような視点で捉えているか。本を通して知ることができるから面白い。」と述べていたのを思い出しました💭
また平野啓一郎さんの本を読みたいな、そう思った本でした。
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